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14.尊い場所


気づけば、それは部屋の中で目に留まる存在になっていた。


机の上。

リリスが自分で置いた場所に、小さな人形が座っている。


白い髪が、窓から差し込む光を受けて淡く反射していた。

作りものだと分かっているのに、細部までよく作られているのがわかる。

髪の流れ、頬の丸み、穏やかに結ばれた口元。


(……ちゃんとしてるな)


何度目かの確認でも、視線が自然と向く。

体を起こすと、まだ少しだけ頭が重いが、

以前ほどの辛さはなかった。


(フィオ、これ選ぶのに時間かけたんだろうな)


そう思うと、胸の奥がわずかに温む。

理由ははっきりしないが、

雑に扱う気には、どうしてもなれなかった。


時間帯によって、人形の見え方が少し変わる。

朝は白く、

昼ははっきりとして、

夜は影が増える。


それを意識している自分に気づいて、

小さく息を吐いた。


(……気に入ってる、ってことかな)


否定するほどでもない。

かといって、大げさに喜ぶわけでもない。


ただ、

視界に入ると、少し安心する。


(……名前、つけたほうがいいか)


呼ぶ予定はなくても、

呼べないのは、少し落ち着かない。


白い髪の横に留められた、小さな花の髪飾り。

淡い色で、形の整った花びら。

視線を向けた瞬間、名前だけが先に浮かんだ。


「……アイリス」


声に出すと、違和感はなかった。


(この花に似てるし……)


深い意味は考えない。

前の世界で知っていた花の名前だということも、

今は理由の一つでしかなかった。


もう一度、机の上を見る。

人形は変わらず、同じ姿勢で座っている。


(アイリス、でいいか)


自然に、そう思えた。


ベッドに腰を下ろすと、

体の力が少し抜ける。

呼吸は安定していて、

胸の内側も静かだった。


「アイリス……おはよう」

「……おやすみ」


声をかけてみる。

返事を期待しているわけではない。

それでも、

口にすると少しだけ気持ちが緩んだ。


淡い水色のドレス。

丁寧な縫い目。

飾りすぎないけれど、手は抜いていない。


机から人形を持ち上げる。

軽い。でも、落とさないように、自然と力が調整される。


毛布の中に入り、

腕の中に収める。


体温が移るわけではない。

それでも、

冷たいとも思わなかった。


(……もらって、よかったな)


そう思ったのは、

たぶん、本音だった。


目を閉じると、

呼吸がゆっくりになる。


暖炉の火が静かに揺れている。

窓の外では、雪の光が淡く反射していた。


―――――――――――――――――――――――――


 ミレーユは静かに部屋の扉を閉め、そっと深呼吸をした。

 暖炉の火がぱちぱちと鳴る音と、柔らかな布が擦れる音。

 視線を向ければ、ベッドの上で膝を抱えながら人形と戯れる主の姿があった。


 リリス様は、両手で小さな人形を抱き上げていた。

 小首を傾げながら、ふわふわの銀髪をなで、まるで友達と話しているかのように微笑んでいる。

 その仕草の一つひとつが、あまりにも幼く、そして愛らしい。


 ミレーユは思わず頬が緩みかけたが、すぐに咳払いをして気を引き締めた。

「……いけません、ミレーユ。職務中です」

 心の中でそう呟く。

 だが、目の前の光景があまりにも微笑ましすぎた。


 リリス様はベッドの上で人形を抱きしめ、ふんわりと笑っている。

 まるで花の蕾がほころぶように、あの小さな唇がやわらかく動く。

 その瞳には、心からの安らぎが宿っていた。


 (まるで、普通の少女……いえ、普通以上に可愛らしい……)


 そう思った瞬間、ミレーユの胸の奥がじんわりと熱を帯びた。

 あの穏やかな笑顔を、守り続けたい――

 その想いが、言葉にならずに心の中で形を取る。


 ふと、数日前の出来事が頭をよぎった。

 廊下で倒れた勇者の亡骸を片付けた帰り、

 部屋に戻って見たのは――猫耳のメイド服を着たリリス様の姿。


 ……その瞬間の衝撃を思い出すたび、体が勝手に熱くなる。

 何も知らずに純真な瞳でこちらを見上げる主。

 あの可愛らしさに、理性が一瞬吹き飛び、結局その場で気を失ってしまった。


 (……思い出すだけでも、危険です)

 ミレーユは小さく首を振る。

 今の主を前にしたら、再び同じことを繰り返してしまいそうだった。


 ベッドの上のリリスは、手にした人形を抱きかかえて頬ずりしている。

 「アイリス、今日は、いいおてんき……」

 柔らかな声が部屋の空気を溶かしていく。

 その小さな笑顔に、ミレーユの心は完全に撃ち抜かれていた。


 (……だめです、笑ってしまう)


 口元がわずかに緩んだ。

 慌てて背筋を伸ばし、いつもの完璧なメイドの姿勢を取り戻す。

 だが、頬の奥の筋肉がどうしてもゆるみきってしまう。


 (……ほんとうに、天使のようなお方です)


 あの小さな人形――「アイリス」と名付けられたらしい。

 リリス様はその子をまるで友達のように大切にしている。

 人形の銀白の髪が、主の髪と並んで輝くたび、

 この世界の闇を少しだけ忘れられる気がした。


 ミレーユは静かに近づき、紅茶を盆に載せて机に置く。

 「リリス様。お加減はいかがですか?」


 リリスは人形を抱えたまま、ぱっと顔を上げた。

 「み、ミレーユさん……っ、だ、だいじょうぶです」


 「そうでしたか。……アイリス様も、リリス様と一緒にいられて幸せでしょうね」

 自分でも驚くほど優しい声が出た。

 リリスは照れたように笑い、また人形の頭を撫でる。


 (ああ、なんて穏やかで、あたたかい時間でしょう……)


 死と血に染まる夜を見てきたこの手が、

 今、こんなにもやさしい光景に包まれている。


 ミレーユは紅茶を注ぎながら、思った。

 この小さな部屋こそ、魔王城の中で最も“尊い場所”なのではないかと。


 ――たとえ外の世界がどんなに穢れていようとも。

 リリス様の笑顔だけは、汚れてほしくない。


 ミレーユは一歩下がって、深く一礼した。

 「……まったく。目を離すと、すぐに可愛らしく成長されてしまうのですから」

 誰にも聞こえないほど小さく呟き、口元を押さえる。


 それでも、唇の端がどうしても上がってしまう。


 ――人形と戯れる幼い主の姿。

 それは、どんな芸術よりも美しく、

 どんな場所よりも尊い光景だった。


 ミレーユは静かに微笑みながら、

 紅茶の香りとともにその幸福な時間を胸に刻んだ。

 

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