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13.愛の贈り物


朝の光がカーテンの隙間から差し込み、ベッドの上に淡い影を作っていた。

 リリスは枕を抱えながら、ぼんやりと天井を見上げていた。


「……はぁ」


 ため息がひとつ。

 今日は何回目だろう。

 この数日、頭の中はずっと“癒し作戦”のことでいっぱいだった。


 (……やっぱり、あれは失敗だったよね)


 思い出すだけで頬が熱くなる。

 猫耳とメイド服。

 キャロルに勢いで着せられたとはいえ、鏡に映った自分の姿を思い出すたびに顔が真っ赤になる。


 「……だって、あんなの、はずかしすぎる……」

 枕に顔をうずめて、もぞもぞと転がる。

 耳元に残るふわふわの感触まで思い出してしまい、さらに悶絶。


 (姉様に見せようとしてたなんて……正気じゃなかった)

 両手で顔を覆って小さく呻く。


 それに――。


 「ミレーユさん、たおれちゃったし……」

 あの日の光景が頭をよぎる。

 突然目の前でバタリと崩れ落ちたミレーユの姿。

 慌てて駆け寄ったけれど、何が起きたのかわからなかった。

 目を覚ました時も、彼女は穏やかに微笑んで、まるで何事もなかったかのように言ったのだ。


 『少し、目眩がしただけですよ』


 それだけ。

 叱られるかと思っていたのに、怒りもせず、いつもの静かな笑顔のまま。

 それが逆に怖くて――それ以来、リリスはあの日の話題を出せずにいた。


 「……なんでたおれたんだろう」

 首をかしげてみても、答えは出ない。

 (まさか……呆れられたとか?)

 いや、それならあんなに優しくしてくれないはず。


 (うーん……)

 小さく唸りながらベッドの端で膝を抱える。

 (結局、なんにもわからないままだ)


 その時、机の上に置かれた猫耳カチューシャが目に入った。

 ふわふわの白い毛並みが朝の光を受けて、まるで小さな動物のように輝いている。

 「……あ」

 目を逸らす。

 見ただけで心臓がきゅっと縮む。


 (キャロルさん、また着ましょうって言ってたけど……無理)

 頭を抱える。

 あんな格好で姉様の前に出るなんて、考えただけで心臓が止まりそうだ。


 「……あれ以来、ねえさまにも何も見せてないし」

 ため息をもう一度つく。

 “癒し作戦”を始めたきっかけ――それは、姉に少しでも笑ってほしかったからだ。

 責務でいつも疲れている姿を見るたび、何かしてあげたいと思っていた。


 だけど、結果はミレーユが倒れて、自分は恥ずかしくて逃げ出しただけ。


 (……結局、振り出しだなぁ)

 リリスは膝に顔を埋め、かすかに笑った。

 少し情けなくて、でもどこか懐かしい気持ちだった。

 前の世界でも、仕事で失敗しては落ち込んでいた。

 けれど、今回は怒鳴られるわけでもなく、誰かがそっと支えてくれている。


 (……この世界は、優しいな)


 ふと、胸の中が少しだけ温かくなる。

 ミレーユもキャロルも、そしてセレヴィアも。

 皆、自分を大切にしてくれる。

 それが嬉しくて、だからこそ何かを返したい。


 「……でも、どうしたらいいんだろう」

 魔法は使えない、体も弱い。

 できることなんて、ほとんどない。


 握った拳が小刻みに震える。

 けれど、その指先には迷いではなく、静かな決意の熱が宿っていた。


 「次は……ちゃんとかんがえてやらなきゃ」

 呟いた声が、部屋に溶けていく。

 ベッドから降りて、窓の外を見上げた。


 青く澄んだ空に、光の粒のような魔力の霧が漂っている。


 「……がんばろ」

 小さく拳を握る。


  カーテン越しの光が、ゆるやかに差し込む。

 リリスはベッドの上でぼんやりと窓を見ていた。

 雪は止んでいるが、外はまだ薄暗く、遠くで鐘の音が鳴っている。


 そんな静けさを破るように――。


 コン、コン、コン。


 扉が三度、控えめに叩かれた。


「……ミレーユさん?」


 いつものように彼女が来たのだと思い、ゆっくりと身を起こす。

 けれど、扉の隙間から現れたのは、見慣れた銀髪でも白いエプロンでもなかった。


 「リリス様……ごきげんよう」


 淡い金糸のような髪は、丁寧に巻かれて肩にかかり、

 揺れるたびに光を弾いてきらめいている。

 頬はほんのりと紅潮し、白い肌が雪明かりに照らされて、まるで絵画の中の人物のようだった。


 ドレスは青と白を基調にしたもので、胸元や袖口には銀糸の刺繍が施されている。

 裾がふわりと広がり、歩くたびに淡い香りがふわっと漂った。思わず見とれてしまう。


 装飾の一つひとつまで丁寧で、髪飾りには小さなサファイアの石が揺れている。

 リリスの知る“フィオレッタ”とは違って、今日はまるで“舞踏会の姫”のようだった。


 (こんな服……どこで着るんだろう)

 心の中で呟く。

 けれどそれ以上に、目の前の光景が眩しくて、息をするのを忘れそうになる。


 「……フィオ?」


 思わず目を瞬かせる。

 フィオレッタは両手を胸の前で組み、少し震えるような声で言った。


 「ご、ごきげんよう……! その……お邪魔してもよろしいでしょうか……?」


 「うん……もちろん」


 リリスが微笑むと、フィオレッタの頬がぱっと赤く染まった。

 彼女はドレスの裾を少し持ち上げて一礼し、ぎこちなく部屋に入る。


 リリスは目を瞬かせながら、そっと首をかしげた。

 「……フィオ、……すごく、きれい」


 「えっ……っ!」

 その一言に、フィオレッタの耳まで真っ赤になる。

 「そ、そんな……っ! き、きれいだなんて……!」


 リリスは小さく首を傾げた。

 「かみも、ふわふわ……ドレスも、かわいい」


 言葉は拙く、まっすぐだった。

 その素直さが余計に、フィオレッタの胸を撃ち抜く。


 「か、かわ……っ」

 息が詰まり、視線を泳がせる。

 「リ、リリス様……そんな……! そ、そのように見つめられますと……!」


 「? ……どうしたの?」

 小さな声で問いかけられ、フィオレッタは「な、なんでもありませんっ!」と慌てて両手を振る。

 ドレスの袖がふわりと舞い、彼女の香水の匂いが淡く漂った。


 リリスは少し首をかしげながら、ベッドの端をぽんぽんと叩いた。

 「こっち、すわって?」


 「は、はいっ……!」

 少し間を空けてから、フィオレッタはおずおずと腰を下ろした。

 ほんの十数センチの距離。

 だが、彼女の鼓動の音がリリスにも伝わってくるほど近かった。


 (……近い)


 リリスは思わず少し身を引く。

 けれど、フィオレッタはその動きに合わせて、逆に近づいてくる。

 「リ、リリス様の……お顔を、もう少し近くで見ても……よろしいでしょうか」


 「え……?」

 そのまま、距離が縮まる。

 薄いまつげの先、頬の紅潮、指先の震え――全部がはっきり見えた。


 「フィオ……?」

 「い、いえっ! な、なんでもありませんっ!」

 慌てて顔を背けたフィオレッタの髪が、リリスの頬をくすぐった。


 (……フィオ、なんだか変だ)

 首を傾げながらも、リリスは少し笑う。

 そんな無邪気な笑顔が、フィオレッタにはまぶしすぎた。


 「そ、そんな笑顔をなさっては……心臓が……!」

 「心臓?」

 「な、なんでもありませんっっ!!」


 フィオレッタは勢いよく立ち上がり、顔を隠すように手を当てる。

 耳まで真っ赤になって、今にも湯気が出そうだった。


 リリスは目を瞬かせ、

 (フィオ……もしかして、体調悪いのかな……)と心配そうに首を傾げた。

 けれど、当のフィオレッタは胸の中で悲鳴を上げていた。


 (あぁ……やっぱり……だめですわ……)

 近くにいるだけで、呼吸が浅くなる。

 この鼓動の速さも、頬の熱も――全部、恋のせいだとカノーネに言われた。


 (本当に……その通りですのね……!)


 「フィオ?」

 「ひゃっ……!」

 リリスが袖をちょんと引く。

 その小さな手の感触に、フィオレッタの心臓が跳ねた。


 「おちゃ……のむ?」

 「あ、あぁっ、ありがとうございますっ……!」


 カップを受け取る指先が震える。

 お茶の香りよりも、リリスの近くにいることの方がずっと甘くて、息が詰まりそうだった。


 (どうしましょう……この距離、この笑顔……!)


 リリスが何気なく微笑んだ瞬間、

 フィオレッタの胸の奥で小さな悲鳴が上がる。


 (……恋って、こんなに……苦しいのですわね……)


 それでも――。

 苦しさよりも、幸福が勝っていた。


 「……また、会えてうれしいですわ、リリス様」

 「うん、ぼくも」


 その素直な返事に、フィオレッタは今度こそ完全に撃沈した。

 心臓の鼓動が、雪解けの川みたいに流れて止まらなかった。


 フィオレッタは大きな包みを両手で抱え、胸の前にそっと持ち上げた。

 その姿勢のまま、少し緊張した声で言った。


「リリス様……これを、受け取っていただけますか?」


 「……ぷれぜんと?」

 リリスは瞬きをした。


 「はいっ……! その……前にお会いしたとき、とても楽しかったものですから……

 もっと仲良くなれたら、と思いまして……!」


 言葉を言い切ったあと、フィオレッタは耳まで真っ赤になった。

 ドレスの裾をぎゅっと握って、まるで叱られるのを待っているような顔。


 (な、なんか……すごく本気だ)


 リリスは思わず胸のあたりがくすぐったくなった。

 「ありがとう……」

 小さな声でそう言うと、フィオレッタはぱっと顔を明るくした。


 「そ、そんな……! お礼なんて……! 受け取っていただけるだけで、わたくし――」

 「う、うん……でも、ぼくは……なにもなくて」

 リリスは申し訳なさそうに目を伏せる。


 「え?」

 「フィオになにかもらうのは、すごくうれしいけど……ぼくからはなにもないし、ちょっと悪い気がして」


 “プレゼント”なんて、いつぶりだろう。

 悠斗だったころも、誰かに何かをもらうことは滅多になかった。

 誕生日も、祝日も、仕事に追われて、

 もらうのはせいぜい上司からの無理な指示くらいだった。


 (……だから、余計に嬉しいのかもしれない)


「そんな……気にしないでくださいませ。私が勝手にやってることですので!」


 心の中に、ぽっと小さな火が灯ったような感覚。

 同時に、どこか申し訳なさも滲む。


 「リリス様……その……もしよければ、開けてみてくださいませ」

 「あ、うん」


 フィオレッタが差し出した箱は、両手で抱えるほどの大きさ。

 真っ白なリボンが結ばれ、金色の縁取りが施されている。

 見た目からして高価そうで、触れるのも少し緊張した。


 「ほんとに、開けてもいいの?」

 「もちろんですわ!」


 フィオレッタの瞳が、期待にきらめいている。

 リリスはそっとリボンを解き、箱の蓋を開けた。


 ――そして、固まった。


 中にいたのは、ふんわりとしたドレスを着た西洋人形だった。

 淡い銀髪に赤と紫の瞳――まるで鏡を見ているように、自分と同じ色合い。

 顔は少しデフォルメされていて、頬がぷにっとしている。

 それなのに、どこか上品で可愛らしい。


 「……おぁ」

 リリスの声が自然に漏れる。

 指先でそっとドレスの裾をつまむと、細部まで丁寧に縫われているのがわかった。

 人形の手には、小さな宝石のペンダントまでついている。


 「これ……僕に?」

 

「すごく可愛いと思いまして!」


 あ、やっぱり。やっぱり“喜ばれると思って”のやつだ。

 いやまあ、気持ちは分かる。うん。

 人形の瞳を見つめながら、ふと頭の奥に違和感が浮かんだ。

……そういえば、僕って――幼女なんだったな。


 自分で自分を思い出して、妙に納得する。

 ただ、その現実が、胸の奥を少しだけ締めつけた。


 “この世界では、もう僕は子どもなんだ”

 ――その当たり前のことを、あらためて突きつけられる。


 「……どうですか? お気に召しましたか?」

 フィオレッタが不安そうに覗き込む。

最初はちょっと戸惑った。いや、かなり戸惑った。

なんせ中身は成人男性だ。可愛い人形を贈られてどう反応すればいいのか分からない。


でも、よく見ればすごく出来がいいし、表情も柔らかくて可愛い。

うん、これはこれでアリかもしれない。

何より、わざわざ僕のために選んでくれた、その気持ちが嬉しかった。


 「うん……すごく、かわいい。ありがとう、フィオ」

 「ほ、本当ですの?」

 「ほんと。たいせつにするね」


 その言葉に、フィオレッタの顔がぱっと輝いた。

 「うれしい……! リリス様の笑顔が見られて、わたくし……もう、それだけで!」


 勢い余って、リリスの手をぎゅっと握る。

 その温かさに、リリスの胸がふわりと揺れた。


 手を握られたまま、リリスは少し照れくさそうに笑った。

 その笑顔を見て、フィオレッタの頬がさらに赤く染まる。


 フィオレッタは椅子に腰を下ろし、箱の中の人形をうれしそうに見つめている。


「ふふ……やっぱり、リリス様に似てますわ」

「そうかな……ぼく、こんなにかわいいかおしてないよ?」


 「そんなことありません!」

 フィオレッタは身を乗り出し、

 「わたくし、この髪の色も瞳の色も、リリス様の方がずっと綺麗だと思いますの」と真剣に言った。


 リリスはたじろいで、思わず目を逸らした。

 「え、えっと……ありがと」

 (フィオって時々、距離が近いな……)


 頬の熱を誤魔化すように、リリスは咳払いをした。

 「フィオはさいきん、どう?」


 その問いかけに、フィオレッタはぱっと顔を上げた。

 「ええと……訓練は、相変わらず厳しいですけれど……!」

 頬に手を当てて笑う。

 「でも、少しずつですが、剣の型がきれいに決まるようになってきましたの。

 この前、おじいさま様にも褒められたんです!」


 「すごい……! フィオ、がんばってる」

 「えへへ……リリス様に褒められたら、もっとがんばれそうですわ」


 フィオレッタの声はほんのり甘く、

 その目はまるで春の光のようにやさしかった。


 その時――。


 カラン、と小さな音。


 気づくと、いつの間にかミレーユが静かに扉のそばに立っていた。

 「お邪魔いたします。お二人とも、少し温かいものを」


 驚くほど自然な動きで紅茶を用意し、

 湯気の立つポットから二つのカップへと香り高い液体を注ぐ。

 琥珀色の紅茶が光を受けて揺らめいた。


 「まぁ……ありがとうございます、ミレーユさん」

 「お気になさらず。ちょうどお茶の時間ですので」

 ミレーユは優雅に一礼し、

 「リリス様も、少しお身体を温めてくださいませ」と微笑んだ。


 (いつの間に入ってきたんだろう……)

 ミレーユは影のように静かで、けれど確かな安心をくれる存在だ。


 「ん〜、いい香りですわ……」

 フィオレッタはカップを手に取り、うっとりと目を細めた。

 「リリス様とこうしてお茶を飲めるなんて、夢のようですわ」


 「んえ……へへ」

 リリスは頬を掻きながら笑った。

 (でも、そんな風に言ってもらえるのは……少し嬉しい)


 その後も、取りとめのない話をしながら、

 紅茶の香りとともに穏やかな時間が流れた。


 けれど、ふとフィオレッタの表情が曇る。

 「……あの、そういえば」


 「うん?」

 「最近、各地で少し気になることが起きているんです」


 リリスは瞬きをした。

 フィオレッタは少し声を落とす。

 「グラティオル大陸の北部――アスティエ高原や、

 東のリュメル湿地帯、南のアルヴァ峠などで……

 正体不明の軍勢が、村や補給所を襲撃しているそうです」


 「……軍勢?」

 「はい。妙な魔力を帯びた集団だとか。

 噂では、“死んでも動く兵”がいたとか……」


 ぞくりと背筋に冷たいものが走った。

 ミレーユも手を止め、わずかに眉をひそめる。


 「まだ噂の段階ですが、少し気味が悪いですわ。

 でも、王都ノクタリアは結界に守られていますし、

 お城の中なら安全だと思いますが……」


 「……そっか」

 リリスは小さくうなずいた。

 (“死んでも動く兵”……?)

 頭の奥で、嫌な予感がかすめた。


 もう少し詳しく聞こうと思って口を開いたとき――。


 「――あっ」

 フィオレッタが慌てたように立ち上がった。

 「ご、ごめんなさいっ! 稽古のお時間でしたわ!」


 「え?」

 「楽しい時間はすぐにすぎてしまいますわ!走れば間に合うはずですの!」


 慌ててドレスの裾をつまみ、扉へ向かう。

 その姿はまるで小鳥のように軽やかだった。


 「また来ますわ、リリス様!」

 「うん、またね」


 笑顔で手を振るリリスを見て、フィオレッタの頬がまた少し赤くなる。

 「はいっ……!」


 そして彼女は、ぱたぱたと駆け足で廊下の向こうへ消えていった。


 残された部屋には、紅茶の香りと、彼女の余韻がふわりと漂っている。

 リリスは湯気の向こうを見つめながら、小さく呟いた。


 「……なぞの、ぐんぜい」


 温かな紅茶の香りの裏に、世界のどこかで、確かに不穏な気配が動いていた。

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