10:永遠平和のために
それでも、宇宙空間上に浮かぶ白鯨の神獣〈氷のマザラン〉は止まることがない。アルマによる観測施設の掌握を阻止しようと惑星中から集まった多種多様なトーテムたちだったが、飛び交う氷塊の前に、前進することすらかなわない。
だがその中に頭一つ抜けた運動性で学園都市を突き進む獅子のトーテムの姿があった。そのトーテムだけは無数に降り注ぐ氷塊の間を縫って進み、加速。アスファルトを踏みしだいて跳躍し、廃ビルの外壁を走り抜けて氷塊を翻弄し、ますます勢いづく。
久遠とそらが乗るトーテム=ナラシンハだ。
『グラビティスタビライザ固定。背部放熱翼展開確認。久遠先生! 後方確認!』
『被弾した獅子型神獣が二! まだ氷塊の一部を引き受けてくれてる!」
『了解。一点突破だ! 派手に行くよ!』
そらは操縦席でアームレイカーやフットペダルをガシガシと動かしながら『人工単子維持良好。重力鋲開放。壁面走行終わりまで三。ここ!』と必死そうな形相でトーテムを駆る。ビルの壁を蹴って空中高くに舞い上がると、トーテムは錐揉みし、前脚の爪で追尾してくる氷のつぶてを切り裂いた。複座に座る久遠は空を指さし、そらに問うた。
『あれはなんなんだ。氷のマザランが割れて、クジラのトーテムにでもなったのか?』
『恒星間移民船〈トーテム=マザラン〉、氷と重力を司るトドゥル最大の神獣の一つ。それがトドゥル第一衛星の正体さ。この星は元来、衛星の一つもない。トドゥルの自転周期を調整するために、マザランに搭載した重力鋲を使っているんだ。あれを覆っていた巨大な氷は、もともと宇宙を旅するマザランを守るために使われる防護機能なのさ』
『つまりあいつはトドゥルの要で、この星の環境自体を左右しているから、壊すことも無力化することも許されないってわけだ』
『そういうことだね。さて久遠先生? この衝突を止めるために、僕たちはマザランに勝ってはいけない。出来うる限りOSF棟に漸近して、マザランに指示するアルマを無力化、ないしは説得しなくては収まらない。僕の役目は、あなたを送り届けることだ』
そんな二人のいるコクピットに、無線が届く。
(……どうして、そこにいるのですか? そんなものに乗って、気でも触れたんですか)
アルマの声だ。
久遠は『考えたんだ』と答えた。
『なんであんたを生んだのかとか、そんなことどうだってよかったんだろうなって』
(どうだって、いいですって?)
『雲野久遠研究員はあのとき地球で、方舟主義にも再建主義にも、転生主義にも命を狙われた。絶望していたんだ。世界を救うってことに』
(だから自分だけ記憶を消して、すべてわたしに押しつけた!)
『単純なことだった。久遠研究員はあんたを独りにするべきじゃなかった。責任をすべて押しつけて、ひとり立ちさせた気になるべきじゃなかった。生まれた子が生まれたくなかったなんて言わないくらい、親が寄り添えばいいだけの話だったんだ。それなのに、おれは……』
(それが出来てないから、どいつもこいつも親失格なんでしょうがあああッッッ!)
アルマが金切り声で叫ぶ。
(なら生むべきじゃなかったんだ! あなたも! わたしも! 寄り添えないのに! 責任を負いかねるのに! 拙い想像力で命を生み出す権利なんて、あるはずないのにッッッ!)
呼応するようにマザランが遠吠えをあげ、また大気から無数の氷塊をつくり出す。氷塊はマザランが発する指向性重力波によって自在に飛び回り、そらと久遠の駆るトーテム=ナラシンハに降り注ぐ。そらは回避行動をコンピュータに任せながら、手近な立体映像インターフェースに指を走らせた。そらの「戦闘中錬金出力! トーテム=ナラシンハ、B3地対空迎撃モジュール展開!」という詠唱とともに、ナラシンハは神獣の立体映像を解除した。
黒い獅子の姿が掻き消え、機械で出来た神獣本来の骨格が露わになる。骨格は瞬時に展開し、虹色の光に包まれる。トーテムシステムが持つ最大の戦闘能力。それは内蔵する錬金炉を使い、戦況に最適な武装をその場で創り出す力。そらはナラシンハの錬金炉で小型の誘導弾を無数に作り出すと、降り注ぐ氷塊に向けて一斉に放った。誘導弾は次々に氷塊に着弾し、青空を爆風が焦がす。ナラシンハに廃墟都市の幹線道路を疾駆させながら、そらは言った。
『そうだ。僕たちは間違っているんだ。自分と違う意見を封殺して、敵と味方というわかりやすい線引きで世界を理解したつもりになっているんだ。だけどそうやって自分に耳障りのいいことばかり聞いていたって、誰とも寄り添えあえない』
『だからおれたちニンゲンは子どもを生むんだよ! 君たちの考えを聞きたいから! 新しい考え方と議論したいから! そのために雲野研究員はアルマを生み出したんじゃないのか!』
(だ、ま、れぇえええええッッッ!)
アルマの金切り声とともに、マザランが無数の生体荷電粒子砲を地上に向けて放つ。その紫色の火線の数は数え知れない。何十、いや何百にも及ぶ荷電粒子の奔流は、マザラン自身の重力波やコリオリによって湾曲し、地上を疾駆する無数のトーテムたちを穿いた。
山麓に集結していたトーテムの軍勢の過半数を、たった一撃で沈黙させたマザランの荷電粒子砲。さなぎと久遠の乗るナラシンハも例外ではなく、直撃は免れたものの降り注ぐ氷塊と飛散する粒子の欠片で大きく損傷し、そのまま幹線道路のアスファルトに倒れ込んだ。そらは口惜しそうに『機体損傷率が6割を超えてる』と漏らすと、無線を開いた。
『各機通達! 本機は転生主義、雲野久遠研究員の人工単子を積載している。繰り返す。本機は転生主義、雲野久遠研究員の人工単子を積載している。これをアルマの元まで届けたいが、本機は稼働の限界だ。咆哮通信を使う。各機通信を中継して彼を送り届けてくれ!』
『おいそら、何を言って……』
『久遠先生! トーテムには咆哮を使ってデータを送受する機能が備わってる。偏った重力環境下で最も確実な通信だ。これからナラシンハの咆哮に載せて、あなたのデータを別のトーテムに送り届ける。あなたは別のトーテムに移って、またアルマの元を目指すんだ!』
そら有無を言わさず、コンソールに手を伸ばした。
必要な入力が済むと、仮想空間上の久遠の身体が解けていく。
視界が途切れる直前、久遠はそらに告げた。
『おれはアルマを止めたい。だけどそれは、地球人のためじゃない。おれは雲野久遠研究員じゃなくて錬金術師の雲野久遠なんだ。地球人か、トドゥル人かなんて決められない。どちらの魂も保存して、判断を次代に先送りしたいんだよ。それで君はいいのかよ』
アルマに必要なのは、この世界に必要なのは、他人の意見だ。世界を守るために、たった一人で同じ感情をリフレインさせたって前には進めない。悩んで、話して、たまにはケンカして、寄り添い合うから前に進める。世界は一人だけで成立するものじゃないからだ。だからおれは選べない。地球人は残さず観測して、トドゥル人の眠る墓所も全部守り抜くんだ。
『それでいい。あなたが何者でも構わない。僕たちはくだらない土地の問題のため、トドゥル人を蹂躙した。取り返しのつかないことをしたと思う。アルマはトドゥル人にも、地球人にも寄り添おうとして、双方を裏切る結果になってしまったんだ。自分にも他人にも絶望して、死にたいけど死にきれない、だから生まれたくなかったって自分を追い詰めている』
『アルマのいるOSF棟までは、あと八キロか。地べたを張ってでも辿り着いてみせるよ』
『頼んだよ。雲野久遠……くん!』
トーテム=ナラシンハは月に吠えた。瞬間、久遠の視界が暗転する。久遠の意識は再び人工単子という電子情報にパッケージされ、音の波に変換されたのだ。咆哮はトドゥルの空に木霊し、マザランやアルマに戦いを挑む、他のトーテムのもとへと送り届けられた。
気づいたときには久遠は別のキツネ型トーテムのバーチャルコクピットにいた。操縦しているのは、見知らぬ青年の人工単子。青年は『雲野研究員を観測した! 前に進む!』と言って、トーテムを前進させた。だが、すぐにマザランの氷塊の餌食となってトーテムは大破。青年もそらと同じように久遠をデータに変換し、トーテムを吠えさせた。
『俺が進められたのはたった七百メートルだが……すぐに次のトーテムに送るからな!』
咆哮は特定の周波数となり、次のトーテムへ、また次のトーテムへと久遠のデータを送り届けた。彼らは降り注ぐ氷塊の中を走り抜け、少しでもアルマに向かって前進して、久遠という魂のバトンを繋ぐ。飛び交う氷塊に被弾して、次々に大破していくトーテムたち。そのたびに久遠は、咆哮の波に乗ってデータとして脱出し、無数のトーテムを中継していった。
一キロ、二キロ、三キロメートル。時に空を羽ばたく鷲の神獣になって、廃墟を駆ける水牛の群れになって、アスファルトを踏みしめる巨象になって、運河を泳ぎ抜ける海豚の群れになって、久遠のデータは少しずつアルマの立つOSF棟へと近づいていく。
トーテムのバーチャルコクピットを次々と乗り継いでいくたびに、久遠はトーテムに宿る数々の転生主義の地球人と出会った。彼らはバーチャルコクピットに久遠を載せてトーテムを前進させ、降り注ぐ氷塊をくらって動けなくなる前に、また月に向かって吠え、久遠のデータを次のトーテムへ、次のトーテムへと繋いでいくのだ。
――『俺は雲野研究員を許したつもりはない』『貴様のせいでこんな世界になった』『妻と娘を待ってるんだ』『そのためにトーテムにも志願した』『みんなあなたを待っていた』『責任を取りなさい』『地球にいた頃から一度先生と話してみたかったんだよなあ』『結構かわいい顔してんじゃん』『許されるなんて思ってない』『トドゥル人を滅ぼすことが人類のためだと信じていた』『アルマを追い詰めたのは我々神獣も同じ』『なら人生ってやり直せるかな』『やり直せないよ』『でも生きてるなら償うことはできる』『誠意を示すことはできる』『寄り添いなおすことはできる』『だから』『だから――』
いろんな人たちがいた。子どもも大人も老人も。トーテムを駆る彼らの声が久遠の背中を押す。希望も絶望も、恨みも苦しみもやるせなさも。五万年分の思いの累積が、久遠の人格を更新していく。何十機ものトーテムを乗り継ぎながら、何十人もの地球人と出会いながら、久遠はOSF棟へと急いだ。また撃墜され、今度はフクロウ型のトーテムに観測された久遠。操縦席に座るまだ幼げな少年に声をかけることもせず、無線に声を吹き込んだ。
『こちらトドゥル王立第伍霊園附属緑化推進資料館、国定錬金術師第三十号、雲野久遠。きみたちが雲野久遠研究員と呼ぶニンゲンの人工単子データは、現在複数のトーテムを中継しながらアルマのもとへ急行している。だけど、データだけでは彼女のもとに着いても何もできない。誰でもいい。おれを、雲野久遠の肉体を再度錬金炉で印刷してくれないか』
久遠の傍らでフクロウ型のトーテムを駆る少年が『まさか、この状況で人体錬成をやるんですか!』と呟く。トーテムは降り注ぐ氷塊を生体荷電粒子砲で撃ち落としながら、摩天楼のような廃ビルの隙間を驚異的な速度で低空飛行していく。
『無茶苦茶だ! この氷塊を避けながら、あなたのデータをロストせずにこれだけのトーテムで中継しているのだって奇跡みたいなものだっていうのに!』
久遠は座席にしがみつきながら『奇跡が一回だけだって誰が決めた!』と吠えた。
『おれはアルマを止めたい! 電波望遠鏡を守って、この星に地球人を迎え入れたい! 見てみたいんだ! もし幾光年の垣根を越えて、いつか違う星の人々が手を取り合える世界があり得るのなら! そのために祈り続けた女の子がたった一瞬でもいてくれたのなら!』
一緒にこの果てない星空を見上げたあの日。いのりは確かに言ったんだ。いつか光速の壁を超えて、時間も空間も超えて、遠い星の人、すべての人と手を取り合える、そういう時代が来てほしいって。そのために祈るんだって。それはきっと、自分のことをアルマだと忘れていたからこぼれた言葉。記憶の誤謬が生み出したエラーのような言葉。
だけど、と久遠は自答する。人間の人格は記憶によって決定される。成功体験がたくさんある人は、大胆で挑戦的な性格になる。逆に失敗体験がたくさんある人は、引っ込み思案に。膨大な記憶とそれによる行動選択の傾向の総体。賢者の石や人工単子は、ヒトの記憶をデータとして記憶することで人格の電子情報化に成功した。だけどおれは、たとえ記憶が編集されていたって、欠落していたって、あのときのいのりの言葉を本物だと思ったんだ。
『魂は空虚だ。言葉は音の並びだ。記憶はゼロとイチの集合だ。身体は分子の塊だ。もともとはなんの意味もない。この世界は〝在る〟だけでなんの意味もない。そんな世界をつくり出した片棒をおれが担いでることもわかってる。それでも、おれは! おれたちは、そこに意味を見いだしたい! 魂を電子情報化したからこそ、気づけたことだってあるはずだから!』
アルマやいのり。それだけじゃない。トーテムの中にいる今のおれだって、転生主義のパイロットたちだって、結局はニンゲンのかたちをした画像や映像、ニンゲンの言葉を模した声や言葉、人形みたいなものなんだ。ただの電子情報で、それ以上でもそれ以下でもないんだ。だけどそんな無機質な情報が絡み合って、熱を生んで、世界を動かす。
今はまだ、この世界は滅んだままで。なにかが動いても、風が吹いたり、果実が地面に落ちたりするのと同じ。だけど大丈夫。きっと希望は残ってる。おれはそれを知っている。世界を形作るのは、おれたちを人間にしてくれるのは、対話できる誰かの存在だって。
『だから祈るんだ! 前に進むんだ! 永遠平和のためにって! 清らかな日々のためにって! 明日のためにって! だからお願いだ! おれに力を貸してくれ! おれをこの世界に……この先の見えないどうしようもない世界に、もう一度だけ産み落としてくれ!』
おれがアルマにとっての、誰かになるために。
フクロウのトーテムもまた、降り注ぐ荷電粒子砲や氷塊で針のむしろにされつつあった。
全トーテムに無線で伝ったはずの久遠だったが、返答は無い。
やっぱり誰も応えてはくれないか。
そう久遠が諦めかけたときだった。
ザザーッというノイズに雑じって、はるか前方で戦うトーテムの一機から通信が入った。
(人工単子適合工程の直前まで、人体錬成を進めておく! あなたを観測したらすぐにあなたを印刷できる状態にしておくってことだ! 無事にここまで……来れるか!)
中性的な青年の声だった。
久遠とフクロウのトーテムの少年は顔を見合わせた。
『地球人の運命も、トドゥル人の運命も、あなたの肩にかかってるってことか……』
少年の『面白いよなあ』という呟きは、久遠には聞こえなかった。
少年はフットペダルをキックダウン。フクロウのトーテムに急加速をかけた。廃ビルの隙間と降り注ぐ氷塊や荷電粒子、それらすべてを掻い潜り、空を舞う。
『うわっ!』と久遠が悲鳴をあげた。
『少し強引に進みます! 舌は噛んでも痛くはない!』
二人のいるバーチャルコクピット内は何度も天地がひっくり返った。ときには頭上に地面が流れていく。仮想空間でなければとっくに久遠は酔い、吐いていただろう。
だが、それでも前に進めない。やがてフクロウのトーテムも大きく被弾し、地面に堕ちる。
高速度で地面に擦過する直前、少年もまた久遠を人工単子に再変換した。
ここまで繋いできた魂のバトンが途切れないように、名前も知らない少年が叫ぶ。
『進めぇーッ! トーテムッッッ!』
神獣がまた、月に吠える。
雲野久遠は、世界を駆け抜けた。




