4:わたしもう、空っぽで、破綻してるんだ
じゃりじゃりと高山地帯の乾いた赤土を踏みしめると、まもなく空が白んできた。冷たい夜の外気が錬金術で出来た擬似表皮の素肌を舐める。とても寒い。幽霊の身体だったときには感じなかった感覚だ。なんだか不思議。身体が寒くなると、心まで凍えてくるなんて。
凍える指先を揉みほぐし、白い息を吐きかける。ホムンクルスならではの人工筋肉の駆動音を響かせながら、アルマは周囲に建ち並ぶ白いパラボラアンテナや、トーテムによって整備された恒星光発電パネル、ドミノのように画一化された建築物たちの隙間を歩いていた。視界が開けた場所で立ち止まり、雲ひとつない東雲に散らばる星屑たちを見上げた。
「なにやってるんだろうなあ、わたし」
きっかけは成り行きと衝動に近かったが、計画自体はずっと温めていた通りに進められているとアルマは思った。天文台の地下駅に到着したのち、怪我をした久遠の腕を一応手当。彼が覚醒するよりも数日早く、アルマは第三天文台に到着していた。夜陰に乗じて神獣の死角を縫い、植物園の地下室から持ち込んだ銃火器や爆弾で電波望遠鏡の一部を破壊。これで、緩やかに進んでいた地球人の観測作業は一時中断したはずだ。
あとは山を下り、麓の山麓施設(OSF)棟に向かえばいい。電波望遠鏡で観測した情報を処理できるだけでなく、施設内に大量の錬金炉を備える中枢施設。占拠すれば、地球人の観測事業は事実上破綻し、墓所のトドゥル人を印刷する公算も立つ。
「そのためにわたしは、五万年も待った」
歩くのは嫌いじゃなかった。無心に歩いていると考えが整理されて、悩んでいたこともあっけなく解決したりするからだ。わたしはいまどこにいて、なにをしているんだろう。歩きながら、答えとなる景色を探し、彷徨う時間が好きだった。
だからわたしは天文台の電波望遠鏡を壊したのち山を下り、この山の麓に位置する学園都市遺構を目指している。未来を繋ぐ禁忌の錬金術が秘された伝説の地。トドゥル人たちが、そう呼んでいた地。だけどわたしも、完全に憶えているわけではない。この星のことも、この星で暮らした人のことも。記憶も、感情も、賢者の石を通して知り得た他人の記憶でしかない。錬金術のレシピと同じ。記録でしか、ないのだ。
わたしは彼の手によって世界を救うために産み落とされた。でも、世界ってどの程度の範囲を示す言葉なのか、彼は教えてくれなかった。
朝、アトリエの温室で彼が本を読んでいて、わたしがそれを邪魔したりして。たまにいろんなところに出かけたり、神獣に襲われたり、錬金術の素材を探してきたりして。
あの小さな範囲だけが、わたしにとってのせかいだったのだ。
そしてわたしは、あんな小さな世界すら、ありふれた日常すら、守ることが出来なかった。
彼を、失望させてしまった。
内緒にしていたつもりはなかった。だけど、なかなか言い出す口実が見つからなかった。
だって彼が……あんまりにも可哀そうに見えたから。
仲直りがしたいだなんて、口が裂けても言えない。ましてや許してほしいだなんて。
でも出来うることなら、もう一度彼に笑いかけてもらいたかった。面倒くさそうな気の抜けた優しい声で、もう一度わたしの名前を呼んでほしかった。
「贅沢な望み、でしょうか?」
五万年前の地球。雲野久遠研究員は電波望遠鏡を使った移民事業を立案し、その大役を自身の作った人工知能〈アルマ〉に任せた。アルマは雲野研究員が好きだった。JAXAが開発した球形情報端末にインストールされて、ふわふわと宇宙ステーションの中を浮きながら、彼と話すのが好きだった。思えば、あのころからずっとおしゃべり好きだった。
方舟主義の宇宙船に乗って地球を旅立ったときには、すでに雲野研究員は姿を消していた。聞いた話では、再建主義との協働を望まない転生主義の一部に神獣をけしかけられ、チリのアタカマ砂漠で行方をくらましたらしい。特に気にしてはいなかった。彼の人工単子は保存済みだ。トドゥルに着いて使命を果たせば、おのずとまた彼に会えると分かっていたから。
地球人の観測が間近に迫っていることは、五年前には分かっていた。このまま地球人を観測して、トドゥル人が忘れ去られてもいいのだろうか。わたしはなんの為に墓所を残し続けてきたのだろうか。考えても埒が明かないから、天文台の試験観測でお父さんの人工単子を観測したと聞いたとき、胸が踊った。彼に相談すれば、答えを得られると思っていた。
「なのに此処で目覚めたのは、何も知らない、記憶喪失のかわいそうな男の子だった」
彼はきっと、わたしを許さない。それで良いと、今は思う。わたしも彼をきっと、許すことができない。きっかけは些細なすれ違いだったけど、そのすれ違いを互いに擦り合わせようとして、互いに許されない仕打ちをした。だからわたしたちはずっと、このまま仲違いしたままのほうがいいのだ。二人の関係はきっと、壊れたままのほうがしあわせなのだ。
あの人と話すことにこだわればこだわるほど、わたしはダメになっていくし、過ちを繰り返してしまう。ならもう忘れるしかないんだ。あんな人はいなかったことにして、わたしに寄り添ってくれる人を大事にすればいい。最初から分かっていたことじゃないか。わたしは、傍に居たい人にこだわりすぎたせいで、逆にわたしの傍に居てくれる人を軽視した。結果としてわたしはどちらも失った。だけど、トドゥル人は今からでも救えるかもしれないのだ。
自滅的だなあ、と思う。これは、トーテムとの最終決戦なのだ。雲野久遠研究員から始まった播種事業を砕き、天文台の機能を簒奪してトドゥル人を錬金術で復興するための。
(本当にそれだけなら、なぜ久遠くんを植物園に招き入れたの?)
(決まってる。OSF棟の錬金炉工場を動かすためには事業責任者の生体認証が必要だから)
(それだけ?)
(彼の力は転生主義から墓所を守るのに有効だったから)
やがて山を下りきって、山麓に広がる学園都市の廃墟を抜け、OSF棟が近づいてきた。
そこは、真っ白で箱みたいな高い建物だった。
自問自答しながら、切り落とした久遠の右腕で生体認証を通過するアルマ。
難なく門を通過し建物内へ。
薄暗い研究施設を彷徨い、やがて外壁にせり出した外階段に出る。
白い外壁にそって外階段を昇る。まるで天国に向かう階段みたいだと思った。
「ああ、そうか。わたしもう、空っぽで、破綻してるんだ」
ここまでは、神獣の身体と同じホムンクルスだから出来たこと。ここから先は、異分子を感知したトーテムたちがこのOSF棟に押し寄せてくるだろう。
だからわたしたちは、決さなくてはならない。地球人かトドゥル人か。
「記憶を消せば、人生はやりなおせる。だけど変えられるのは自分だけ。結果は残る。世界は変わってくれないし、他人も変わってはくれない」
それって、絶望のようなことだと思う。
「自分で始めたことは終わらせなくてはならない。たとえそれが失敗に終わると分かっていても。頑張りが報われないと分かっていても。結果を受け止めてはじめて、わたしたちは前に進めるから。そうでしょ? お父さん」
何年も、何万年も、祈りも恨みも後悔も、再生産を繰り返して。
もう疲れた。
世界を救うのも、世界を壊すのも、もう飽きた。
今はただ、終わらせることだけを考えている。
すっかり破綻した、自分の書き始めた物語を、書き終えることだけを考えている。
「ああ、だけど」
アルマはふと思いついたように、目を伏せた。
「彼と暮らすのは、楽しかったな」
そう呟いたときだけ、アルマの口もとは楽しそうに弾んでいた。
だけどもう、止められない。




