2:おれの意思は
コンクリートで出来た地下空間を数時間ほど彷徨うと、やがて地上の花畑に出た。どうやらここはどこかの高山の麓のようだ。緩やかな高山の斜面を、鳩は歩きながら登っていく。手負いで出血過多の久遠にとって、鳩の歩幅はとても優しい歩幅に思えた。すぐ側を雲が流れていくさまは、さしずめ天空の花畑といった具合だ。
この美しい自然が半永久的に久遠の時を刻み続けてくれるのなら、案外人類が滅んでいたほうが世界にとっては都合が良いんじゃないかとさえ思われた。だけど自然から生まれたおれたちが作りだした文明の名残りも、それはやっぱり自然そのものなのだ。鳥が木くずを使って巣作りをするように、この世界にあるものを使って文明作りをしているにすぎない。久遠は自然や人工といった言葉の恣意さ加減を、うんざりに思った。
人の魂を電子情報化する人工単子の技術だってそうだ。人間の子宮から生まれた肉体に宿った魂も、人間が樹脂に1と0で刻み込んだ魂も、突き詰めてしまえば、どちらも自然由来の情報だ。人工という生半可な言葉で区別するから、本質を見失いそうになるのだ。
久遠はふと、人類は滅びたくても滅びきれないことこそが、人類にとっての不幸なのではないかと思った。根拠は無い。だけど人類は何度も地球を汚して、殺し合いをして、あまつさえ地球がだめになっても生き延びて、ようやくたどり着いたこのトドゥルという星でも殺し合って、また滅んだ。だけど人工単子という人の命を電子情報化する技術によって火種は残り、また息を吹き返すのだ。何度でも、何度でも。
この星の住人として生きたアルマは、墓所に眠る同胞を――トドゥル人を復興させようとしている。これから息を吹き返すのは、方舟主義の末裔であるトドゥル人の方なのだろうか。それとも転生主義の計画によって電波となった地球人のほうなのだろうか。
あのとき、人類は滅んだ。あのときも。あのときも。地球は滅んで、トドゥルも滅んで、いまアルマの叛乱によって電波化した地球人たちも滅びようとしている。せっかく電波と化したのに誰にも観測されないまま永遠に宇宙を迷子するとしたら、いっそ滑稽だ。
「なあ、おれはどうやら地球という星で昔は生きていて、そいつの情報が宇宙を飛んでこの星に来たんだってさ。で、おれはそいつと全く同じ肉体で生まれてきたんだけど、そいつの記憶は持ってないんだよ。だってそうだろ? おれの脳みそは新品同様なんだから。アルマが夢のなかで刷り込んでくれたおかげで、いのりがおれのことを雲野久遠って呼んでくれたおかげで、おれの言動は限りなくそいつに近づいたらしいし、アルマもおれとそいつを同列に語ってくるわけだけれど。どうしておれは雲野久遠に見えるのかな。おれって何者なのかな」
じゃりじゃりとした斜面に、背の低い高山植物が揺れていた。久遠を先導する白い鳩は時折早足に歩きながら、時折縮んだ距離を開けるように羽ばたきながら、高山を進んでいく。
久遠は目を伏せると「おれの意思は誰のものなのかな」と呟いた。
傍目からは雲野久遠という人物として成立している。その事実が薄気味悪かった。おれ自身、自分が久遠かどうかわからないのに、他人はおれを久遠だと信じて疑わない。それって人形遊びみたいものじゃないか? いのりは、魂なんて無いって言ってた。人間と人間の間にあるコミュニケーション、情報のやりとりによって人間や人格が形成されるなら、おれ自身の肉体や意思というのは、おれをおれたらしめるほど重要なものではないのかもしれない。
しばらくして、ウゥゥという唸り声が響いてくる。丸腰の久遠は怯えたように千切れた左腕を庇ったが、白い鳩は構わず進んでいく。すると目の前に、飢えたようなハイエナが現れ、白い鳩に牙をむいた。鳩は抵抗する間もなく、ハイエナの歯牙にかけられ、くわえられたまま巣穴まで連れて行かれてしまった。
「ちょっ、待……!」
あまりにも突然のことだった。久遠は悲鳴を上げることすらできず、短い旅をともにした鳩がさらわれていくのを見守るしかなかった。伸ばした右手が滑稽だった。
やがてどこからともなく、別の白い鳩が一羽飛んできて、久遠の前を歩き出した。
何食わぬ顔で、当たり前のように。
それがなんだかとても可笑しくて、久遠はくすくすと笑いだしていた。
そして、友達に語りかけるように言う。
「きみはさっきと同じ鳩なのかな。それとも……」
もちろん、別の鳩だということくらいわかっている。
それでもその問いは、一生をかけて考えるに値する問いだと久遠は思ったのだ。




