3:ようこそ、アルマのアトリエへ
久遠は目をつむっていた。暗闇のなかの久遠は、子守唄を聞いていた。
やさしく語りかける女の子の歌声だ。
(……でも、これは夢じゃない)
久遠は自分に言い聞かせると、寝返りをうった。
たぬき寝入りをして、自室のベッドに横たわっているだけだった。
『久遠さーん、寝ちゃいましたかぁー?』
しばらくして、いのりが久遠の様子を伺いに来た。……鼻歌を歌いながら。
『眠れないのですか? ……って、ぐっすりですよねえ。あなたがここに来たばかりのときとは、大違い。……眠れるようになって、良かったですね』
いのりは久遠の前髪に手を伸ばすと、あどけない寝顔にくすりと笑った。
いのりは再度『眠らないんですか?』と久遠に問いかけ、答えがないことを確かめた。そしてかすかな吐息とともに、久遠の耳元に顔を近づけていった。
『……あなたは夢を見ていた』
「…………っ!」
久遠は、心臓が跳ね上がるのを必死に抑え込んでいた。
『夢のなかのあなたは、白い部屋にいた。あなたがここに来る前……〝地球〟での記憶。あなたは宇宙飛行士で、天文学者で、いつも独りぼっちだった』
寝ている久遠に耳打ちをして悪夢を見せようとするいのり。久遠はようやっとして、自分は自力で記憶を取り戻しているのではなく、睡眠中の〝刷り込み〟によって記憶を植え付けられていたのだと悟るのだった。
「……やっぱり、いのりがアルマだったんだな」
『……っっ!』
おもむろに発した諦め気味な声。いのりは冷や水を浴びせられたように表情を変えた。
久遠は目を覚ましていた。いや……。
『寝たフリ、ですか?』
「眠れなかったんだ。ただそれだけのことだよ」
『あまりいいシュミとは思えませんね』
「その言葉、そっくりそのまま返してもいいのかね?」
掛け布団を退けながら、久遠はゆっくりとベッドで上体を起こした。
久遠は、いつになく淋しそうな顔をしていた。淋しそうに、いのりから視線を逸らしていた。
「話を、しないか?」
『奇遇ですね。わたしも、ずっとそうしたいと思ってました』
「だけどなかなか、踏ん切りがつかなくて」
『ここは、二人だけの心の聖域。この生活が、心の底から心地よかったから』
「壊したくなかった。でも……」
久遠は奥歯を噛みしめるように、核心に触れた。
「あの悪夢。全部そうやって、いのりが見せていたんだよな」
『いつから……気づいていたんですか?』
「予感だけなら、ここへ来た最初の日の夜から。確信したのは、いま」
久遠は悔しそうにシーツを握りしめながら「気のせいであってほしかった」と滲ませた。
「おれが記憶を取り戻すのは、いつだってよく眠ったあとだった」
久遠は「いや、それだけじゃない」と続けた。
「この植物園に来てから、ずっと疑問に思ってた。オシラサマは錬金炉の発する重力波にアテられて墓所を襲ってくる。なら、おれが最初にここへ来たとき、あの黒いイノシシのオシラサマは何を感知してここを襲ってきたんだろうって」
『それは……』
「幽霊だから錬金炉に触れられないって思ってた。でも本当は違うんじゃないかって。おれが知らないってことは、おれが目覚める前に誰かが錬金炉を使って、何かを出力したってことなんじゃないかって。そしてあのとき植物園にいて、それができたのは……」
『……お願い、だまって』
「いのりが一人で錬金炉を使ったとしか考えられないんだ。いのりは、あのとき……」
『やめて……! 言わないで……!』
「いのりはあのとき……錬金炉で何を印刷したんだ……?」
二人の関係が、壊れる音がした。
だけど、もしかしたら、最初から壊れていたのかもしれない。
何秒、何分、沈黙が続いていたのだろう?
いのりは俯いたまま、答えた。
『わたしは錬金炉を使って、あなたを印刷しました。お父さん、あなたの身体を』
「父さん? おれの、身体だって?」
話が見えない、と言わんばかりに困惑する久遠を前に、いのりは椅子から腰を上げた。
ビー玉みたいな桜色の瞳を、震わせながら。
『長い話に、なると思います』
いのりは久遠を連れ、地下室の扉の前で足を止めた。
『あなたの推論はいつだって正しい。あなたがこの向こうから来たという推論も……』
太刀に憑依したいのりは透けた指先で、地下室の扉の鍵穴をさした。
それからスッと歩きだすと、扉をすり抜けて、向こう側へと吸い込まれていった。
久遠は、いのりと駆け抜けたこの一ヶ月を、なんてバカらしい日々だったのだろうと思った。
ずっと鍵が開かないと思っていた地下室の扉。
だけど彼女はずっと、来る日も来る日も、ここを行き来出来たんじゃないか。
おれはいのりに騙されていたんだ。
一ヶ月もいのりと馴れ合ってきた自分が、ひどく滑稽に思えた。
扉の向こう側で、カチッという鍵の開く音がした。軋んだ音とともに、扉が少しだけ開く。
扉のわずかな隙間から、いのりが顔を覗かせた。
『ようこそ、アルマのアトリエへ』
地下室に続く木造りの扉が、ゆっくりと開いていく。
そして、水音が流れ始めた。




