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アトリエアルマ/錬金術師型電波望遠鏡  作者: 朝野神棲
第惨話 いのりのアトリエ
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1:わたしたちにこころなんて

 六月六日。図書館塔での一件から二週間ほどが経っていた。梅雨時だからだろう。この頃は雨が多く、遠征や踏査に出かけることも減り、もっぱら錬金術の勉強や墓所の復興に時間を割く日々が続いていた。


 いつもの朝。植物園の温室。湿気が増し、深い緑の匂いに包まれている。


 久遠は「ふわ……」とあくびを噛み殺した。


 また雨の匂いがした。あの地面から立ち上ってくるような雨の薫りを、ペトリコールと呼ぶらしい。植物から生じた油脂が地面や石に染み付いて、雨とともに溶け出すのだ。


 窓を閉め忘れてしまったのだろうか。しとしととガラス窓に打ち付ける雨粒の音に耳を傾けながら、久遠は読んでいた本から顔をあげた。全天ガラス張り、ピラミッド型の小さな温室。ベニノキを中心にした東屋。レンガのデッキに置かれたミニテーブル。


 遠くガラスを叩く雨脚は、まるで水琴窟の中にでも居るような心地にさせられる。読書には不向きな、本を傷めてしまいそうな湿度のなかで、久遠は午前の日課の読書を続けた。しばらくして、噴霧器と散水器の低い作動音が温室に響き渡った。


『あ、こんなところにいた。錬金炉の朝の出力、終わっていましたよ。予備の結界石と神獣誘導用のアロマアンプル。それから、わたしが頼んでおいたプランターや栄養土も』


 現れたのは、二十歳前後の背格好の大人びた女の子。色素の薄い桜色の髪、血のように淡い桜色の虹彩、絹のように真っ白い肌。アルビノを思わせる儚げな容姿の持ち主で、頬にはそばかす、長い桜色の髪は三つ編みのおさげに。服装は古びたエプロンドレスと、田舎娘然とした色気のない装いだ。音もなくレンガ畳の花壇を歩いてくる。


 特異なことがあるとすれば、それは彼女が幽霊のように半透明であるということ。ときおりブロックノイズのようなものが奔っているところから考えれば、幽霊というよりも……それは立体映像に近い存在なのかもしれない。


 温室を見回すと、管状の噴霧器が張り巡らされているのが分かる。植物に水分や栄養分を提供するだけでなく、液晶状の霊素をまんべんなく噴霧することで、立体映像の投影が可能な環境を構築している。いわば植物園自体が、アルマの器と同じ役割を果たしているのだ。


『久遠くんが来てくれてはや一ヶ月。墓所や植物園の復興も、大詰めって雰囲気がしますね』


「錬金炉と、その使い方を教えてくれる師匠のおかげかも」


『あら、殊勝だこと』


「おれたちはたぶん、二人で一人の術者だから」


 いのりは少しだけ驚いたように頬を綻ばせると、東屋の椅子に座った。そしてミニテーブルの上で指を組むと、温室の窓を打つ雨の音色に耳を澄ませた。


『でもね? さいきんは、思うんです。お互いの記憶が戻るまで、心の傷が癒えるまで、トドゥルの復興はべつに急がなくてもいいんじゃないかなって。こうやって静かに心穏やかに過ごす日が、しばらくは続けばいいのになって』


「おれがここで暮らしてるのだって、せいぜい一ヶ月。トドゥルが滅んでからいのりが過ごしてきた五万年を思えば、誤差の範疇みたいなものだろ」


『でも、久遠くんは?』


「人類なんて、おれとあんたの二人くらいがちょうどいいって」


『もとの世界に戻りたくないんですか? やり残したこと、会いたい人、いるでしょう?』


「会いたいひとか……思い浮かばないかなあ」


『うそつき』


 半目で久遠をたしなめるいのりの声は、いつになく艶っぽかった。


 久遠はボールペンを投げ出すと、言った。


「なーんか、こう、文章を考えるのってめんどくさいよな」


『手書きの記録は大切ですよ?』


 久遠は諦めたように書きかけの日誌を閉じ、ミニテーブルの上の絵本と折り紙を指さした。


「それよか、いのりに頼まれたからこの絵本と折り紙を運んできたんだけど」


 いのりは「んー!」と伸びをしながら答えた。


『ああ、日誌を探していたら絵本が見つかったんです。折り紙に関するものだそうで』


「ふーん」


 久遠は興味なさげに絵本や折り紙の束をめくったり閉じたりしていたが、しばらくして何を思ったのか、ねずみ色の折り紙を一枚手に取って、ぽつりと呟いた。


「せっかくだし、何か作ってみようか……」


『では、このひな鳥さんたちを!』


 いのりははしゃぐように、絵本の中の一頁を指さした。


 久遠は「ん」と小さく頷くと、折り紙を丁寧に折り畳んでいった。


 ぱたぱた、ぱたり。


 あっという間に、ぱくぱくとくちばしが動く、可愛らしい折り紙のひな鳥が出来上がった。


「でも、なんだって折り紙でひな鳥なんかを……」


『昨夜、この温室に蛇が出まして』


 いのりは目を伏せると、じつに言いにくそうに切り出した。


「!」


 それを聞いた久遠は血相を変えて立ち上がると、ベニノキの枝の付け根へ駆け寄った。


「……道理でひな鳥の声がしないと思った」


 久遠は落胆するように、そう声を絞り出した。


 そこには、空になった鳥の巣があった。昨日までは小さなひなたちがたくさん棲んでいて、その成長を見守るのが久遠の密かな楽しみだったというのに……。


 肩を落としてミニテーブルに戻る。


 久遠は鬱々とした表情で折り紙のひな鳥を手に取ると、空になった巣にちょこんと置いた。


 まるでいのりに、そうするように仕向けられた気分だった。


『親鳥が可愛そうだと、思われますか?』


「いや、性根が悪いなと思って」


 臆することなく久遠がそう答えると、いのりは困ったように苦笑した。


『消去主義的唯物論。古代液晶文明の心理学者、ローレンツによる実験です。彼は親鳥の餌付けに着目し、今のような実験を図りました。手順は簡単で、折り紙を置くだけ』


 いのりは雛鳥の形を模した折り紙を一瞥すると、椅子に戻っていった。そしてミニテーブルを挟み、久遠と向かい合うようにして座った。


『久遠くんは、こころやたましいの存在を信じますか?』


「逆に訊くけど、いのりは信じないのか?」


『非錬金学的な考え方だと思います。……ほら、親鳥が帰ってきました』


 ちーちちち、という可愛らしいハクセキレイの囀りがピラミッド型の温室に響く。


 親鳥がひなの餌を持って帰ってきたのだ。


 哀しいかな、何も知らない親鳥はくちばしに咥えた毛虫を折り紙のひな鳥に口移しする。


 結果はわかりきっていた。


 ぽとり、と親鳥の持ってきた餌が地面に落ちた。

『親鳥に愛情こころなんて無かったってことです』


 また餌を探しに窓から出ていった親鳥を見送りながら、冷ややかに告げた。


『オペラント反応。親鳥はひな鳥のくちばしの形や色、そういった〝記号〟に対して反射的に反応しているに過ぎなかった。反射と反応の総体。それを愛とか、心とか、魂とかって勝手に呼んでるだけなんです。そしてそれは、わたしたちも一緒』


「恋も、愛も、思いやりも、脳みそがとった最適な行動でしかないって言いたいのか」


『ええ』


「なら、おれは……おれはいま、立体映像で構成された永久野いのりっていう〝記号〟に話しかけてるだけ……それが傍目からは人間同士の会話として成立してるように見えるだけ……そういう捉え方だって、できてしまうんじゃないか?」


『ええ、だってそうでしょう?』


 額に手を添えて考え込んだ久遠に、いのりはいのりらしからぬ蔑んだような視線を送る。


 まるで、それが何かの意趣返しであると言わんばかりに。


『わたしたちにこころなんて、無いんです』

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