14:オシラサマの遺骸です
いのりは足早に樹海を進んだ。幽霊ならではの浮遊感の伴った歩き方。徒歩で歩くしかない久遠は必死でいのりの背中を追いかけた。いのりは何やら考えごとにふけっているようで、背後で木の根っこにつまづく久遠を気にも留めない。
「なあ」
『…………』
「なあってば」
『……なんです?』
やっといのりが久遠を顧みた。
「神獣って、なんなんだ?」
『オシラサマとは、いわばこの星の生態系の頂点に位置する存在です。彼らの存在があるからこそ、全人類が逝去したあとでも、この豊かな自然が保たれ続けているのです』
木漏れ日の中をぴょんぴょんと軽やかにステップしながら、いのりは踊るように謳い上げた。まるでおとぎ話の演劇のように。
『はるかな昔、わたしたちの始祖は星々の海原を巡る方舟に乗ってこの星に辿り着いたと、そう伝え聞いています。彼らは僅かな島と広大な海しかなかったトゥルドの大地に根を下ろし、神獣を従えてこの星に命の種を蒔いていったと云います。そして神獣は人間と共に、大地を耕し、共に手を取り合って生きていた時代もあったそうです』
「だけどその神獣が、最後には人間に牙を剝いた。人々を結界石の内側へと追いやり、その境界線を徐々に狭め、遂にはこの星を人間の墓で埋め尽くした。どうしてだ? 神獣はどうして人間に刃を向けたんだ?」
『その答えは、この樹海のどこかにあるはずです。だからこそ、今わたしたちはあのヒグマの神獣の足跡をつけているのです』
「この樹海に?」
『結界石や錬金炉の修繕、そのための素材の調達が今回の目的とわたしは言いましたが、これは別の目的も兼ねています。というのも、必要な素材の多くは神獣の棲息域でしか採れないものです。つまり素材の収集は直接、神獣の動態を調査することにも繋がります』
「なぜあのイノシシの神獣が墓所の中まで入ってこれたのか、ってことか?」
『ひいては、この五万年間神獣の脅威を遠ざけてきた結界石が、どうしてこの期に及んでヒビ割れる事態になっているのか、です。久遠さんがまるでキノコのように、ひょっこりと植物園に迷い込んできたこととも何ら関係があるやもしれません』
「そのために、神獣の側まで行くことが目的だったってことか」
『はい。あのヒグマの神獣が木道を直しているのだとすれば、この近くに別な神獣がいたとしても不自然ではありません。神獣と人間が意思を交わすことは稀ですが、神獣同士はどうしてなかなか互いに交流を図る傾向がありますから』
やがて森の中の開けた場所に出た。そこに佇んでいたのは、二人の身の丈の数十倍はある神獣の遺骸だった。骨格を見るに、これはキツネのオシラサマか何かだったのだろうか。
いのりは『見つけた』と言った。これが目的だったらしい。
『オシラサマの遺骸です。珍しいものなので、二日目で見つけられたのはさいわいでした』
「いや、これが神獣って、まるで……」
ちょっとした建物じゃないか。喉元まで出かかった台詞を、久遠は飲み込んだ。そこに倒れていたのは、民家ほどの大きさはゆうに越すだろう巨大なキツネの遺骸だった。黒光りする骨格。無数のコードやケーブルが全身から生え、毛皮や尻尾を彷彿とさせる。骨格はガラスのような光沢感があり、黒光りした表層に久遠の姿が映り込んだ。
イノシシやヒグマのオシラサマとは比較にならない図体に息を呑んでいると、いのりが『久遠さん、こっちこっち』と手招きした。久遠がついていくと、そこは神獣の尻尾の付け根にあたる位置だった。その奥には……。彼女は神獣の胎内を指差すと『どこかで見たことがありませんか?』と問うた。
「……虹色の繭玉。植物園の錬金炉のなかで見たやつだ」
神獣の胎内に広がっていたのは、いつぞやに見たものと同じ虹色の繭玉だった。でも植物園の錬金炉とは、その規模が違いすぎる。ニンゲンが二人、いや三人は入りそうなくらい大きな虹色の空洞が、神獣の胎内に広がっていた。覗き込んでいる部位も相まってか、久遠は固唾を呑まざるを得なかった。久遠の側で、いのりが三つ編みを揺らしながら言った。
『久遠さんは、なぜ人類は神獣の怒りを買ったのか、と訊きました。その答えがこれです』
「答えって、この神獣の〝子宮〟が?」
久遠は顎に手をやった。なぜ人類は神獣の怒りを買って滅ぼされたのか。なぜ植物園で見た錬金炉の中身が、神獣の胎内にあるのか。いや、おそらく因果は逆なんだろうな、と久遠は思った。しばし沈思黙考してから、舌の上で語感を確かめるように仮説を立てる。
「……錬金術師が、私欲のために神獣の神聖な子宮を模倣して錬金炉をつくったから、とか?」
『惜しいですね。私利私欲のためにというのは正解です。模倣だけでは怒りを買うにはちょっと弱いです。ヒントは、そもそもニンゲンにはあの炉を建造することすらできない、というところにあるのでしょうか』
「え、だとするなら、そもそも植物園の壊れた錬金炉はいつ誰がどうやって建てたも、の……なん……」
久遠はたどたどしく「……まさか」とつぶやいた。
「あの植物園の錬金炉も、もともとは神獣の腹のなかにあった……?」
いのりは可愛らしく、こくこくと頷いた。
『……最初の国定錬金術師によって理論を確立された、近代錬金術の根幹を為す煉瓦造りの窯炉。それが錬金炉です。ですがその正体は神獣の子宮を摘出し、煉瓦で偽装したもの。炉内は無重量。重力鋲を動力としていますが、重力鋲は空間に固定されますから、その性質上ヒトの手によって運搬することが叶いません。当然母体となった神獣の遺骸から動かすことも。ですから代々の国定錬金術師たちは神獣の遺骸を中心に、自らのアトリエを建設した……していたんです』
「つまり、神獣はその身に宿した子宮……いや、錬金炉で世界を修復する。さっきの木道のように。だけどそんな神獣を人間は攻撃して、その遺骸の周辺にアトリエを建てた。人間が錬金炉を使うと特定の重力波が発され、神獣はそれを狙って報復に来る。人間は神獣を撃退するためにますます錬金炉に依存し、神獣を倒していく……ってことか」
いのりが『それがトドゥルのエコシステムなんです。やっぱり久遠さんは飲み込みが早いですね。見込んだとおりです』と言うと、久遠は「でもそれって、トドゥル人が神獣の力を簒奪してたってことじゃないか!」と食い下がった。
こくりと頷いたいのりに、なんだか合点がいった気がする。久遠は「ああ」と息を吐くと「それが、生きた人間を見かけない理由なんだ?」と言う。
『見込み違いでしたか? 人類は神獣の完全な被害者だとでも?』
久遠は答えられなかった。腰をあげると、神獣の後ろ脚に何か文字が刻まれているのが見えた。
「ん、何か脚に文字が刻まれてる」
『メイリオ文字よりも古い言葉です。ヤーヘイ文字……いえ、シムサン文字でしょうか』
いのりは傷ついた巨大なキツネの神獣、その後ろ脚に手のひらをあてた。足先には久遠の背丈と同じくらいの黒い太刀が突き刺さっていた。無駄な装飾のない細身の刀身には、砕けた結晶のような波紋が浮かんでいる。これで誰かが神獣を倒し、文字を刻んだのだろうか。
『……〝彼はひとつ、わたしに嘘を吐いた。だからわたしもひとつ、彼に嘘を吐いた。ひとつの嘘はまたひとつの嘘を呼んで、取り返しのつかないがん細胞のように膨れ上がる。アルマが記す。相対歴五〟……続きは文字が潰れて読めません。それにしても相対歴五……ですか』
「今は?」
『今は相対歴五二〇一八年の五月六日です。人類が絶滅したのは七九一五年。その後で〝五〟から始まる期間は……』
「最近って可能性、ある?」
『ありますね。まあ、誤差二〇〇〇年ほどですケド』
久遠は少しだけ考え込んでから、傷ついたキツネの神獣の化石に手のひらをあてた。
「アルマ、確か〝魂〟を意味する古い言葉だって言ってたよな。だからいのりが憑依しているその魔道具も、〝魂の器〟って名前なんだろう?」
『或いは、アルマという人物やもしれません。墓所の歴史書の一節では、アルマの器の基礎原理を作ったのは最初の国定錬金術師で、最初の国定錬金術師の名前もアルマと呼ばれていたとかなんとか……』
いのりがこめかみに手をあて、記憶をひねり出すように『ん〜』と唸りながら言った。あまり定かな記憶がある知識ではないようだ。幽霊って案外忘れっぽかったりするのだろうか、と久遠は思った。思ったが、口には出さなかった。
「じゃ、そのアルマってやつが実は生きていて、あるいはいのりみたいな幽霊で、何らかの方法を使ってこのオシラサマを太刀で傷つけたとか」
『どうですかね。あながち可能性は捨てきれませんケド。いずれにせよ、神獣を沈黙させる手練れだとすれば脅威ではあります。この大刀によって神獣が脅かされていて、それが巡り巡って神獣に墓所を襲わせているのだとすれば、厄介ではありますね』
いのりは『んーっ!』と背伸びをした。
『まあ、なんにせよ遺骸は遺骸で素材の宝庫です。錬金炉の修繕に必要な部品だけ拝借して、ちゃちゃっとこんな不気味なところおさらばしちゃいましょ――』
「この太刀、引っこ抜けたりしないかな。この刀身の質感、どっかで見たことがある気がするんだよな……」
『ちょっと! 不用意に触っちゃ――』
いのりの制止は届かない。久遠は遺骸に刺さった黒い太刀を引き抜いてしまった。
……異変はすぐに訪れた。太刀を引き抜いた部分から波紋が拡がるように、全身に「ゆるせない」を意味する複数の文字が浮かび上がる。文字はガラスに似た神獣の骨格を埋め尽くし、全身を純白に染めていく。ゆるせないゆるせないゆるせないゆるせない……。
『……何してくれやがったんですか?』と、いのりが冷ややかな目で久遠を見下した。
「え、冤罪だ! おれはこの太刀を引っこ抜いただけ――」
言い終わらぬうちに、キツネのオシラサマの遺骸にさらなる変化が起きた。呻くような唸り声ともに身じろぎをし、ゆっくりと上体を起こし始めたのだ。
関節の軋みとともに、身体の各所から鬼火のように蒼白い燐光を噴き出していく。燐光はやがて全身を包み、〝生きた〟キツネの姿を形作っていく。
あっという間に、神獣は真っ白な毛並みの巨大なキツネへと変貌した。もはや無骨な機械としての面影は一切無い。
神獣が息を吹き返したのだ。いのりが両手で口を覆いながら、信じられないというふうに言った。
『嘘……神獣の遺骸は……まだ生きていたの?」
そもそも、こいつらに生死の概念はあるのか? 血管のように脈打つケーブルやコードを見遣り、久遠は背筋を凍らせた。これが人類を滅ぼした、この惑星の真の住人――。
『走りますよ! 久遠さんッッ!』
「走るって、どこに」
『決まってるでしょう!』
恐怖と焦りで声が上擦った久遠を、いのりがかろうじて理性を残した声で怒鳴りつけた。
アルマの器を久遠に握らせて、力強く彼を引っ張る。
次にいのりが叫ぶのと、白いキツネの神獣が凶暴な咆哮を響かせたのは、ほぼ同時だった。
『――逃げるんですよ!』
ひりつくぐらいに空気が震える。二人は悲鳴をあげながら逃げ出した。




