11:嘘吐き……
あっという間に日が暮れた。二人は樹海の奥の小川の畔で野営を決めた。焚き火台で火を起こし、簡易椅子に腰を下ろすと、久遠はいのりの側に浮かぶアルマの器を指さした。
「今さらだけどそれ、なんで浮くんだ?」
『アルマの器の大部分はブラックボックスです。重力鋲が搭載されているそうですケド』
「重力鋲?」
『この星のもっとも一般的な動力のひとつです。重力を自在に操れる魔道具にして、無尽蔵のエネルギーを人類にもたらしてくれる……もたらしてくれた半永久機関』
「いのりの霊体はそれに依るものなんだな」
『ええ。要するにこのふわふわ浮いてるアルマの器のほうが、わたしの本体ってワケです。丁重に扱ってくださいな』
「ふむ」
『でもまあ、仕組みなんてどうでもいいんですよ。重要なのは、これがなければわたしは植物園の外や墓所の外に出ることすら出来なかったし……』
いのりは〈器〉を透明な指先で包んで持ち上げると、久遠のおでこに触れさせた。
こつん。
『……あなたに触れることも出来ないってことですかね』
あっという間に樹海は暗くなり、川のせせらぎと虫の声、焚き火の弾ける音だけが辺りを充たす。久遠は沸かしたお湯に粉末のスープを流し込み、木のスプーンでよくかき混ぜた。それからバックパックから携帯食糧も取り出した。
携帯食糧はおしなべて水気のない、ぱさぱさとした食感で、久遠はお世辞にも美味しそうとは言えない微妙な表情で、もっきゅもっきゅと咀嚼した。味や食感にはそれなりのバリエーションがあるようだったが、逆にそれが〝ハズレの味〟の存在も生んでいるようで、ときおり苦虫を噛み殺したような表情を浮かべると、よく味わいもせずスープで流し込んだ。
「食糧は喫緊の課題かね」
『なにぶん、人類絶滅後の数万年間放置されてきた施設ですからねえ。内部は重力鋲の影響で時間の流れ方が緩慢になっていましたから、植物や食糧含め、備品こそ腐ってはいない様子でしたケド』
「要するにいのりはさ、人類が滅ぶ直前まであの植物園で錬金術師として暮らしてて、死んだら地縛霊として囚われていたんだろ?」
久遠はスープを飲み干しながら、ほっと一息ついた。
「なんでそんな場所に、おれみたいなのが迷い込むかなあ」
『記憶、やっぱり戻りませんか?』
「なんにも思い出せないや、気づいたらあの植物園にいて……あ」
『なんです』
「扉をくぐった気がする。あんたが触るなって言った、地下室のドアからおれは……」
『そんなはずはありません。あそこはわたしが生きていたころ、十歳で新米錬金術師としてあの植物園に赴任したときから、ずぅっと開かずの間だったんですから』
「いや、でも」
『開けちゃだめなんですよ! 本当に危険なんですから!』
久遠は膝を抱え「それでもおれは、自分の帰り道を見つけたいんだよ」と呟いた。
やがて夜は更け、木々の隙間から月光が洩れる。久遠は明日に向け、最低限の荷造りを済ませた。寝袋に身を包み、手頃な木の幹にもたれかかる。傍らに腰を下ろしたいのりが、久遠の肩に寄り添った。久遠は特に気にするでもなく、眠そうな目で夜空を仰いだ。
「いのりは、眠らないのか?」
『眠れないんです。アルマの器の消費魔力を温存させることはできますが』
ころん、と足元に転がり落ちたアルマの器。もし彼女に肉体があったら、おれにもその体温や吐息を感じられたのかな……ととりとめのない思考を巡らす。実際に感じられたのは、ひやっとした靄のような感触だけで、虚しさだけが久遠の胸に去来した。
(おれはひとりぼっちってことなのだろうか。それとも……)
まぶたがひどく重い。遠のいていく意識のなかで、ぼんやりといのりの声を聞いていた。
『綺麗ですね。久遠さんも綺麗なものは嫌いじゃないんだ』
「凍った月なんて……本当におれの知ってる星じゃないんだよなあ……」
眠気のにじんだ久遠の声に、いのりは何かに気づいたかのように小さく息を呑んだ。
『記憶……』
「え?」
『いえ、記憶、戻るといいですね。久遠さん』
久遠は吸い込まれるように黒く、昏い瞳で焚き火の揺らめきを見つめながら、
「……うん」と呟いた。そのまま、深い眠りに落ちる。
いのりは聞こえないふりをしていた。優しげで、それでいて悲しげな表情を隠していた。
夜中。髪を下ろしたいのりが、久遠の寝顔を興味深そうに覗き込んでいた。
恐る恐る、彼の短い前髪に手を伸ばす。
月夜に照らされたいのりの透けた指先が、その黒い前髪に触れようとした、次の瞬間。
ぱちっと焚き火の撥ねる音ともに、久遠があどけない声音で寝言を洩らした。
「父さんじゃ、ない……」
いのりは肩をビクッと震わせると、
『嘘吐き……』
月夜が更けていく……。




