9:ニンゲンなんていないんです
見渡すかぎりの花畑だった。まるで天国か楽園かを想起させるくらいに。どこまで行っても果てることのない青空と、どこまで行っても尽きることのない花畑。色とりどりの春の草花が風に揺れて、死後の世界すら彷彿とさせる美しい花畑は、地平線の果てまで続いていく。
そして広大な花畑には、無数の墓標が打ち立てられていた。終わりは見えない。まるで全人類のお墓がそこに集められていると言われても疑わないくらい、どこまでも続く。花畑を舗装するレンガのひとつひとつにも、異なる名前と年月日が刻み込まれていた。
「うわ……レンガのひとつひとつまでもが、お墓なのか」
『第三方面惑星とも呼ばれるトドゥルは、無人の惑星です。神獣との抗争に破れた五万年前から、ずっとそう。在るのは絶滅した人類のお墓か、わたしのような地縛霊だけ』
いのりは足元に流れるせせらぎを石伝いに飛び越えた。後ろから、桜色の燐光を放つアルマの器がついてくる。対岸でいのりは地面を指さした。
すみれ色の花々の隙間から、白い大理石が等間隔に埋め込まれていた。
『墓所の結界石です。これを越えると、神獣の領域です』
久遠もせせらぎを飛び越えると、いのりの側にしゃがみこんだ。結界石と呼ばれた大理石は数十メートルおきに埋め込まれ、地平線の向こうまで続いていた。
「一体、何百基あるんだ?」
『わかりません。一説には九十億基近くと云われていますケド』
平らな結界石の表面には、桜色に光る魔法陣が浮かび上がっていた。だけど……。
「ひび割れてる」と久遠が呟いた。
『手入れなしで雨風にさらされれば、無理もないことでしょう』
「この石で出来た境界線を越えた先に、さっきみたいな神獣がたくさん跋扈している……」
いのりは『そういうことです』と首肯した。
『だいだい国定錬金術師はその腕を振るい、結界石の維持に努めてきました。謂わばあの植物園は、錬金術師が神獣による墓所への侵攻を食い止めるための最後の砦なんです』
いのりは『……だったんです』と訂正した。
「神獣がこの結界石の線を越えてきたら、どうなる?」
『想像に固くないでしょう。極めて小規模のイノシシの神獣でさえ、あの被害ですから』
「あの神獣で小規模か。じゃあここに眠る人たちは、みんな……」
そう言いかけて腰をあげた久遠の視界の隅で、一瞬だけ幼い少女の姿が垣間見えた。
気になって、追いかけてみる。
が、手近な墓標の裏に回り込んだ少女は、そこで煙のように姿を消した。
『ね?』
と、背後でいのりは言った。
『五万年近く、ここには生身のニンゲンなんていないんです』
植物園は、丘の上の神殿と貯水池の横に併設されていた。大理石の神殿は丘の斜面に階段状に建てられていて、階段を降りた先にはレンガ造りの市街地跡が広がっていた。ひび割れて風化した、寡黙な舗装路や建物を、タンポポやガザニアといった春の草花が包み込んでいた。
鏡のように青空を反射するピラミッド型の温室の奥に、平屋建てで木造建築の母屋が佇んでいた。母屋の側には、温室よりも広い裏庭が広がっている。こちらは植物園の屋内とは違って手入れは行き届いておらず、ローズマリーやパンジーの花がほうぼうに散っていた。
後ろ髪を引かれるような久遠の様子を見て、いのりが言った。
『結界を直しさえすれば、あなたの素性について考える時間は幾らでも作れるはずですから』
「うん。まあ、そうだよな。……ここにはこの世のすべての時間があるんだものな」
足元の草花を掻き分けると、地面の奥にひび割れたレンガ畳が覗いて見えた。もとは花畑ではなく、煉瓦で舗装された立派な街並みだったのだろう。それらのレンガひとつひとつも例にもれず、故人の名前と享年が刻まれている。執念にも似た何かに、久遠は背筋が凍った。
「なあ、人生ってやり直せると思う?」
『え? 現にあなたはいま、人生をやり直しているような状況だと思われますケド』
「それはアレか? 気づけば記憶喪失になってて、非常に優れた錬金術があるのに人類が絶滅したマヌケな国に迷い込んでた件についてとか?」
『言い方』
「しかもそんな無人の世界を案内してくれるのが、モノにも触れられず、ただただ数万年を逍遥と過ごしてきただけの地縛霊だった件についてとか?」
『ねえ久遠さん。言い方』
「なら、意趣返しみたいな答え方しないでもらえますか」
いのりは花ふぶきのなかで足を止めると、編み上げブーツのかかとをきゅっと鳴らした。
それから少し不服そうに、声のトーンを下げた。
『……わたしは、人生をやり直すものだとは捉えていません。人格とは人の記憶が形作るものですから。やり直せたとしたら、それはもう別の人間ですよ』
「そうかな」
『そうですよ。そういうもんですよっ』
「おれはただ、間違いをおかした奴らもやり直せるような世界であってほしいって、神獣に滅ぼされたとかいうこの光景を見て、ふと思っただけなんだけどな……」
いのりはなにも言わなかった。花びらの混ざった春の突風が桜色の髪を揺らしていた。




