第十二話 挨拶
「仔虎ちゃんは? 無事なの?」
帰還した僕たちを出迎えてくれた茉椰先輩が、真っ先に仔虎の姿を探した。
「元気に戦ってくれたり、ご利用者を守ってくれたり、大活躍でしたよ」
「当たり前にゃ」
「あ、いた」
茉椰先輩が仔虎を見つける。
そんなことより、本当に茉椰先輩は素晴らしい先輩だ。
後輩思いで、動物思いで、そして……今日もかわいい。
先輩の顔を見た瞬間、帰還できた安心感も相まって、張り詰めていた緊張の糸が一気に切れた。
「そう言えばさ、その仔虎ちゃんの名前は?」
「そうだよな。全く気にしていなかったけど、こいつにも名前があるよな」
「仔虎? 名前は何ていうんだ?」
「そんなもの、あたちにはまだないにゃ。名前はご主人が、あたちの働きを認めてくれた時に付けてくれるものにゃ」
なるほど……。
と言っても、これだけ僕のことを支えて、一緒に戦ってくれたんだ。
認めるなんて偉そうな気持ちじゃない。
むしろ、感謝してもしきれない存在だ。
「それなら、もう名前をつけよう」
僕は仔虎の姿を見つめる。
真っ白な毛並み。
そして、美しく輝く石のような瞳。
「よし。仔虎、今日からお前は――コハク!」
「コハク〜! あたちに似合う、いい名前にゃ! ご主人、顔に似合わずセンスがあるにゃ。気に入ったにゃ!」
「あのなぁ……。いつもそんなに生意気な口調なのに、僕のことだけ『ご主人』っていうのは違和感があるんだよ。僕のことも和って呼んでよ」
「……いいのにゃ?」
「うん」
「わかったにゃ! 和!」
こいつもほんとにかわいい!
「先輩! 今日からこいつはコハクです! よろしくお願いします!」
「コハクちゃんね! いい名前ね」
そんな話をしていると、着替えを済ませたロアーさんが、スタッフ全員に声をかけた。
「みんな、待たせて申し訳ない。今日もこれから業務に戻る。ご利用者の皆さんには、私から挨拶をしよう」
ロアーさんはご利用者の前へ歩いていく。
そして、背筋を伸ばして話し始めた。
「皆様、おはようございます! 大変お待たせしまして、申し訳ございません。本日も老護施設ルーエ・ガルデンをご利用いただき、ありがとうございます! 今日もよろしくお願いします!」
……え?
それだけ?
僕がそんなことを考えていると、茉椰先輩が僕の耳元で小声で話しかけてきた。
「声は元気だけど、ちょっとつまらない挨拶だね」
「寂しいですよね……」
「何か意見があるの?」
まずい。
ロアーさんに見られていた。
聞こえてしまっただろうか。
戦闘の熟練度からなのか、周囲の反応にすごく鋭い。
「えーっとですね、ロアーさん……」
先輩が口出ししそうだ。
「先輩、待ってください。僕ら、あくまで見学ですよ」
「わかってるわ」
「……なんだい?」
ロアーさん、こわい。
「ロアーさん。私たち今日から見学に入るので、ご利用者の方々にひとこと挨拶させていただきたいです」
さすが先輩!
……って、僕の挨拶の番も来るよな。
何を話そう。
「……そうだったね。みなさん、紹介します。今日から私たちと一緒に仕事をする茉椰と和です。まだまだ新人のため、ご理解いただけますとありがたいです」
だから堅いんですよ、ロアーさん。
先輩が一歩前に出た。
「それでは、私から。本日からルーエ・ガルデンの仲間になりました。送迎で伺った方は二度目の挨拶になりますが、改めて、茉椰・霧藤です」
先輩は、ご利用者の皆さんを見渡して笑顔を浮かべる。
「皆様に、今日一日を楽しんでいただくことが私の目標です。初めてでわからないこともたくさんございます。どうぞお手柔らかに、可愛がってくださいっ!」
ご利用者の皆さんから拍手が起こった。
「可愛い子ねー!」
「後でお話ししたいわ!」
「こっちまで元気になるわね!」
さすがだ。
初めてとは思えない、慣れた挨拶。
そして何より、声が大きい。
これは先輩の癖だ。
前の施設でも、難聴の方にもしっかり聞こえるように、自然と大きな声で話していた。
そして――僕の番。
少しだけ緊張する。
でも、せっかくなら僕らしくいこう。
「おはようございます! 皆さん、初めましてー! 僕は和・霜村です! 今日からお世話になります!」
できるだけ明るく、皆さんの顔を見ながら声を出す。
「さっそくですが、朝から少し頭と身体を使いましょう! できる方だけで構いませんよ!」
何人かが不思議そうな顔をしている。
「僕は何歳だと思いますかー?」
僕は両手を上げ、指を動かして1.2.3と指を立てる。
「それじゃあ、皆さんも両手を上げて、指で数字を作ってみてください!」
ご利用者の皆さんも、それぞれ指を動かし始める。
「一番前のお父さん! 正解です!」
その方はにっこりと笑う。
「正解は――二十五歳です!」
「本当に二十五かー?」
「成人してるのかー?」
「俺は八十六だぞー!」
「私は十七よー!」
あちこちから声が飛んできて、思わず笑ってしまう。
「ありがとうございます! それじゃあ、せっかくなので身体も動かしましょう!」
僕はその場で足踏みを始めた。
「皆さんも、できる範囲で大丈夫です! ゆっくり足踏みしてみましょう!」
「声を出して数えながらー」
「一、二、三、四……。」
皆さんも、それぞれのペースで足を動かしていく。
「二十四……二十五!」
僕は足踏みを止めた。
「疲れましたかー?」
「ちょっと疲れたねぇ」
「まだまだ元気よ!」
「いいですね! 今日はお風呂でゆっくり汗を流していってくださいね!」
再び拍手が起こった。
……少しアピりすぎただろうか。
でも、皆さん楽しそうだ。
挨拶が終わってご利用者の前から離れると、ロアーさんが驚いた表情で口を開いた。
「すごいな、君たちは。ご利用者に冗談を言って楽しませるのか!」
「僕らがいた施設では、みんなこんな感じでした」
「しかし、なぜ今のようなことを?」
ロアーさんは純粋に疑問に思っているようだった。
「挨拶は、一日の始まりだからです」
「施設に来ることを楽しみにしている方もいますけど、中には『本当は家にいたい』と思っている方もいます」
介護施設は、ただ黙々と介護するだけの場所じゃない。
ご利用者にとって、家とは違うもう一つの生活の場でもある。
「だからこそ、最初に『今日もここに来てよかった』と思ってもらえるようにすることが大切なんです」
「なるほど……」
「それに、今日みたいに数字を使ったり、指を動かしたり、足踏みをしたりするのにも理由があります」
僕は自分の指を動かしてみせる。
「数字を考えたり、指を動かしたりするのは、頭の体操になります。日付や季節の話をするのもいいと思います。」
「頭の体操……」
「はい。ご高齢になると、今日が何月何日なのか、今がどの季節なのか分からなくなる方もいます。だから、普段の会話の中で自然に確認してもらうんです」
そして、もう一つ。
「ご高齢になると筋力が落ちたり、身体を動かしにくくなったりします」
僕は自分でも足踏みをしながら話す。
「だから、いきなり立ったり歩いたりするんじゃなくて、先に少し身体を動かしておく。そうすると、立ち上がりや歩き始めが少し楽になることがあります」
「……挨拶だけで、そんなに多くのことを考えているのか」
「はい」
少し偉そうだったかな。
まだ僕は、ここのことを何も知らない。
今日から見学に来たばかりの新人だ。
それなのに、知ったようなことを言ってしまった気がして、少し申し訳なくなる。
けれど――。
「素晴らしい考え方ね」
ロアーさんは、驚くほど素直に頷いた。
「挨拶一つで、そこまで考えているなんて……。挨拶以外にも、いろいろあるの?」
その目は、まるで新しいものを見つけた子供のように輝いていた。
先輩も口を開く。
「そう言われても、私たちはまだ他に何も見ていないので……。まず今日は、しっかり見学させてください」
「そうだね。送迎の時にも思うことはありましたが……」
「モンスター討伐のこと?」
「そこは何も口出しできることはありません……」
やっぱり、モンスター討伐がメインなんだな。
「また、それは追々……」
「わかったわ。必ず教えてね」
ロアーさんは嬉しそうに笑った。
「他にも、気がついたことがあったら後から色々教えてほしい! 君たちが来て、本当に良かった!」
ロアーさんは大興奮だ。
僕も、なんだか嬉しくなった。
もちろん、僕らのいた世界の「正解」が、この異世界でも正解とは限らない。
介護の方法も、身体の仕組みも、魔法やモンスターの存在によって大きく違うかもしれない。
それでも――。
この世界には、この世界なりのいい部分もあるはず。
僕らの知識をそのまま押しつけてはいけない。この世界に合った形を探していけばいく必要がある。
今日の挨拶だけでも、こんなに喜んでもらえた。
もしかしたら、この施設にはまだまだ改善できることがあるのかもしれない。
そう考えると、これからの仕事はかなり大変そうだ。
でも――。
やりがいは、ありそうだ。




