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姉から手紙が届いたのは、その夜会の翌日のことだった。
内容はいつもと変わらない。
領地の近況や父の様子、庭の花が見頃を迎えたことなど、穏やかな話題が並んでいる。
その中に、
『もしイザベラが夜会に出席していたのなら、私も参加すればよかったですね』
と書かれていた。
――姉らしい、見事な世辞だった。
というより、すぐ下に続く本題を少しでも和らげようとしているのだろう。
『アルヴェルト公爵との初夜が上手くいかなかったと聞きました』
案の定、その次の一文を読んだ私は額を押さえた。
姉は耳が早い。
いや、早いというレベルではない。
恐ろしいほど情報網が広いのだ。
初夜の失敗など、まだ社交界では噂になっていない。
そもそも夫婦の寝室で起きた出来事なのだから、外部に漏れる方がおかしい。
一体どこでそんな情報を仕入れたのか。
どんな伝手を持っているのか。
考えれば考えるほど恐ろしい。
だが、本当に恐ろしいのはその続きだった。
『公爵はとても気難しい方だと聞き及んでいます。姉はあなたが悪いとは思っていませんよ』
これが姉の本心だった。
姉は本気でそう思っている。
レオニード公爵に問題があって、私には何の落ち度もないと信じているのだ。
そのあとに続く文が、なによりもそれを証明している。
『辛ければいつでも帰ってきなさい』
『あなたが笑えなくなることだけは姉は望みません』
私を気遣う言葉の数々が、美しい字と共に延々と続いている。
――姉はあんなにも優秀なのに、どうしてこんなにも心が綺麗なのだろう。
妬みも。
嫉みも。
憎しみも。
そんな醜い感情が私の中に存在しないかのように接してくる。
賢くない私にだって分かるのに。
世の中にはもっと醜い人間で溢れている。
――私だってその一人だ。
一見すると宝石のように美しいレオニード公爵だってそうだ。
その皮を一枚剥げば普通の男だった。
姉に焦がれ、手に入らないと分かれば姉の代理を選ぶ。
そんな、ごくありふれた男――……。
「噂には聞いていたが、君たちは本当に仲がいいのだな」
不意に頭上から降ってきた声に、びくりと肩が跳ねた。
冷たく低いその声には、相変わらず人を緊張させる力があった。
恐る恐る顔を上げる。
いつの間にそこまで近づいていたのか、レオニード公爵が私の背後に立っていた。
文机に向かう私の椅子を囲うように。逃げ場を塞ぐように。
椅子の背もたれ越しに身を屈め、こちらを覗き込んでいた。
あまりの近さに息が詰まる。
「レオニード殿下……」
頭上に影が差していたはずなのに、気付かなかった。
しかし、公爵は私を見ていなかった。
その氷のように澄んだ青い瞳は、私の手元にある手紙へ向けられていた。
「……君の姉君からの手紙か」
その言葉を聞いた瞬間、私は慌てて便箋を伏せた。
心臓が嫌な音を立てる。
姉の手紙には、公爵本人が読めば気まずくなるような内容が山ほど書かれていたからだ。
『誰にでも笑顔を見せない冷たい方だと聞きました。イザベラ、あなたの太陽のような笑顔が曇ってしまわないか姉は心配です』
『夜会で給仕係が公爵の肩にぶつかった際、公爵はその手を振り払ったそうですね。もし彼に暴力を振るわれたら、いつでも私に報告してください。姉はいつでもあなたの味方です』
どれも事実なのだろう。
姉は憶測だけで人を判断するような人ではない。
だからこそ厄介だった。
もしレオニード公爵がこれを読んだらどう思うだろうか。
自分が結婚したいと願った女性から、こんな風に思われていたと知ったら。
「……殿下、その……」
「……心配性な姉君だな」
公爵の声はいつもと変わらなかった。
淡々としていて、低くて、感情が読めない。
怒っているようにも見えないし、傷ついているようにも見えない。
「俺が君を虐げていると思っているらしい」
そう言って、公爵は小さく息を吐いた。
「返書には、そのような事実はないと記しておけ」
それだけ告げると、公爵は椅子の後ろから離れた。
まるで事務的な確認を終えたかのような口ぶりだった。
私は慌てて立ち上がり、体ごと公爵へ向き直る。
「か、かしこまりました」
頭を下げる。
すると、公爵は私の返事を待っていたかのように続けた。
「それと――」
低い声に、再び背筋が伸びた。
「侍女を下がらせてくれ」
青い瞳が真っ直ぐこちらを見据える。
「二人で話がある」




