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 では、その絞りカスはどう生きるのが正解なのか。


 反抗して、反発して、嫌って、妬んで。


 おおよそ姉に向けるべきではない感情を一通り抱えて、遠回りに遠回りを重ねた末に、私はようやく気づいた。


 素直に負けを認めた方が、ずっとずっと楽なのだと。


 そもそも私は、姉と勝負できる場所にすら立っていなかった。

 姉は空に浮かぶ美しい月で、私は地面を歩く人間だった。

 競うこと自体が間違いだったのだ。


 それを認めるのは苦しかった。


 けれど、自分の敗北を受け入れてしまえば、それ以上傷つくことはなかった。


 私は負けた。


 姉には敵わない。


 その事実を受け入れて、ようやく私は姉の美しさと正面から向き合えるようになった。


 毎日のように姉の元に届く求婚の手紙を見ても、胸がざわつかなくなった。


 社交界で姉の周りにだけ人だかりができていても、平然としていられた。


 姉の妹だからと期待して近づいてきた見合い相手に失望されても、恥ずかしいとは思わなくなった。


 ――そして何より。


 私はようやく、素直に姉を褒められるようになった。


「お姉様は本当にすごいですね」


 そんな言葉を、嫉妬も悔しさもなく口にできるようになったのだ。


 だからだろうか。


 長い長い劣等感の冬を越えた私にも、ようやく春が訪れた。


 ――公爵家当主、レオニード・アルヴェルト公爵殿下から求婚されたのである。


 彼はマゴス王国でもっとも有名な独身貴族の一人だった。


 陽光を溶かして作ったような金髪に、高貴な血筋の証とされる青い瞳。彫刻のように整った顔立ちは、まるで神が気まぐれに作り上げた芸術品のようだった。


 だが、人々が彼を称える理由は見た目だけではない。


 十歳の頃には剣術で大人を打ち負かした。

 幼い頃から異国の数学を独学で学び、それまで誰も理解できなかった理論を整理し体系化した。


 十五歳の時には領内で小麦の病が流行した際、感染した畑をすべて焼き払うという大胆な決断を下した。


 当時は狂気の沙汰だと批判されたが、その判断によって病の拡大は食い止められ、領地は壊滅を免れた。


 その功績を認められ、父である大公から広大な土地を与えられたという。


 容姿も、知性も、決断力も、実績も。

 すべてを兼ね備えた彼は、いつしか人々からこう呼ばれるようになった。


 ――マゴスの宝石。


 数え切れないほどの令嬢たちが彼に恋をした。


 彼の隣に立つことを夢見て、少しでも気を引こうと努力した。

 けれど、そのほとんどは玉砕した。


 レオニード公爵は恐ろしく冷たい人間だった。


 贈られる賛辞には興味を示さず、夜会でも必要最低限しか言葉を交わさない。滅多に笑顔を見せることもなく、常に近寄りがたい雰囲気をまとっていた。


 高位貴族である彼に気軽に話しかけられる者は少ない。それを理解していながら、彼は誰に歩み寄ることはしなかった。


 だから社交界では、いつも同じ話題で持ちきりだった。


 ――果たして誰が、あの公爵の氷のような心を溶かすのか。


 誰にも心を開かない孤高の公爵。

 それがレオニード・アルヴェルトという男だった。


 そんな人物が、よりにもよってこの私に求婚してきたのである。


 正直に言おう。

 嬉しかった。


 優秀で美しい姉ではなく、私自身を選んでくれる人がいたことがたまらなく嬉しかった。


 姉の妹だからではなく、私を見てくれる人がいた。

 それだけでも胸がいっぱいになるというのに、その相手はあの「マゴスの宝石」だったのだ。


 だから私は浮かれてしまった。


 彼が宝石なら、その隣に並ぶ自分も、琥珀が真珠だろうと。

 そうでなくてもガラス細工程度にはなれるのではないかと。

 少なくとも、もう絞りカスではないのだ――と。


 そんな都合のいい夢を。

 そんな甘い期待を。

 私は抱いてしまったのだ。



 結婚式が終わると、そのまま盛大な宴が開かれた。


 酒が惜しみなく振る舞われ、豪華な料理が次々と運ばれてくる。楽師たちは絶えず音楽を奏で、人々は歌い、踊り、笑い合った。


 まさに酒池肉林という言葉がふさわしい賑わいだった。


 そして長い宴がようやく終わりを迎えた頃、私とレオニード公爵は夫婦の寝室へ向かっていた。


 すっかり酔っていた。


 寝室までの道のりは思いのほか長く、隣では姉が私の手を引いてくれている。


 夫婦の寝室まで見送ると、自ら申し出てくれたのだ。


「イザベラ……酔っているのね」

「だいじょうぶですわ、お姉様」


 返事はしたものの、我ながら呂律は怪しかった。

 足元もおぼつかない。

 カツ、とヒールが床を叩いたかと思えば、そのままたたらを踏む。だが転びそうになるたび、姉がしっかりと腰を支えてくれた。


「お姉様は、本当にすごいわ……」

「もう、そればかりね」


 姉は呆れたように笑う。


「イザベラ、あなた酔っているのよ」

「だって……お姉様の方が、わたしよりたくさん飲んでいたのに……」

「辛いなら寝てしまいなさいな」


 姉が耳元でそっと囁いた。


 けれど静まり返った廊下では、その小さな声さえ不思議とよく響く。


 ――その時だった。


 -コツ


 前を歩いていたレオニード公爵の足が止まった。

 振り返った柔らかな金髪の隙間から、氷のように澄んだ瞳がこちらを覗いていた。


 美しいというのも考えものだ、と思った。。


 整いすぎた容姿は、それだけで人を圧倒する。まして相手はレオニード公爵だ。ただ立っているだけなのに、周囲の空気が張り詰めるような威圧感があった。


 ごくり。思わず唾を飲み込んだ。

 数秒にも満たない沈黙だったはずなのに、妙に長く感じられる。

 しかし彼は何も言わなかった。


 ただ再び歩き始める。


 その背中を見ながら、私は酔いが少し醒めていくのを感じていた。


「お姉様……!」

「あら、どうしたの?」

「初夜を前にして寝てしまえだなんて……! もしレオニード殿下に聞こえていたら、どうするおつもりだったのですか……!」


 できるだけ声を潜めたつもりだった。

 けれど、静かな廊下では、その小声すらひどく響いている気がする。

 これから私たちは初夜を迎える。

 夫婦として結ばれ、アルヴェルト家の血を未来へ繋ぐための大切な夜だ。

 そんな日に、夫婦としての契りを交わす前から眠ってしまうなど、とんでもないことではないか。


 けれど姉は昔からそういうことに無頓着だった。


 聡明で、誰よりも優秀である一方で、結婚や恋愛といった話題には驚くほど関心が薄い。


「……まさか、お姉様より先に私が結婚するなんて思いませんでした」


 気づけば、そんな言葉がぽつりと口をついていた。

 酔いのせいだったのかもしれない。


 姉は少しだけ目を細めた。

 そして、いつものように静かに微笑む。

 けれどその微笑みはどこか曖昧で、何かを隠しているようにも見えた。


 私はその意味を読み取れないまま、ただ首を傾げることしかできなかった。


***


 部屋に着くなり、私はベッドへとぽすんと座らされた。


 柔らかな寝具に体が沈み込む。酔いのせいか、ひどく心地よかった。


 姉は私の前にしゃがみ込むと、慣れた手つきで靴を脱がせ始めた。


 細く長い指がヒールのリボンをほどいていく。


 寝室には最低限の灯りしかなく、窓から差し込む月光だけが室内を淡く照らしていた。白いリボンはその光を受けて薄ぼんやりと輝き、浅黒い姉の指先との対比が妙に目に焼き付いた。


 右足の靴が外れ、続いて左足も解放される。


 姉は足を離そうとせず、まるで壊れ物を扱うような慎重さで私の足首に触れた。骨の形を確かめるように指先がゆっくりと滑り、その仕草にはどこか労わるような優しさがあった。


 やがて姉は靴を丁寧にベッド脇へ揃えて置くと、一歩下がって立ち上がった。


 月光を背負った細いシルエットが、暗い部屋の中にすらひ浮かび上がった。

 黒い髪が照らされて、銀糸のように輝いていた。

 昔から見慣れているはずなのに、時折こうして息を呑んでしまう。


「可愛い私のイザベラ」


 囁くような声とともに、姉の唇が額へ触れる。

 それは祝福のようでもあり、別れの挨拶のようでもあった。


 扉が閉まる音がして、部屋には沈黙が落ちた。


 気づけば、私とレオニード公爵は初めて二人きりになっていた。


「……姉君とは、随分と親しいようだな」

「は、はい……」


 ぎこちない返事しかできなかった。


 考えてみれば、レオニード公爵とまともに言葉を交わすのはこれが初めてだった。


 婚約から結婚までの手続きはすべて書面で進められた。結婚式の場で顔を合わせたとはいえ、挨拶以上の会話はしていない。


 もちろん社交界で何度か見かけたことはある。

 だが、それだけだ。

 彼はあまりにも有名で、あまりにも遠い存在だった。


 そんな相手が、今は私の夫になっている。


 その事実に、ようやく実感が追いつき始めていた。


 ふいにベッドの片側が沈んだ。

 レオニード公爵が腰を下ろしたのだ。

 私は酔いと緊張でふらりと体勢を崩し、そのままそちらへ傾いてしまう。

 公爵は慣れた様子で肩を支えた。


「危ない」


 低い声が頭上から降ってくる。

 それだけのことなのに、心臓が跳ねた。


「緊張しているか?」

「い、い、いえ……そんな……め、滅相もありません……」


 緊張しているに決まっている。

 むしろしていない人間がいるなら見てみたい。


 国一番の美丈夫と名高い男の顔が今まさに目の前にあり、その上、今日から夫婦なのだ。

 呼吸が浅くなるのも当然だった。


 レオニード公爵はしばらく私を見つめていた。

 青い瞳が静かにこちらを映している。


 やがて彼は、小さく息を吐いた。


「本当は――」


 低く落ち着いた声が静寂を震わせる。


 その声音はあまりにも淡々としていて、だからこそ嫌な予感がした。


「本当は、君の姉君の方と結婚したかった」


 その言葉を聞いた瞬間、私の頭は真っ白になった。

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