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姉は公爵の目を見てはっきりと告げた。
「愛する人に、笑顔でいてほしいと願うのは、自然なことでしょう?」
その言葉が、ずしりと胸に沈んだ。
私だって、お姉様を愛している。
それなのに、どうして私は、お姉様の幸せを願うより先に、その幸せを妬み、怯えてしまうのだろう。
「違う……」
気付けば、私は姉の手を弱々しく振り払っていた。
呼吸が浅い。
心臓が痛いほど脈打っている。
「……お姉様は、何もわかってない」
口にした瞬間、しまったと思った。
助けてくれた姉に向ける言葉ではない。
怒りをぶつけるなら、さっきレオニード公爵にぶつければよかったのだ。
わかっていたのに、止まれなかった。
「お姉様にはわかるの……? 私が本当に笑っているのか、それとも笑っているふりをしているだけなのか」
「わかるわ」
姉は迷うことなく答えた。
「だって、ずっと一緒にいたじゃない」
その真っ直ぐさが、今の私には毒だった。
「わからないよ……!」
掠れた声が漏れる。
「お姉様にはわからない……! 私がこれまで、お姉様の下でどれだけ惨めだったか……!」
「イザベラ、そんな言い方をしないで。私はあなたを下だなんて――」
「お姉様がそう思わなくても、みんなそう思ってるの!」
初めて姉の言葉を遮った。
私の剣幕に、姉の肩がぴくりと震える。
「どれだけ頑張っても、お姉様には追いつけないの……」
ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「……ううん、違う」
首を横に振る。
「努力なんてしてない。私、お姉様を追い越せるほど必死になったことなんてない……」
最初から諦めていた。
追いつけないと決めつけて、本気で挑もうとすらしなかった。
「私にできるのは、妬むことだけ……」
「そんなことないわ。イザベラ、あなたは優しい子よ」
「それは、私がお姉様の陰口を言わないからでしょ!」
思わず叫んでいた。
「陰口を言わなければ、優しい子なの!?」
涙で視界が滲む。
「妬まないようにしていればいい子なの!?」
違う。
そんな綺麗な話ではない。
「心の中では誰よりもお姉様き嫉妬してるのに……!」
声が震える。
胸の奥に押し込めていたものが、一気に溢れ出す。
「わ、私だって……! お姉様みたいに、褒められたかった……!」
その言葉はあまりにも幼稚で、あまりにも情けなかった。
まるで子供の駄々だった。
情けない心を隠すように私はさらに言葉を続けた。
「お父様も、お兄様も馬鹿げてるわ……。お姉様がすごいだけなのに、自分たちまで偉くなった気でいる……!」
「イザベラ……」
「お姉様を妬む人たちだって馬鹿よ! 勝てないのに比べて苦しくなって……そんなの意味がないのに!」
だから私は、そんな人たちと同じになりたくなかった。
お姉様を利用して威張るような人間にも、妬みや嫉妬に飲まれて陰口を叩く人間にもなりたくなかった。
――その結果、私はどちらにもなれなくなってしまった。
素直に尊敬することも、素直に悔しいと思うこともできないまま、中途半端な場所で立ち止まってしまったのだ。
脳裏に、レオニード公爵の声が蘇る。
――それでは息苦しいだろう。
苦しかった。
でも、どうすればいいのかわからなかった。
妬みや嫉妬なんて、そう簡単に消えてくれない。
心を入れ替えれば済むのなら、こんなに苦しんでいない。
どうすればいいのかわからないまま、一人で立ち止まっていた。
不意に、強く抱きしめられる。
「……え」
姉は何も言わず、ただ私をぎゅっと抱きしめていた。
震えていたのは私だけではなかった。
「な、なんで……」
声が掠れる。
「なんで、お姉様が泣くの……」
姉の背に腕を回すこともできず、私はただボロボロと涙を零していた。
「イザベラ……」
震える声で、姉が囁いた。
「あなたは、私の光なの」
さらに強く抱き締められる。
「あなたが認められたくて、一生懸命頑張っていたことも、私と自分を比べて苦しんでいたことも、ちゃんと知っていたのよ」
抱きしめられているせいで顔は見えない。
それでも、姉が泣きながら笑っていることだけはわかった。
「……だから怖かったの」
その言葉に、私は息を呑んだ。
「あなたより何でもできる私が褒めても、きっと慰めだと思われる。疑われて、嫌われるくらいなら……いっそ何も言わない方がいいって思ってしまったの」
完璧に見えるお姉様にも、怖いものがあったのだ。
「……卑怯だったわ」
姉は小さく笑った。
「あなたに寂しい思いをさせて、自分だけ楽をしようとしていた」
その声はどこまでも真っ直ぐだった。
「……お姉様は悪くないわ」
それが本音なのか、建前なのか、自分でもよくわからなかった。
けれど、その言葉を口にしても胸は苦しくならなかった。
それが少しだけ嬉しかった。
やがて姉の腕がゆっくりと緩み、私たちはそっと互いの顔を見つめ合った。
「ねぇ、イザベラ」
涙に濡れた黒い瞳が、シャンデリアの光を受けてきらきらと揺れている。
「私はね、あなたの笑顔が大好きよ」
姉は少し困ったように笑った。
「でもね、怒ったり悲しかったりすると、あなたはすぐ黙ってどこかへ行ってしまうでしょう?」
優しい声だった。
責めているわけではなく、ただ寂しそうだった。
「ずっと嫌だったの」
姉が小さく目を伏せる。
「向き合って話そうとしても、また逃げられてしまうんじゃないかって……怖かった」
図星だった。
まさか、お姉様の口からそんな言葉を聞く日が来るなんて思わなかった。
「イザベラ、あなたはどう?」
「……へ?」
間の抜けた声を出した私を見て、姉はくすりと笑った。
「あなたも教えて」
悪戯っぽく目を細める。
「私の好きなところと、嫌いなところ」
ああ。
そうか。
答えは、こんなにも単純だったのだ。
私はお姉様のことが好きだった。
そして同じくらい、嫌いでもあった。
そのどちらかだけなんて、最初から無理だったのだ。
「……たくさんありすぎて、この場では語りきれないわ」
自然と笑みが零れた。
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま。
姉も笑う。
泣きながら、二人で顔を見合わせて笑った。
――その時だった。
「……壁役は、もう十分かな?」
こほん、と咳払いが聞こえた。
顔を上げると、レオニード公爵がこちらを見下ろしていた。
少し離れた場所に立ち、こちらへ向けられる周囲の視線をさりげなく遮っている。
どうやら、人目につかないようにしていてくれていたらしい。
言われて初めて思い出した。
ここは夜会の会場だった。
大勢の貴族たちが集まる場所で、私たちは長々と姉妹喧嘩を繰り広げていたのだ。
そういえば。
さっきから公爵は、一度も口を挟まなかった。
あれほど人の心に土足で踏み込んでくる人なのに。
そんな気遣いができる人だったのか。
思わず呆気に取られていると、お姉様も同じだったらしい。
ぽかんとした顔で公爵を見つめていた。
「……え、ええ」
「お気遣いいただき、ありがとうございます。レオニード公爵殿下」
まごつく私に代わり、お姉様が礼を述べる。
しかし公爵は頷きもせず、面倒そうにひらひらと手を振った。
「さて」
青い瞳が私へ向けられる。
「これだけ泣き腫らした顔の妻を連れて歩けば、また妙な噂の種になりかねん」
そして、いつもの事務的な口調で告げた。
「今日は戻るぞ」
そう言うと、レオニード公爵はくるりと踵を返した。
「あ、か、帰るんですか……?」
慌てて涙を拭う。
「それじゃあ、またね! リリアーナお姉様!」
急いで背中を追いかけようとした、その時だった。
「イザベラ!」
呼び止める声に振り返る。
リリアーナお姉様は、泣き笑いのような顔でこちらを見ていた。
「……あなた、初めて私の名前を呼んでくれた!」
「え?」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
そうだ。
私はずっと「お姉様」としか呼ばなかった。
それで十分だと思っていた。
それが当たり前だと思っていた。
けれど、さっき。
私は確かに呼んでいた。
――リリアーナお姉様、と。
胸の奥が、くすぐったいように熱くなる。
リリアーナお姉様は嬉しそうに目を細め、大きく手を振った。
「近いうちに公爵邸へ遊びに行くわ!」
「え、ええ!」
私も笑い返す。
「待ってるわ! リリアーナお姉様!」




