↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

7/11

7. スープ作ります

 家に帰ると、常温保存が効く小麦粉や塩の袋は倉庫の棚へと押し込んでいく。

 空間収納に放り込んでおけば、劣化も防げるし便利なのだが、あえて棚に並べてみる。

 成り行きとはいえ、初めての異世界で、こんな素敵な一軒家で一人暮らしなのだから、形からスローライフ感を満喫していきたい。

 雰囲気作りだって立派な異世界インテリアの一つだと思う。

 棚の奥を覗き込むと、真新しい鉄製の片手鍋から巨大な寸胴まで、厨房顔負けの調理器具がずらりと揃っていた。

 フェルディさんは一体俺が何をすると思ってたんだろうという気は物凄くするのだが、寸胴が複数あるのは、有難かった。

 まさに神の恵み。


 まずは肉屋でもらったボアとコカ鳥の骨を徹底的に水洗いする。

 骨の髄に残った血合いや汚れを指先でこそぎ落し、一度沸騰した湯に放り込んだ。

 表面の色が変わり、嫌な獣臭を含んだ灰汁が浮き上がってきた所で、一度湯を全部捨てる。

 ここで手間を惜しむと、スープどころか鼻をつく生臭い汁が完成してしまう。

 流水でもう一度骨の表面を洗い流し、今度は二つの寸胴にたっぷりの水を張って、ボアとコカ鳥の骨を別々に沈めた。

 水からじっくり煮出すのがうまいスープを取る鉄則である。

 ラーメンのスープもそうだが、基本的にスープのベースは手間と時間をかけるほど美味しくなる。

 強火にかけ、グラグラと煮立ち始めたら弱火に落とし、ここからは根気との勝負。

 表面に浮かび上がってくる茶色い灰汁を、お玉で根気よく掬い続ける。


 一時間もすると、湯気から血生臭さが完全に消え去り、うっすらと甘い香りが漂い始めた。

 ここで市場で買い込んだ異世界の香味野菜の出番だ。

 細かく刻んでボアの寸胴へ放り込む。

 さらに、庭の隅に自生していた香りの強い草を紐で縛り、即席のブーケガルニに仕立てて鍋に沈めた。

 コカ鳥の寸胴には、香草の強い香りが合わない気がしたので、香味野菜だけを投入する。

 立ち上がる湯気が、食欲を刺激する芳醇な香りへと変わっていくのを感じながら、俺は満足げに息を吐いた。


 スープをコトコト煮込んでいる待ち時間を利用して、パンの仕込みに取り掛かる。

 あの食堂で出された凶器のように硬い黒パンは、申し訳ないが食べたいとは思わない。

 というか食べ物かどうかも怪しいと思っている。

 文字通り歯が立たないものは食べ物ではないと俺の常識が告げている。

 この世界の人たちだって、黒パンしかないから食べているのであって、柔らかいパンが流通するようになれば、きっと黒パンを食べなくなるんじゃないだろうか。

 とにかく、ふかふかの白パンを焼くために天然酵母は絶対に必要だ。

 元の世界で読んだ異世界転生ものの漫画か小説で、リンゴから酵母を培養しているシーンがあった気がする。

 異世界転生モノで得た知識を、ガチの異世界転生で活用する日がくるなんて、控えめにいってもギャグでしかないが、断片的な記憶をかき集めてみる。

 確かりんごを使うことと、水に浸しておくと気泡がでてくることくらいしか覚えていないのだが……。


 俺は市場で買ったりんごによく似た果物、リルの実を細かく刻み、四つのガラス瓶に分けた。

 それぞれに常温の水、お湯、砂糖水、塩水を注ぎ込み、きっちりと蓋を閉める。

 どれが正解か、はたまた全部ハズレかは分からないが、思いつく限りを全部試せばなんとかなるだろう。

 四つの瓶を窓辺に並べ、発酵が進むのを祈るように眺めた。


 一通りの作業が終わり、後はスープの様子をみながら待つだけ。

 厨房に満ちるスープの香りにうきうきしながら、俺は手挽きのミルで砕いた珈琲を淹れた。

 熱い湯を注ぐと、深く焙煎された粉がふわりと膨らみ、懐かしい香りを含んだ湯気が鼻腔をくすぐる。

 マグカップを傾け、一口含む。

 舌に広がる心地よい苦味に全身の力が抜けていくようだった。

 ブラックコーヒーよりカフェオレ派ではあるが、それでも元の世界を感じるものに安心したのかもしれない。


「……しばらく生活に困らないだけのお金はあるけど、嗜好品とか快適さにこだわると一瞬で溶けていきそう」


 二日目にして、すでに金貨二枚以上の出費だ。

 肉屋の店先に並んでいた霜降り肉も、目の玉が飛び出るほどに高かった。

 肉屋の親父さんは「自分で狩ればタダだぞ」と豪快に笑っていたが、少し前までスーパーの特売肉を争奪していただけの男子高校生に、あの巨大なボアを狩れるとは思えない。

 しかし、背に腹は代えられない。

 一端の冒険者をできる程度の恩恵を付けてくれたと言っていたのだから、小型の獲物くらいなら……。


「よし、生活費と食材を稼ぐために、明日にでも冒険者ギルドへ行こう」


 マグカップに残った珈琲を一気に飲み干した。

 立ち上がった俺は、そのまま火にかけている寸胴の中を覗き込んだ。

 水からじっくりと煮出し、浮き上がる灰汁をひたすら丁寧に取り除き続けた成果物がこれだ。

 最初に骨を湯通しして血合いを洗い流すという手間をかけたおかげで、獣特有の鼻を突く生臭さは微塵も感じられない。

 我ながら完璧な仕上がりに嬉しくなる。

 そろそろ頃合いだろう。

 別の鍋の上にザルを置き、さらに清潔な布を敷き詰めてから、寸胴の中身を一気に濾していく。

 役目を終えた骨や野菜が布に残り、鍋の底には不純物の一切ない、透き通った黄金色の液体だけが溜まっていく。

 立ち上がる湯気は、それだけで胃袋を鷲掴みにされるような、口の中に唾液が溢れてくるような美味しそうな匂いがする。


 さて、ここから更に濾したスープを火にかけて、水分を限界まで飛ばしていく。

 とろみのあるシロップ状になるまで煮詰めて自家製のコンソメキューブを作る計画なのだが、これには恐ろしく時間がかかる。

 鍋底に焦げ付かないよう、俺はヘラを握りしめ、琥珀色に染まっていく液体をひたすらにかき混ぜ続けた。

 とろみがつき始め、そろそろ火から下ろそうかと考えた矢先だった。


「へえー、それは料理?なんだかすごくいい匂いだね」


 一人暮らしの家の中で、耳元に唐突に響いたのんきな声に、俺は文字通りその場で飛び上がった。

 ドッドッドッと、肋骨を突き破りそうなほど心臓が激しく警鐘を鳴らしている。

 首がちぎれる勢いで振り返ると、そこには見覚えのある見事な金髪を揺らし、「やほー」と無邪気に手を振るフェルディさんが立っていた。


「フェル……ディ……さん??なんでここに??」


 喉から絞り出した声は裏返っていた。

 神様の降臨といえば、もっとこう、荘厳な神殿でまばゆい光の柱みたいなのと一緒に現れるもんじゃないのか。

 これでは完全に、夕飯の匂いに釣られてわらわらと台所に集まってくる弟妹たちと一緒だ。


 しかも、神界で感動的な別れを交わしてから、まだたったの二日しか経っていない。

 あの時、胸の奥で少しだけ感じた切なさや寂しさを、今すぐ全部返してほしい。


「んー、なんだかすごく美味しそうな匂いがしたから?」


「神様って、そんな食い意地張った理由でホイホイ下界に降りてきていい存在なんですか……?」


 あきれ果てて突っ込むと、フェルディさんは悪びれる様子もなくへらっと笑う。


「普通はそんなことないよ。でもリーヤは特別だからね。神界で君に恩恵を与えた皆にとってみれば、自分の子供みたいな感覚なんじゃないかなぁ?」


 そう言いながら、フェルディさんは俺の肩越しに甘い香りを放つ鍋の中を覗き込んできた。


「ね、これ食べられるの?」


「食べられますよ。ただ、これはスープになる原液みたいなものなので、塩で味を調えて具材をいれないと完成じゃないですけど」


 俺が説明すると、フェルディさんの瞳が星を散りばめたようにキラッキラに輝き始めた。

 俺の顔と鍋を交互に見つめるその眼差しには、隠し切れない巨大な期待がパンパンに詰まっている。


「えっと……晩御飯、食べていきます?」


 俺がため息混じりに尋ねた瞬間、美しい金髪が乱れるほどに、彼の首が縦にぐわんぐわんと激しく揺れた。

 大家族長男の悲しい性というか、腹を空かせた奴を目の前にするとどうしても放っておけない。

 俺は握っていたヘラをフェルディさんの手にごく自然な動作で押し付けた。


「じゃあ、これ。俺は具材の準備するんで、こっちの鍋が焦げ付かないように底からしっかり混ぜておいてください」


 世界の管理を司る神様であろうと関係ない。

 加賀家の、いや、大家族の絶対的な掟は「働かざる者、食うべからず」なのだから。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。