10. 冒険者ギルド(後編)
「じゃあ、冒険者登録をお願いしてもいいですか?」
俺が申し出ると、チェルシーさんは猫耳をピンと立てて、嬉しそうに頷いた。
「もちろんです!ではまず生体情報を登録しますので、こちらの針に少しでいいので指をさしてもらえますか?登録に少量の血液が必要になりますので」
そう言って、木箱から手のひらサイズの奇妙な魔道具を取り出した。
冷たい金属の質感をした円盤の中心には、銀色に光る鋭い針が上を向いて突き出している。
どうやら、ここに指を押し付けて血を採るらしい。
健康診断の採血などよりはマシだろうが、自分の意思で指に針を突き立てるという行為には、どうしても本能的なブレーキがかかる。
冒険者になるのに、そんなことで大丈夫かというツッコミは無しの方向にして欲しい。
「うぅ……自分で刺さないといけませんか?」
針の短さからして、せいぜいチクッとする程度だと頭では理解している。
あの血糖値をはかる時に、指をちょっと指すくらいの。
しかし、いざやれと言われると、どうしても指先が躊躇して震えてしまう。
情けない顔でモタモタしていると、背後からクスクスと忍び笑いが聞こえてきた。
「ふふ、リーヤくん。お姉さんが手伝ってあげようか?」
甘い香水の匂い。
振り返ると、食堂でリルの酸味にやられていた時に、果実をくれた剣士風のお姉さんが、面白そうに目を細めて立っていた。
「あ、確か、イリアさん」
「覚えててくれたのね。さ、リーヤくん、手を貸して?」
イリアさんは有無を言わさず俺の左手を引き寄せると、針の上に俺の指を誘導し、自分の手を上から覆い被せるように重ねた。
ごつごつとした剣士の手ではなく、意外なほど柔らかく温かい感触が肌を伝う。
そして、考える隙も与えずに、ぐっと下へ力を込めた。
チクッ、と指先に微かな痛みが走る。
自分でやろうとすればどれだけ時間がかかっていたか分からないが、他人に任せてしまえばあっけないものだ。
「あぁっ!それは私の役目!」
カウンターの奥で、チェルシーさんがバンッと机を叩いて声を荒げた。
ギルド職員の仕事だったとは、イリアさんに流されるまま仕事を横取りさせてしまって悪いことをしてしまった。
そんなことを考えている間に、針に刺した指先から赤い血の滴が魔道具の表面に落ちた。
すると、血の滴はジュワッと光の線に変わり、魔道具の下にセットされていた金属製のカードへと吸い込まれていく。
まるで水滴が砂に染み込むような、不思議な光景だった。
「すみません、イリアさん、お陰で助かりました。チェルシーさんも、俺がもたもたしているからお仕事の邪魔してごめんなさい」
俺が慌てて頭を下げると、チェルシーさんはハッとして、パタパタと両手を振った。
「い、いえ!リーヤさんは全く持って悪くないですよ!」
獣耳をペタンと伏せながら焦る姿は、とても人が良さそうだ。
完成した冒険者カードを受け取ると、それはひんやりとした金属の薄い板だった。
表面には、名前、年齢、現在のランク(F)、そして登録したギルド名だけが、エンボス加工のようにうっすらと浮き出ている。
「意外にシンプルなんですね。ステータスとかも、もっと詳しく書かれているのかと思ってました」
「ステータスは究極の個人情報ですからね。もちろん、パーティを組む際に自分のレベルや『タンク型の剣士です』といった役割を開示することはありますが、基本的には秘密なんです。だから、暗黙のルールとして他人のステータスをしつこく聞き出すのは御法度なんですよ」
チェルシーさんの説明に、俺は深く納得した。
どこの世界にも悪い奴はいる。
自己防衛のためのシステムがしっかりしているのはありがたい。
俺が神様たちから盛大に盛ってもらった変なスキルや恩恵が、こんなところでうっかり公開されずに済んでよかったと胸をなでおろした。
「で、イリアさんはいつまでリーヤさんの手を握っているんですか!?」
チェルシーさんの鋭いツッコミに、俺は自分の左手に視線を落とす。
言われてみれば、針を刺し終えた後も、イリアさんは俺の手をがっちりとホールドしたままだった。
カードの不思議な仕組みに夢中で、完全に手のことが意識の外になっていた。
「血を出したんだから、止血しているだけよ」
イリアさんは悪びれる様子もなく、俺の指の間に自分の指を絡ませ、付け根をきゅっと締め付けている。
しかし、刺した人差し指の腹を見ると、すでに傷口はふさがり、血など一滴も出ていない。
「イリアさん、もう血も止まっているみたいです。親切にありがとうございます」
俺は長男時代に培ったご近所スマイルを顔に貼り付け、やんわりと手を引き抜いた。
すると、イリアさんはどこか不満そうな、何とも言えない表情を浮かべた。
「あの、チェルシーさん。あの二階に見えている本って、読んでいいやつですか?」
俺は話題を変えるため、酒場部分の吹き抜けから見える二階の本棚を指さした。
遠目だが、分厚い図鑑のような背表紙が並んでいるのが見える。
「ええ、二階に椅子とテーブルがあるので、持ち出しはできませんが閲覧は自由に可能ですよ。もちろん無料です」
至れり尽くせりである。
街の本屋を覗いた際、一冊の値段があまりにも高額で手が出なかったため、これは非常にありがたい情報だった。
「ありがとうございます。ではまた日を改めてお邪魔します」
俺はチェルシーさんと、少し名残惜しそうなイリアさんに見送られながら、冒険者ギルドを後にした。




