閑話. ギルド受付嬢チェルシーの楽しみ
ここは、グランヴェル王国の地方都市ファルエン。
この大陸には、グランヴェル王国、エルネスト王国、オルディス王国っていう三つの大きな国があるんですけど、私たちのグランヴェル王国は、大きく分けると王都グランヴェル、商業都市カルカ、港湾都市サリア、そしてこの地方都市ファルエンからなる、商人と貴族が中心の国なんです。
王都はそれはもうキラキラとした貴族様たちが、カルカとサリアは豪商たちが中心になって、華やかな文化や経済がバーッて広がってるんですよね。
それに引き換え、ここファルエンは地方都市っていうくらいだから、王都の喧騒からは程よく切り離された、良く言えば静かで穏やか、悪く言えば……めちゃくちゃ退屈な街。
王都へ向かう行商人の馬車が土埃を巻き上げて行き交う通りを抜け、ギルドに併設された酒場から漂うエールの饐えた匂いの中で冒険者たちの依頼を受け付ける。
それが私、ギルド受付嬢チェルシーの日常の全てでした。
新たな住人が定住することなんて滅多になくて、いたとしても怪我で引退を余儀なくされたワケアリのオジサン冒険者くらい。
ギルドの受付嬢といえばですよ!?
物語の中では、凄腕のイケメン剣士や美形の魔術師とロマンスに発展する花形職業の代表のはずじゃないですか!
なのに、現実のファルエン支部を見渡せば、汗と獣、脂の匂いを染み込ませた、恋人にしたいとは到底思えないむさくるしいガタイの男たちばかりが、昼間っからエールのジョッキを打ち鳴らしてるんです。
王都のギルド本部なら、英雄クラスのSSランク冒険者もいて、ロマンス無しでも目の保養になりそうだけど……。
お給料と労働環境がきちんと守られていることだけが唯一の救いとはいえ、心が跳ねるようなときめきイベントなんて、この街のギルドには微塵も存在していなかったんです。
あの日までは!
「あの、冒険者について教えて欲しいのですが……」
羊皮紙の依頼書を束ねながら、心の中で絶賛毒づいていた私の耳に、まだ幼さが抜けきらない、それでいて微かに男らしさを孕んだ不思議な声が響きました。
弾かれたように顔を上げると、むさ苦しい酒場の熱気とは完全に無縁の、マイナスイオンでも出てるんじゃないかってくらい清涼な空気をまとった青年——というか少年が、私の方を見つめていました。
艶やかな漆黒の髪に、夜の闇を溶かしたような深い黒曜石の瞳。
この辺りでは見たこともないエキゾチックな色彩!
王都の豪奢な劇場で歓声を浴びる人気俳優すら、彼の前では霞んでしまうでしょうね。
見たことないけど絶対そう!
まだ大人になり切れていないその端正な顔立ちからじぃーっと熱の籠った視線を向けられて、私の胸の奥でドクンッと大きな音が鳴りました。
ひぃっ、未成年かもしれない彼に対してときめきを覚えるなんて、ひどく背徳的な熱が頬を焦がしていくのを感じちゃいます……!
「あの、俺、遠くから引っ越してきたばかりで……。正直、本物の獣人さんだと思っていなくて、耳が動いたからびっくりしちゃって……」
私の頭部でぴこぴこと動く獣耳を見つめ、彼は不躾な視線を送ってしまったことを慌てたように釈明してくれました。
その、しどろもどろな言い訳が、不快どころか……たまらなく愛おしいっ!
あぁ、なんて初心な反応なんでしょう!
ギルドの荒くれ者たちの下品な視線とは違う、純粋な驚きに満ちたその瞳を見ていると、心の奥底からふつふつと強烈な庇護欲が掻き立てられていくのを感じます。
私が守ってあげなきゃ!って。
色々な説明を終えて冒険者になることを決めた彼は、いざカードの登録という段になると、血を抜くための魔道具の小さな針を目の前にして、あわあわと分かりやすく狼狽え始めました。
「うぅ……自分で刺さないといけませんか?」
かすかに震えるその声に、私の理性は完全に吹き飛びました。
あぁもう、きゅんってする!
かわいすぎる!
すかさず私が手伝ってあげようと身を乗り出した瞬間、横からふわりとしつこさを感じる甘い香水の匂いが割り込んできました。
ギルドの常連、冒険者のイリアです。
冒険者の癖に、いつも香水の匂いをぷんぷんさせています。
魔獣に居場所がすぐばれるんじゃ、と思っていた時期もありましたが、こうも匂っていると魔獣も嫌がって近寄りませんね。
イリアは有無を言わさず彼の左手を掻っ攫うと、どさくさに紛れて堂々と恋人繋ぎを満喫しているじゃないですか!
ちょっと、私とリーヤさんの逢瀬を邪魔するなんて!
頭にカッと血が上ります。
無事に登録を終えた彼は、また来ると言ってギルドの古びた無駄に重厚な扉を開け、笑顔のまま春の陽光の中へ姿を消していきました。
「「尊い……」」
バタンと扉が閉まった瞬間、私とイリアの口から全く同じ感嘆の吐息が被って漏れました。
ハッと我に返った私は、すかさず隣の女剣士をジロリと睨みつけます。
「ちょっと、イリア、あんたリーヤさんとどういう関係なの?手を握っててもお母さんみたいに手当てしてくれてるだけと思われてたから、絶対に女として見られてないんじゃなーい?」
「あんただって、ただのビジネスライクなお付き合いじゃない!」
「はぁぁああ!?」
火花を散らして入り口でぎゃあぎゃあと口論を始めた途端、頭上からドゴォン!と雷が落ちたかのような衝撃が降ってきました。
「うるせぇ!ギルドの入り口で騒ぐんじゃねぇよ!」
奥から出てきた筋骨隆々のギルドマスターの、巨大なげんこつでした。
頭を抱えてしゃがみ込みましたが、鈍い痛みが頭蓋骨を揺らすようです……。
でも、不思議と怒りは湧いてきません。
だって、これからのギルド業務に、リーヤさんという極上の潤いが追加されたんですから!
私はズキズキと痛む頭をさすりながら、明日からの仕事へうきうきと活力が湧き上がってくるのを感じていいました。
ファルエン支部、最高ーっ!




