4、家庭教師で師匠だった人
先生、と呼ばれる人との出会いはアイザックとセドリックの出会いまで遡る。もう十年ほど前のことである。時期で言うならアイザックがもうすぐ七歳となる誕生日が近づいてきた頃である
初対面は先生がセドリックを連れてアイザックの家に来たことであった。
コンコンッと軽く握った手で扉を叩くような音が聞こえる。
「こんにちわー!」
「はーい」
幼いアイザックはその音が食料を持って訪ねて来てくれるリョウだと思ったらしい。
アイザックの家の周辺には不恰好ながらも敵意を持つ者を弾く結界が常時張られている。危険人物であればその時点で弾かれる。玄関にたどり着いたという事は、安全な者であると判断されたということである。
そのことからもアイザックは特に警戒せずに扉を開ける。
扉を開けるとそこにはメガネをかけた背の高いすらっとした女性と同じぐらいの七歳ほどの少年が立っていた。
「どちら様ですか?」
「ここはロベック医官のお宅かな?」
「そうですが…………何のご用ですか?」
いつも来ているリョウではないと気づきアイザックは警戒モードに入る。
「アウトルック公爵から「社会見学をするならあまり周りにあるものをしらないロベック医官の息子達も参加させてやってくれ」って言われて来たんだけど、聞いてない?」
「聞いてないです」
「聞いてないかー」
残念ながらアイザックにはそんな連絡は来ていない。
記録のできる連絡器具は家の中での交通量が多いところの柱に付いていて、いつでも連絡が来ていることが分かるようになっているが、そんな連絡は一切、来ていない。
どうやら本当に連絡がされていないという事に女性は気づいた。
「君はロベック医官の息子さんのアイザックくんかな?」
「そうです、けど、どちら様ですか?」
「ああ、自己紹介が遅れていたね」
女性はアイザックと目線を合わせるようにスカートが汚れるのも気にせずしゃがみこみ、自分に向けて指を差す。
「私はアウトルック家で家庭教師をしているオリビア。こっちの子がその相手のセドリック君。ほら、挨拶。挨拶って大事なんだぞー」
「アウトルック家の嫡男、セドリック・フォン・アウトルックだ」
「ウィグル・ロベックの息子、アイザック・ロベック。よろしく」
アウトルック家、と言えば王族貴族の監視役として国民の間で広く認知されている一族の本家の名前だ。長寿な者と短命な者の落差が激しいことでも有名である。それでも、厳しくとも公平な判断をしていることで民衆から支持されている。
ウィグルはなんの伝手かそんな本家で医官として働いていた。ウィグルが亡くなった後、その役目はアイザックへと引き継がれている。
簡単自己紹介を終えるとオリビアは誰かを探すように周囲を見渡した。
「達って聞いてるんだけど、もう一人居るのかな?」
「妹がいる、けど今王都の手習い場に行ってる。夕方にリョウさんが迎えに行ってくれるから今はいない」
「そっか」
今年で四つになるリペルは本人の希望で王都にある民間の手習い場に通っている。そこそこ遠いところ一人で行き帰りするには幼すぎるとの事でほとんど保護者代理のリョウと船を持っている仕事仲間の漁師が送り迎えをしてくれている。
「まあ、とりあえず、一緒に来てみない?」
「……………………でも、リペルが帰ってくるし、家に来る人の対応をしないと、」
「大丈夫!」
外に出ることには心惹かれるが、リペルをこの家に一人で残す訳にも、帰って来たら誰も居ない家ということにするのも、来客してくる人がいることもアイザックにとっては心残りなのだ。
そんなアイザックを安心させて外に出させるために、オリビアは言い切ってしまう。
「道中でリョウさんから今日はロベック家に行く奴は誰もいないって言ってた。リペルちゃんもうちに来させるって」
正確には、「大丈夫、大丈夫。今日用事あった奴は明日に回してもらうし、そもそも行かなきゃならないような怪我をさせねぇよ。アイザック坊もリペル嬢ちゃんもあんまり世間を知らないだろうし、社会勉強ぐらいはしないとな。リペル嬢ちゃんが連れ出せなかったら預かっておくし、出してやってくれ」と言っていた。この言葉とオリビアの言っている言葉は多少捻じ曲げてはいるが内容的には同じである。
「だからさ、家で勉強してるより、外に出て勉強もしてみようよ」
「…………………………そこまで言うなら、」
アイザックがオリビアの押しの強さに負けた瞬間であった。
その言葉を聞くとオリビアは軽々とアイザックを持ち上げた。
「よし、じゃあ、いってみよー!」
「わわっ、ちょっと、おろして! おろして! 落ちそう!」
「大丈夫! 絶対に落とさない」
オリビアはそう言うとアイザックを抱き抱えたまま飛行魔法を使った。その時にアイザックを抱きしめている。初めて空中を浮遊する時は安定感が無ければ怖いものも多い。そんなオリビアの心配とは裏腹に、アイザックは突然抱き上げられた方に驚いたようだ。
これだけ図太ければ問題ないだろうとオリビアは右手でアイザックを抱き抱え、セドリックの手を左手で取り、空に浮かび海の上に向かって飛んでいる。
アウトルック家初代が、アイザックの家が建っている場所周辺にある森にかけた、霧がかかっているように見え、方向感覚を狂わせる魔法をものともせず、突っ切って海の上から家の方を見せる。
しばらく上昇していたのがピタリと止まったことを感じアイザックは周りを見渡す。
「わぁ」
「空からの景色は綺麗なものでしょ?」
「すごくきれい」
足下を見ればどこまでも続く水平線に点々とある島、キラキラと太陽の光を反射する波、小さくなった家、頭上に広がる雲と輝く星々。太陽の光が真横の方から当たる感覚がする。アイザックにとって、こんなものは初めて味わった感覚だ。
「先生」
「どうしたのかな、セドリック君」
「俺の魔術を改造したでしょ」
オリビアはしばらくの沈黙の後、てへっといったような顔と仕草をした。
「バレた?」
「どうりで見覚えがあると!」
ポコポコという擬音が付きそうな攻撃をセドリックはオリビアの背中あたりにする。オリビアは全く痛くも痒くも無いように軽く笑う。
「あははは、今度からは聞くよ」
「そうしてください!」
セドリックは自分の発明した術をオリビアにアレンジされたことを知らずに使われた事で初めて知った。それならばもっと早くに教えておいて欲しかったのだろう。
そんな二人の様子を見て、アイザックはこんなにも洗練された、こんなにもセドリックが熱中した魔術、とやらが気になった。
「セド、リックくん」
「なに?」
なんとも不満げな返事をされたものだ。それでも勇気を出してなんとか気になった質問をする。
「魔術、って、おもしろいの?」
「そりゃあ、面白いさ! こんなのもできる!」
そう言ってセドリックは水で作り出した魚と炎で作った花をぐるぐると両手の指で動かす。鱗や花の皺まで、といった細かい部分まで作り込まれていてどうやって作れたのか素人目ではすごいという感想しかない。
「今までできなかったことが自分の手でできる。これ以上楽しいことは知識をつけること以外にないと思っているんだ。他にもこんなのとか」
「…………じゃあ、教えて、もらおうかな」
アイザックの返事を聞いたセドリックは先ほどまでの対応が嘘だったように喜びを顕にする。アイザックはまるで懐かなかった猫が急に懐いたかのような気分である。
「そうしよう! 先生の話は面白いよ!」
「…………興味は出たから一旦保留にする」
「保留にしないでさ! やろうよー!」
「ええー」
そんな小競り合いをオリビアは二人が落ちないよう支えながら優しく見守った。
そんな初対面の時から二年が経った。
扉が叩かれる音がする。
「はーい」
アイザックは来客者が来たと思い、試薬作業を乾燥待機状態にしてから一時中断し、早足で玄関に向かい扉を開ける。
「やっほー! 元気にしてた?」
そこには陽気な状態のオリビアとぐったりした顔をしているセドリックがいた。
セドリックは珍しく事前に連絡があった為、アイザックは来ることを知っていたが、オリビアが来るとは珍しく事前連絡が無かった為、知らなかった。
以上のことから、連絡したことを褒めればいいのか、連絡しなかったことを怒ればいいのか、そもそもなぜ来たのかという感情によりアイザックは頭に手を当てた。
「………………………………何で二人とも来てるんだ」
「ちょうど目的地が同じだったから」
「ここに来る途中に会ったから」
なんでわざわざ二人揃ってくるんだとアイザックは頭を抱えたくなった。別に会ったからと言って買い物や移動方法など全く別なのだろうからそれぞれで来ればいいものを全く頭にないあたりは師弟だと思える。
「とりあえず、中にどうぞ」
「「おじゃましまーす」」
「どーぞー」
このまま外に出しておく訳にもいかないのでアイザックは二人を家に招き入れる。
「今日はリペルいるよ」
「そうなの」
なぜか安心したような声色でオリビアは言う。
リペルが誰が来たのか気になったようでひょっこり壁から顔を出して嫌そうな顔をして少し引っ込んだ。
「オリビア、さん、ですか」
「そうだよー。今日は少ししか居ないからお茶はいらないよ」
「分かりました。出しておきますね」
「飲まないって言ってるじゃん!」
全く、もー! と怒っているような動きをしても子供のようにしか見えない。もっとも、実年齢ではなくて外見年齢を見ればそうにも見えなくはない。それでも20代から30代あたりにしか見えないのだが。若見え顔なだけなのだろうか。
「先生、うちに何の用ですか?」
「いやー、最近顔出せてなかったと思って、顔出しに来た」
「無駄にキリッてしないでくださいよ」
オリビアはどや顔を披露した。そこに鋭いセドリックのツッコミが入る。
「この後に用事があるから出るよ」
「本当に顔を出しに来ただけですか」
「そうだよー」
オリビアはリペルに出されたお茶も飲まずに立ち上がる。それだけ急いでいるというのに顔を出しに来たのだ。愛着は確かにあるのだろう。スタスタと早足で玄関にたどり着き、長いロングブーツを履き直す。
「じゃーねー。元気にしといてよー」
「はいはい、なるべく元気にしますよー」
パタンッと玄関の扉が閉まった。
それ以降、オリビアが彼らの前に現れることは無かった。




