第4話 お兄様、わたくしを夢想家扱いなさるおつもり?
「お兄様。昨日の話の続きを聞かせていただきますわ」
朝食を終えたわたくしは、席を立とうとしたニールを呼び止めた。
昨日から、ずっと考えていた。
『君を、君自身の知らない何かに従わせたくないからだ』
あの言葉の意味を、どうしても確かめたかった。
ニールは少し考えたあと、うなずいた。
「わかった。今日の放課後、僕の部屋に来てくれ」
「今、ここで説明なさってもよろしいのでは?」
「ここでは話しにくいことなんだ」
また、何かを隠している。
けれど、今度こそ逃がすつもりはなかった。
◇
放課後、わたくしがニールの部屋を訪ねると、彼は机の前に座って待っていた。
「座ってくれ」
「説明次第では、すぐに帰らせていただきますわ」
「もちろん」
ニールは向かいの椅子を勧めた。
わたくしが腰を下ろすと、彼は静かに口を開いた。
「イライザ。この世界は、ゲームなんだ」
「……はい?」
思わず聞き返した。
「ゲーム。前世で遊んでいた、物語を進めていくためのものだよ」
「お兄様。わたくしをからかっていらっしゃるの?」
「そう思うのも無理はないね」
「当然ですわ! この世界が何ですって? 遊び? わたくしたちの暮らしが、誰かの遊びだとおっしゃるの?」
「そうだ」
ニールは、冗談を言っている顔ではなかった。
「僕は前世の記憶を取り戻した。ここではない世界で生きていた記憶だよ。そこで僕は、この世界によく似たゲームを遊んでいた」
「……」
「登場人物も、学園も、起こる出来事も、驚くほど一致している。だから、ここがそのゲームの世界だとわかったんだ」
理解できなかった。
いや、理解したくなかったのかもしれない。
わたくしが生きているこの世界が、誰かの作った物語?
そんな馬鹿な話があるものですか。
「では、わたくしも、そのゲームの登場人物だと?」
「そうだよ」
「お兄様も?」
「そう」
「キャンディさんも?」
「もちろん」
ニールは迷いなく答えた。
わたくしは、しばらく彼の顔を見つめていた。
「……では、わたくしはどのような役目なのです?」
ニールの表情がわずかに曇った。
「悪役令嬢だよ」
「悪役……令嬢?」
「主人公たちの恋路を邪魔して、最後には破滅する役だ」
何も言えなかった。
破滅。
このわたくしが?
ラガン家の娘である、このわたくしが?
「ふざけないでくださいませ!」
気づけば、立ち上がっていた。
「わたくしが破滅する? そのような馬鹿げた話、信じられるはずがありませんわ!」
「信じろとは言わないよ」
「でしたら、どうしてこんな話をなさるのです!」
「君に知っておいてほしかったからだ」
ニールは、わたくしから目をそらさなかった。
「君がキャンディに嫌がらせをするのも、アンソニーとキャンディの仲を邪魔するのも、ゲームの筋書きに沿った行動なんだ」
胸の奥が、ひやりとした。
キャンディを見れば、嫌味を言いたくなる。
彼女が困った顔をすれば、胸のざわめきが収まる。
なぜ、そんなことをするのか。
自分でもわからなかった。
けれど、それがゲームの筋書きだと言われれば――。
「……証拠は、ございますの?」
「あるよ」
ニールは机の引き出しから手帳を取り出した。
「僕が前世で知っていたゲームの展開を記録している。これから起こる出来事も、ある程度はわかる」
「それだけでは、証拠になりませんわ」
「そうだね。だから、確かめてみよう」
「何を?」
「君が本当に、自分の意思で行動しているのかどうか」
わたくしは眉をひそめた。
「……どういう意味ですの?」
「明日、キャンディに会っても、何も言わずに通り過ぎてみてほしい」
「嫌ですわ」
即答だった。
なぜ、嫌なのだろう。
キャンディに話しかけなければならない理由などない。
なのに、何も言わずに通り過ぎることを想像しただけで、胸の奥が落ち着かなくなる。
「……どうして、そんなことをしなければなりませんの?」
「自分で確かめてほしいんだ」
ニールはそれ以上、何も言わなかった。
◇
翌日。
わたくしは学園の廊下で、キャンディを見つけた。
彼女は一人で本を抱えて歩いていた。
ニールとの約束が頭をよぎる。
何も言わずに通り過ぎる。
ただ、それだけだ。
わたくしは顔を上げ、彼女の横を通り過ぎようとした。
その瞬間、胸の奥が強く締めつけられた。
何か言いなさい。
そんな声が聞こえた気がした。
もちろん、誰も話しかけてはいない。
それでも、足が止まった。
キャンディがこちらを振り向く。
「イライザ様?」
やめなさい。
わたくしは心の中で、自分に言い聞かせた。
何も言う必要はない。
彼女は何もしていない。
わたくしが嫌味を言う理由など、どこにもない。
なのに、口が開いた。
「キャンディさん。ずいぶんとご機嫌ですこと」
言ってしまった。
いつもの嫌味だった。
胸の締めつけが、すっと消えた。
わたくしは自分の口元に手を当てた。
今のは、本当にわたくしが言いたかったことなの?
それとも――。
「イライザ様?」
キャンディが不思議そうに首をかしげる。
わたくしは返事をせず、その場を離れた。
逃げるように廊下を歩きながら、何度も考えた。
ニールの話が本当なら、わたくしの行動はゲームの筋書きに沿ったもの。
では、わたくし自身の意思は、どこにあるの?
わたくしは、いったい何者なの?
◇
その日の夕方。
わたくしは再びニールの部屋を訪れた。
「お兄様」
「どうだった?」
「……お兄様のおっしゃったとおりでしたわ」
認めるのは悔しかった。
けれど、嘘をつくこともできなかった。
「キャンディに何も言わずに通り過ぎようとしたら、どうしても嫌味を言わずにはいられなかったのです」
ニールは静かにうなずいた。
「やっぱりね」
「やっぱり、とは何ですの?」
「君が悪いわけじゃない。君の意思とは関係なく、決められた行動を取らされている可能性があるんだ」
「……そんなことが、本当に?」
「僕にも、すべてはわからない。でも、君が自分の意思で選べることを増やす方法はあるはずだ」
わたくしは椅子に座り直した。
まだ、すべてを信じたわけではない。
けれど、もう無視することもできなかった。
「お兄様」
「何だい?」
「もし、本当にわたくしがゲームの登場人物なのだとしたら……」
言葉を切った。
口にするのが怖かった。
「……わたくしが破滅するという未来も、決まっているのですか?」
ニールは、すぐには答えなかった。
そして、静かに首を横に振った。
「決めさせないよ」
その言葉に、わたくしは顔を上げた。
「君の未来を、誰かの筋書きだけで決めさせるつもりはない」
わたくしは、初めて兄の言葉を信じてみたいと思った。
ほんの少しだけ。
ほんの少しだけですわ。




