第3話 お兄様、何を隠していらっしゃいますの?
翌朝、ニールは学園へ向かう馬車の中で、窓の外を眺めていた。
その横顔を、わたくしはじっと観察していた。
昨日の会話が、頭から離れない。
『君を、君自身の知らない何かに従わせたくないからだ』
いったい、何のことなのだろう。
ニールは昔から頭がよかった。けれど、あのような意味深な言葉を口にする人間ではなかったはずだ。
「お兄様」
「何だい?」
「最近、何かございましたの?」
「どうして?」
「いえ……以前とは、少し違うように感じますの」
ニールは一瞬だけ目を見開き、それから微笑んだ。
「そうかな。君がそう思うなら、そうなのかもしれないね」
まただ。
質問に答えているようで、何も答えていない。
「……もう結構ですわ」
わたくしは顔を背けた。
腹立たしい。
以前なら、ニールの考えていることくらい、聞かずともわかったのに。
◇
その日の昼休み。
わたくしは、食堂でキャンディを見つけた。
彼女は友人たちと食事をしていた。アンソニーの姿はない。
今なら、余計な邪魔も入らない。
そう考えた瞬間、わたくしの足は自然と彼女の方へ向かっていた。
また、だ。
胸の奥に、あの落ち着かない感覚が広がる。
何か言わなければ。
彼女を困らせなければ。
そうしなければ、何か大切なことを忘れてしまうような気がする。
わたくしは立ち止まった。
どうして、そんなことを思うのだろう。
キャンディは、ただ食事をしているだけではないか。
わたくしが声をかけなければならない理由など、どこにもない。
ならば、このまま自分の席へ戻ればよい。
そう考えて、踵を返そうとした。
「イライザ様?」
キャンディがこちらに気づいた。
その瞬間、頭の中がすっと静かになった。
「あら、キャンディさん。ずいぶんとおいしそうに召し上がっていますのね」
口から出たのは、いつもの嫌味だった。
キャンディが困ったように笑う。
「はい。とてもおいしいです」
「そう。平民の方には、珍しいお料理なのかしら?」
言い終えてから、わたくしは唇をかんだ。
また、こんなことを。
けれど、キャンディが傷ついた様子を見せると、胸の奥のざわめきが消えていく。
そのことに、わたくしは気づいてしまった。
まるで、決められた役目を果たしたかのように。
「イライザ」
ニールの声がした。
わたくしは振り返らなかった。
また止めに来たのだろう。
けれど、ニールはわたくしではなく、食堂の奥へ向かって歩いていった。
「先生。少し、お話があるのですが」
そこには学園の教師がいた。
ニールは教師に何かを告げ、書類を差し出した。
教師は驚いた顔をしたが、やがて書類を受け取った。
いったい、何をしているのだろう。
わたくしが不審に思っていると、ニールが戻ってきた。
「イライザ。今日はもう帰ろう」
「は? まだ授業が残っていますわよ」
「手続きは済ませたよ」
「手続き?」
「少し、確かめたいことがあるんだ」
ニールはそれ以上説明しなかった。
わたくしは納得できなかったが、彼の表情を見て、追及するのをためらった。
いつもの兄とは違う。
それだけは、はっきりしていた。
◇
その夜。
ニールは自室の扉を閉め、机の引き出しから一冊の手帳を取り出した。
そこには、彼がこの世界で目覚めてから記録してきたことが書かれていた。
最初は夢だと思った。
しかし、見覚えのある場所、聞き覚えのある名前、そして何より、かつて遊んだゲームと一致する出来事の数々。
偶然で片づけるには、あまりにも一致しすぎていた。
この世界は、ゲームの世界だ。
そして、自分はその登場人物の一人――ニール・ラガンとして生きている。
前世の記憶を取り戻した当初、彼は状況を楽しむ余裕さえあった。
ゲームの知識があれば、先の展開を知ることができる。
しかし、やがて彼は気づいた。
ゲームの筋書きでは、妹のイライザはキャンディを執拗にいじめる。
その末に、破滅する。
しかも、彼女はそれを望んでいるようにしか見えない。
昨日までの自分も、同じだった。
キャンディをからかうことに疑問を抱かず、イライザと一緒になって笑っていた。
だが、前世の記憶が戻った瞬間、その行動がひどく不自然なものに思えた。
なぜ、自分はあんなことをしていたのか。
なぜ、イライザはあそこまでキャンディにこだわるのか。
そして、なぜ彼女は、自分の行動を疑おうとすると、すぐに考えることをやめてしまうのか。
「……イライザ」
ニールは手帳を閉じた。
妹は、ゲームのことなど何も知らない。
自分がいずれ破滅することも。
それなのに、まるで破滅へ向かうことが決まっているかのように振る舞う。
ならば、やるべきことは一つだった。
筋書きに従わない。
まずは、ゲームの進行に必要な出来事を一つずつ潰していく。
今日、教師に提出したのは、学園の行事に関する変更の申請だった。
ゲームでは、この行事をきっかけにアンソニーとキャンディの仲が深まり、イライザが二人の仲を引き裂こうとする。
ならば、その機会をなくせばいい。
単純な話だ。
……そう、単純なはずだった。
ニールは窓の外を見た。
夜空には、無数の星が輝いている。
「さて。どこまで変えられるかな」
その声を聞く者は、誰もいなかった。




