第2話 お兄様、いったい何を企んでいらっしゃいますの?
「お兄様。昨日の振る舞いについて、説明していただけますかしら?」
朝食の席で、わたくしは向かいに座るニールを問い詰めた。
昨日まで、わたくしたちは同じ考えを持っていたはずだ。
キャンディス・ホワイト・アードレー。あの娘をからかい、困らせ、恥をかかせる。それはわたくしたち兄妹にとって、ごく当たり前のことだった。
それなのに、ニールは突然、あの娘をかばった。
「説明と言われてもね」
「昨日は、わたくしと一緒になって笑っていらしたではありませんか」
「そうだったね」
「でしたら、どうして急に態度を変えたのです?」
ニールはカップを置いた。
「考え直したんだ」
「……は?」
「キャンディに嫌がらせをする理由なんて、別にないだろう?」
思わず眉をひそめた。
理由ならある。平民の娘が身の程もわきまえず、貴族の集まる学園で愛想を振りまいている。見ていて不愉快ではないか。
……あら?
わたくしは、そこで考え込んだ。
なぜ、不愉快なのだろう。
キャンディが誰と話そうと、どのような服を着ようと、わたくしには関係のないことではないか。
そう考えた瞬間、胸の奥がむずむずと落ち着かなくなった。
違う。そうではない。
あの娘は、わたくしが気に入らないのだ。だから、わたくしは――。
「イライザ?」
「……何でもありませんわ」
気づけば、疑問は頭の片隅へと追いやられていた。
わたくしは紅茶を口に運ぶ。
「ともかく、お兄様の昨日の行動は理解できませんわ。わたくしに恥をかかせるおつもりですか?」
「そんなつもりはないよ」
「では、今後はわたくしの邪魔をなさらないでくださいませ」
ニールは、困ったように笑った。
「それは約束できないな」
わたくしはカップを置いた。
何ですって?
このわたくしの言葉に、逆らうとおっしゃるの?
兄妹とはいえ、これまでニールがわたくしの意向に逆らったことなど、ほとんどなかった。
昨日までは。
まるで、別人になってしまったかのようだった。
◇
学園に着くと、キャンディは教室の窓際でアンソニーと話していた。
アンソニー・ブラウン。
家柄も容姿も申し分なく、学園の生徒たちからの評判もよい青年だ。
そして、キャンディは彼に気に入られているらしい。
それが、どうにも気に入らなかった。
わたくしは二人の方へ歩き出した。
何か言ってやらなければ。
そう思った。
何を言うべきかは、歩きながら考えればよい。
「キャンディさん。随分と楽しそうですこと」
口が勝手に動いたわけではない。
自分の意思で、そう言った。
けれど、言葉が口から出た瞬間、妙な感覚が走った。
まるで、これから言うべき台詞が、最初から決まっていたかのような。
「イライザ様?」
キャンディが振り向く。
わたくしは、彼女の顔を見つめた。
何を言えばよいのだろう。
いつもなら、いくらでも言葉が浮かぶはずだった。相手の欠点を見つけ、そこを突き、困った顔を見て満足する。
なのに、ほんの一瞬、何も思いつかなかった。
その沈黙を埋めるように、言葉がこぼれた。
「平民のあなたが、ブラウン様のお時間を独占するのは感心いたしませんわね」
言い終えてから、わたくしは小さく息をのんだ。
……今、わたくしは何を言ったの?
キャンディは困ったように目を伏せた。
アンソニーが一歩前に出る。
「イライザ。彼女は僕と話していただけだよ」
「それは存じておりますわ」
「なら、どうしてそんなことを言うんだい?」
どうして?
その問いが、妙に胸に刺さった。
どうして、わたくしはキャンディに嫌味を言ったのだろう。
彼女が何かをしたわけではない。アンソニーと話していただけだ。
それなのに、わたくしは――。
「イライザ」
背後から、ニールの声がした。
振り返ると、彼は呆れたような顔でこちらを見ていた。
「もういいだろう。二人の邪魔をするのはやめよう」
「お兄様!」
思わず声が大きくなった。
昨日に続いて、またしても。
周囲の生徒たちがこちらを見ている。
頬が熱くなった。
わたくしが、皆の前でたしなめられている。
よりによって、実の兄に。
「……わかりましたわ」
わたくしは顔を背けた。
これ以上、ここにいては余計な恥をかくだけだ。
その場を離れる直前、ニールと目が合った。
彼はわたくしを見ていた。
怒っているわけでも、勝ち誇っているわけでもない。
まるで、わたくしの様子を確かめているかのようだった。
◇
放課後。
わたくしは、ニールを人気のない廊下へ呼び出した。
「お兄様。今度こそ、きちんと説明していただきますわ」
「何を?」
「とぼけないでくださいませ。昨日からのお兄様は、明らかにおかしいですわ」
「そうかな?」
「そうです!」
思わず声を荒らげてしまった。
いけない。わたくしとしたことが。
わたくしは一度、呼吸を整えた。
「……お兄様は、キャンディをかばうようになりました。それも、わたくしの行動を邪魔してまで。いったい、何があったのです?」
ニールはしばらく黙っていた。
やがて、慎重に言葉を選ぶように口を開いた。
「イライザ。君は、キャンディのことをどう思っている?」
「嫌いですわ」
即答だった。
「どうして?」
「それは……」
言葉が止まった。
どうして?
わたくしは、あの娘が嫌いだ。
そう思っている。
けれど、なぜ嫌いなのかと問われると、うまく説明できない。
身分が違うから?
礼儀知らずだから?
いいえ。キャンディが何か失礼なことをしたと、具体的に思い出せるわけではない。
それでも、嫌いだ。
嫌いでなければならない。
その考えが浮かんだ瞬間、背筋に冷たいものが走った。
嫌いでなければ、ならない?
わたくしは、何を考えているの?
「……イライザ?」
ニールが心配そうに顔をのぞき込んだ。
「何でもありませんわ!」
わたくしは反射的に言い返した。
そして、彼の胸を指さす。
「とにかく、お兄様が何をお考えなのかは存じませんけれど、わたくしの行動に口を出すのはおやめくださいませ!」
ニールは、すぐには答えなかった。
その表情から、笑みが消えていた。
「それはできない」
「どうしてですの!」
「君を、君自身の知らない何かに従わせたくないからだ」
意味がわからなかった。
「何をおっしゃっていますの?」
「……今は、まだ説明できない」
ニールはそう言って、わたくしの横を通り過ぎた。
呼び止めようとしたが、声が出なかった。
君自身の知らない何か。
その言葉だけが、いつまでも耳に残っていた。




