第10話 わたくしの人生ですもの、好きに生きますわ!
「お兄様、これはいったいどういうことですの?」
わたくしは、目の前の皿を見つめた。
焦げている。
どう見ても焦げている。
しかも、形まで崩れていた。
「何って、クッキーだよ」
「それくらいわかっておりますわ! わたくしが聞いているのは、なぜこうなったのかということです!」
「焼き時間が長かったんじゃないかな」
「レシピどおりに作りましたのよ!」
わたくしは腕を組んだ。
昨日、街へ出かけた帰りに、菓子作りの本を買ったのだ。
自分で作ったお菓子を食べる。
それは、以前から少しだけ憧れていたことだった。
ところが、いざ作ってみれば、この有様である。
「……もう一度ですわ」
「まだ作るの?」
「当然です! 一度失敗した程度で諦めるわたくしではありませんもの!」
そう宣言すると、ニールは笑いをこらえるように口元を押さえた。
「何がおかしいんですの!」
「いや。君らしいと思ってね」
「当然ですわ!」
わたくしは再び材料を並べ始めた。
今度こそ成功させてみせますわ。
誰に命じられたわけでもない。
誰かを困らせるためでもない。
ただ、わたくしがそうしたいからだ。
それだけのことが、以前はずいぶん難しかった。
◇
「そういえば、お兄様」
二度目のクッキーを焼きながら、わたくしは尋ねた。
「わたくしたち、これからどうなるのでしょうね?」
「どうなるって?」
「以前、お兄様はおっしゃいましたわね。この世界には、決められた筋書きがあると」
「ああ」
「その筋書きが、もうわたくしたちを動かせないのだとしたら……これから先は、どうなるのかしらと思いまして」
ニールは少し考えた。
「どうなるかは、わからないよ」
「……随分と無責任なお答えですこと」
「未来がわからないのは、悪いことばかりじゃないだろう?」
わたくしは黙った。
確かに、そうかもしれない。
これまでは、何をするべきなのか、何をしなければならないのか、わけもわからず決められていた。
これからは違う。
失敗するかもしれない。
思いどおりにならないこともあるだろう。
それでも、自分で選べる。
「……そうですわね」
オーブンから、香ばしい匂いが漂ってきた。
今度は焦げていない。
形も、先ほどよりはましだった。
「できましたわ!」
「おお、今度は成功かな?」
「当然です! わたくしを誰だと思っていらっしゃるの?」
胸を張るわたくしに、ニールは笑顔で答えた。
「僕の妹だよ」
「……っ!」
思わず言葉に詰まった。
まったく、このお兄様は。
時々、こちらの調子を狂わせるようなことを平然とおっしゃるのだから困りますわ。
「……当たり前ですわ!」
わたくしは顔をそむけた。
「わたくしは、あなたの妹なのですから!」
ニールは何も言わず、ただ笑っていた。
◇
それから数日後。
わたくしは庭のベンチで本を読んでいた。
少し離れたところでは、ニールが庭師と何やら話している。
穏やかな午後だった。
ふと、学園でのことを思い出した。
キャンディは、今日もアンソニーと一緒にいるのだろうか。
以前なら、そんなことを考えただけで、胸の中に奇妙な苛立ちが湧き上がった。
けれど、今は違う。
二人が仲良くしていようと、わたくしには関係のないことだ。
もちろん、キャンディと親しくなったわけではない。
今さら、これまでのことをなかったことにするつもりもない。
ただ、これからどうするかは、わたくしが決めればいい。
「……さて」
本を閉じ、空を見上げた。
明日は何をしようかしら。
街へ出かけるのもいい。
新しいお菓子に挑戦するのもいい。
それとも、読んでみたかった本を探してみようか。
考えるだけで、少し楽しくなった。
「イライザ、紅茶を淹れたよ」
ニールがこちらへ歩いてきた。
「ありがとうございますわ、お兄様」
差し出されたカップを受け取り、わたくしは一口飲んだ。
温かい紅茶だった。
「……お兄様」
「何かな?」
「これからも、わたくしのそばにいてくださいますわね?」
口にしてから、少し恥ずかしくなった。
まるで、子どものようなことを言ってしまったではないか。
けれど、ニールは笑わなかった。
「もちろんだよ」
その返事を聞いて、わたくしは小さくうなずいた。
「なら、よろしいですわ」
わたくしは再び本を開いた。
誰かが決めた筋書きも、悪役令嬢という役割も、もう必要ない。
わたくしは、わたくしとして生きていく。
少々失敗したところで、やり直せばいいのだ。
だって、これは――
**わたくし自身の人生なのですもの。**
── 完 ──




