先の祭
祭の朝は、村じゅうが川原へ下りていくところから始まった。
裏の畑の麦はもう刈り終わっていて、束ねた穂が家々の軒下に吊るしてある。その軒下を、籠を抱えた女や、薪を背負った男や、何も持たずに走っていく子どもたちが、上の下の川原のほうへ流れていく。陽もイサに言われて、竈の脇にあった大きな鍋を抱えて後に続いた。鍋は空なのに重く、抱え方を三度変えたところで、ツグミが黙って片方の取っ手を持った。二人で一つの鍋を運んでいると、追い越していく子どもが振り返って笑った。
壁の下の、落ちてきた水が穏やかになるあの川原だった。ツグミが初めて口をつけて水を飲んだ場所で、頭の上では灰色の壁が朝の光を受けて白っぽく見え、水の落ちる音がいつもどおり低く響いている。川原にはもう火がいくつも焚かれていて、平たい石を並べた上に、串に刺した何かが並べはじめられていた。大人たちは火の番や、筵を敷く場所の取り合いや、樽を転がして運ぶのに忙しく、子どもたちは子どもたちで、川原の下手の、石の広く平らなところに集まっている。祭は昼が子どもの番で、夜が大人の番なのだと、鍋を下ろした陽に鍬の男が教えてくれた。
陽が子どもたちの輪を覗くと、イサの家の子がすぐに見つけて手を振った。輪の真ん中には、手のひらほどの平たい石が一つ、縦に立ててある。子どもたちは順番に、少し離れた所から別の石を投げて、立ててある石を倒そうとしていた。倒した子が歓声を上げ、倒せなかった子が地団駄を踏んで、次の子に場所を譲る。
「あんちゃんもやる?」
「やるやる。こういうの得意なんだよ、俺」
陽は川原の石を一つ拾って、輪の中へ入った。立ててある石の、三歩ほど手前まで歩いていって、そこでしゃがみ、狙いをつけて投げた。石は立ててある石の脇をかすめて転がった。
「だめだめだめ!」
子どもたちが一斉に叫んだ。イサの家の子が駆けてきて、陽の袖を引っぱり、輪の端まで連れ戻す。川原の石の上に、足で引いたような線が一本あった。
「ここから! ここから投げるの! 近すぎ!」
「え、そんな決まりあったの? いや、知らなかった。ごめんごめん」
「知らなかったって、見てたら分かるじゃん」別の子が口を尖らせた。「みんなここから投げてるんだから」
言われてみれば、そのとおりだった。陽は線の上に立って、立ててある石を見た。遠い。さっきの三倍はある。陽は石を握り直し、腕を大きく後ろへ引いて投げた。石は立ててある石の手前で跳ねて、あらぬほうへ転がっていった。子どもたちが笑った。
次の子が投げて、倒した。その次の子は外した。三人目が倒し、四人目が倒して、また陽の番が来た。外した。力を入れすぎて、石は立ててある石を越えて川のほうまで飛んでいった。五周目も外した。六周目は、立ててある石にかすったが、石は揺れただけで倒れなかった。子どもたちが、ああ、と声を揃えた。
「今のは倒れたでしょ。今の、ほぼ倒れたでしょ」
「倒れてない」イサの家の子が腕を組んで言った。いつの間にか審判を買って出ていて、誰が倒して誰が外したか、一人ずつ指を折って数えている。「倒れてないから、だめ。次」
陽は線の後ろに下がって、次の子が投げるのを見た。小さな子だった。陽の腰くらいの背丈の子が、石を下から放るようにして投げると、石は低く川原を跳ねていって、立ててある石の根もとに当たり、ぱたりと倒した。その子は喜びもせず、当然のような顔で輪の外へ戻っていった。
陽は今の投げ方を思い出していた。上から投げない。下から、低く、跳ねさせる。狙うのは石の頭ではなく、根もと。
七周目、陽は下から投げた。石は跳ねすぎて、立ててある石を飛び越えた。八周目、跳ねなかった。九周目、横にそれた。そのあいだに、子どもたちはもう何度も石を倒していて、倒すたびに審判の子が指を折った。陽のところで折られた指は一本も無い。陽は十周目の石を拾いながら、手のひらに残った川原の砂を服で拭いた。いつの間にか、口数が減っていた。
輪の外では、ツグミが平たい石の上に座って、串を一本かじりながらこっちを見ていた。
十一周目。陽は線の上で膝を少し曲げ、腕を下に垂らして、立ててある石の根もとを見た。息を一つ吐いて、放った。
石は川原を二度跳ねた。
三度目の跳ねで、立ててある石の根もとに当たった。
石は倒れた。
一拍おいて、子どもたちが歓声を上げた。審判の子が陽を指さして跳びはね、周りの子が陽の背中を叩いた。陽は倒れた石を見て、自分の手を見て、それから両腕を突き上げた。
「よっしゃあ! 見た? 今の見た? 倒れた! 倒れたよな!」
「倒れた!」審判の子が、初めて陽のために指を一本折った。「あんちゃん、一回!」
「一回!」陽は審判の子の折った指を掴んで振った。「一回でも一回だからね。一回は一回。な?」
子どもたちがまた笑った。陽も笑った。笑いながら輪の外に目をやると、ツグミが串を持ったまま、肩を揺らして笑っていた。串の先で陽の突き上げた腕を指し、指したまま、串を持つ手ごと膝に顔を伏せて笑っている。陽はその顔を見て、突き上げていた腕をもう一度、ツグミのほうへ突き上げてみせた。ツグミはもっと笑った。
子どもたちは、もう一回、もう一回と陽を輪の中へ押し戻した。石当てはそのあとも続いて、陽はあと二回外し、もう一回だけ倒した。審判の子が、あんちゃん二回、と言い、陽は二本の指を大事そうに受け取るふりをした。
日が傾きかけると、子どもたちは川原の石の上に並んで座り、歌いはじめた。この前の夕方に練習していた、あの節だった。
麦を刈った 麦を干した
石を立てた 石が倒れた
青い田に 青い風
祭が来た 祭が来た
子どもたちは陽を見て、あんちゃんも歌え、と言った。陽は一度聞いただけの節を追いかけて、二行目で外した。子どもたちが転がって笑い、もう一度頭から歌ってみせる。陽はまた外した。三度目は、二行目までは合って、三行目で外れた。子どもたちはそのたびに笑って、そのたびに頭から歌い直してくれた。
大人は夜まで歌わないのだと、審判の子が教えてくれた。子どもの歌は昼の歌で、夜の歌は大人のものだ、と。
歌い終わると、子どもたちは一人、また一人と親に呼ばれて火のほうへ散っていった。陽は川原に残って、さっきの石当ての線の上に立ってみた。立ててあった石はもう片づけられていて、線だけが川原に残っている。陽は足もとの石を一つ拾い、下から、低く、線の向こうへ放った。石は川原を二度跳ねて、誰もいないところで止まった。陽はそれを見て、一人で少し笑い、石を拾いに行くのはやめて、火のほうへ歩いた。途中でツグミが寄ってきて、陽の手に串を一本押しつけた。焼けた皮が香ばしく、塩が効いていた。
日が落ちると、川原の火が大きくなった。
大人たちは青い服に着替えている。藍で染め直したらしい、まだ色の濃い上着を、男も女も羽織っている。イサも鍬の男も、青い上着を着ていた。陽とツグミにも、イサが古い青い上着を一枚ずつ放ってよこした。陽のは袖が短く、ツグミのは裾が長すぎて、ツグミはそれを腰のところで縛って着た。
樽が開けられ、椀が回された。火の周りでは、串に刺した焼いたものが次々に焼かれていて、ツグミはその火の前に陣取って、焼けたそばから串を取っていた。一本食べ終わると、次の一本。串が溜まっていくのを、火の番の年寄りが呆れた顔で見ていて、それでも取り上げはしなかった。
火の向こうで、男たちが輪になって、何かを投げては笑っていた。陽が近づいてみると、川原の平たい石を一つ、片面に炭で印をつけたものを投げ上げて、落ちたときにどちらの面が上になるかを当てているらしい。
「今度は裏だ。見てろ、裏だぞ」
タツの声だった。タツは輪の真ん中にしゃがんで、投げ上げられた石を睨んでいた。石が落ちて、転がって、止まった。炭の印が上だった。
タツは顔をしかめて自分の膝を叩き、しばらく石を睨んでから、黙って立ち上がった。周りの男たちが、酒、酒、と囃した。
タツは樽のほうへ行き、椀に酒を注いで、輪の男たちに配って回った。輪の端に立っていた陽の前にも、椀が一つ突き出された。陽が受け取ると、タツはもう次の男に椀を渡していて、陽のほうは見なかった。配り終えるとまた輪に戻って、しゃがんで、また石を睨んだ。次も外した。その次も外して、タツはそのたびに樽のほうへ行った。
火の反対側では、女たちが歌っていた。昼に子どもたちが歌っていたのと同じ節で、ただ言葉が違う。大人の歌は、陽の耳には、昼の歌よりずっと長く、ずっとゆっくりしていた。その中にイサの声がある。イサは女たちの輪の端で、膝を抱えて歌っていて、ときどき節が外れた。外れるたびに、そばにいたイサの家の子が噴き出して、イサは子どもの頭を軽く小突いて、また歌った。
タツの輪とイサの輪は、同じ火の、こちら側と向こう側にあった。
陽はその両方が見える場所に腰を下ろした。椀の酒は薄くて甘く、腹の底が温かくなる。昼の石当てで使った右の肩が、今ごろになって少し痛んできた。陽は肩をさすりながら、火の粉が夜の中へ上がっていくのを見ていた。
夜が更けて、川原の火は一つ、また一つと小さくなっていった。そのかわりに、川原の石の上のあちこちに、油の灯りが置かれている。小さな皿に油を張って芯を浸したもので、風が吹くたびに炎が細く揺れ、揺れた影が石の上を這った。灯りは川原の上手から下手まで、流れに沿って点々と並んでいて、壁の下の暗がりまで続いていた。子どもたちは親の膝で眠り、男たちの輪もほどけて、樽の周りに何人かが残って低い声で話しているだけになった。ツグミは火の前で、串を握ったまま筵の上に横になって眠っている。
陽の隣に、誰かが腰を下ろした。
鍬の男だった。青い上着を着て、手に空の椀を持っている。男は陽のほうを見ずに、小さくなった火を見ていた。しばらく、何も言わなかった。
「祭が済んだな」
男はそれだけ言った。




