66. 広がる暮らし
ファルナの工事が始まってから、十日ほどが経った。
朝、家の居間へ行くと、リシアが机に向かって何かを書いていた。以前なら何枚もの木板を横に並べていた場所に、今は街で買った本が開かれている。昨日使った食料の量や、ファルナへ運んだ物の数を書き終えると、リシアは少し前のページをめくって何かを確かめていた。
「使いやすそうだね」
声をかけると、リシアが顔を上げる。
「すごく楽。前の記録を見たい時に、板を探さなくていいから」
嬉しそうに表紙を撫でてから、また数字を書き足していく。贈った時にはあれだけ遠慮していたのに、今では毎日使っているらしい。
その様子を眺めながら朝食を取っていると、玄関の方から声がした。
「おはようございます」
ミレアさんだった。後ろにはマティアさんもいて、二人とも畳んだ服を抱えている。
「おはようございます。どうしたんですか?」
「最後の分ができたんです」
ミレアさんが抱えていた服を少し持ち上げる。
「今日渡せば、これで全員分になります」
リシアも書く手を止めた。
「もう終わったの?」
「はい。昨日の夜に仕上がりました」
少し前まで、破れた服の修繕だけでも順番待ちになっていた。アルネア人のみんなが来てから作業は一気に進み、気づけば新しい服を持っていない人も、あと数人になっていたらしい。
「せっかくだし、一緒に行きませんか?」
ミレアさんに誘われて、僕とリシアもついていくことにした。
村を歩くと、新しい服はもう珍しくなくなっていた。炊事場の前では、ネレイス人の子供たちが同じ布で作られた服を着て走り回り、井戸の近くでは、ドゥルガ人の女性が袖をまくって水を汲んでいる。形は人それぞれ違っていた。身体の大きさも普段の仕事も違うのに、同じように作れば使いにくくなってしまう。マティアさんたちは着る人の話を聞きながら、仕立てを少しずつ変えているのだという。
最後に向かったのは、リーヴァに残って作業をしているドゥルガ人の家だった。扉を叩くと、中から男性が顔を出す。
「お、できたのか」
「お待たせしました」
マティアさんが服を渡すと、男性はその場で肩に当てて大きさを確かめた。
「ちょうどよさそうだな」
「腕を動かしてみてください。きつかったら直しますから」
何度か腕を回したあと、男性は満足そうに頷く。
「これなら平気だ。ありがとな」
「どういたしまして」
家を出たところで、ミレアさんが小さく息を吐いた。
「終わりました……」
肩の力が抜けたような顔だ。隣のマティアさんも笑う。
「これで急いで作る分は一区切りね」
「長かったです」
「ミレアが一人でやってた頃の方が、よっぽど大変だったでしょう?」
「それは……そうですけど」
ミレアさんが少し照れたように笑うと、リシアが言った。
「これからは街へ持っていく布も、もう少し増やせそうですね」
マティアさんは少し考えてから頷く。
「前みたいに売れるなら、かなり助かるね」
リシアの頭の中では、もう次の売上の計算が始まっているのかもしれない。みんなの服が揃ったことで、アルネアの布を作る目的も、これから少しずつ変わっていきそうだった。
昼前になると、ファルナへ向かう荷物の準備が始まった。今日は僕とリシアも工事の様子を見に行く。グラウスには食料や道具が積まれ、僕たちは二頭のカルウスに乗った。
工事が始まってから、僕は何度かファルナへ足を運んでいる。それでも、数日空けるだけで景色が変わっていた。村が見えてくるより先に、広く開けた土地が目に入る。以前は森に隠れていた場所まで見通せるようになり、その間を新しい道が伸びていた。
「また広くなってるね」
リシアも同じところを見ている。
「前に来た時、あそこまだ木がありましたよね」
「うん。三日前くらいだったと思う」
その三日で、かなりの木がなくなっていた。
ファルナに入ると、昼食を取りに来た人たちが共有建物へ次々に入っていくところだった。十日前には土台しかなかった建物が、今は屋根まで出来上がり、すでに使われている。
「もう完成したんですね」
近くにいたドゥルガ人に声をかけると、建物を見ながら笑った。
「奥はまだ直してる最中だけどな」
入口から覗くと、昼食を受け取った人たちが長い机に並んで座っていた。食べ終えた人が立つと、入れ替わるように次の人が座る。
「本当に食堂みたいになったね」
「使いやすそうでよかったよ」
炊事場でも、誰かが慌てて走り回る様子はない。大鍋の中身が減れば次の鍋が運ばれ、食べ終えた器は端にまとめられていく。十日も続けば、この人数で食事を回すことにも慣れるらしい。
僕たちは荷物を下ろそうと、近くで荷を運んでいたフェル人に尋ねた。
「この食料、どこへ置けばいいですか?」
「ああ、それならセナに聞いてくれ。倉庫の方も場所を変えたみたいだから」
少し歩くと、今度は別の人がこちらへ走ってくる。
「セナ、こっちの水路なんだけど!」
声の先では、セナが数人のフェル人と話していた。地面に印を付けた棒を手にしていて、話が終わったところで僕たちに気づく。
「エイルたちか。今日は荷物も一緒か?」
「はい。食料と道具を持ってきました。どこに置けばいいですか?」
「新しい倉庫の横に頼む。まだ中が全部空いてないんだ」
「分かりました」
答えた直後、ドゥルガ人がセナを呼んだ。
「セナ! こっちの柵、予定より広げてもいいか?」
「キアにも聞いてくれ。あいつがいいって言うなら構わない」
「了解!」
セナはそのまま次の場所へ向かっていく。
「忙しそうだね」
リシアがその背中を見送る。以前からフェル人たちをまとめることは多かったが、今のファルナではそれがもっとはっきりしていた。土地や仕事のことで迷えば、みんな自然とセナを探すようになっている。
邪魔にならないよう荷物を置いたあと、僕たちは工事の様子を見て回った。水路は前回来た時よりずっと先まで伸び、その横にはグラウスが通れる幅の道が作られている。切った木材や石が、まとめて運ばれていた。畑になる場所も、少しずつ形が見えてきている。
「エイル!」
遠くからキアの声がした。カルウスの囲いの近くにいる。向かってみると、何頭かのカルウスが広い柵の中を歩いていた。
「もうこっちに移したんですね」
「ああ。グラウスも少しずつ移してるよ」
囲いの中を見ながら、キアが答える。
「最近、ずっとファルナにいるんですか?」
「ほとんどね。朝も早いし、夜も様子を見たいから」
「家はまだ完成していないよね?」
リシアが聞くと、キアは共有建物の方へ顎を向けた。
「そうだね、今はあっちに泊まってる。家ができたら、完全にこっちに移るよ」
そう言うと、キアはそのまま囲いの中へ入っていった。
夕方近くになって、フィアたちが作業している場所へ向かった。開けた土地の端に何人か集まり、土を確かめている。
「どうですか?」
声をかけると、フィアが立ち上がった。
「かなり進んだよ。最初に使うところは、もう少ししたら耕し始められると思う」
その向こうには、整地の途中の土地が続いている。十日前には木が並んでいた場所だ。
「ここ全部、畑になるんだね」
「全部耕すのはまだまだ先だけどね」
フィアも同じ方向へ目を向けた。
「今いる人数だけなら、最初のところだけでも十分だと思う」
少し間を置いてから、さらに奥を指す。
「あそこまで使うようになったら、さすがに人が欲しいかな」
近くに来ていたセナが、その言葉を聞いて頷いた。
「畑は作れば終わりじゃないからな」
「そうなんだよね。毎日見る人がいるし、収穫の時期なんてもっと大変だし」
フィアは広くなった土地を見渡す。
今は工事のために大勢の人が来ている。木を切る人も、水路を掘る人も、道を作る人もいる。けれど工事が終われば、ダグラから来た人たちは里へ帰り、リーヴァから手伝いに来ている人たちも、それぞれの仕事へ戻っていく。その時ここに残る人は、ずっと少なくなる。
遠くの畑では、数人のフェル人が目印を付けながら歩いていた。広くなった土地の中で、その姿は思っていたよりも小さく見えた。




