第240話 継承争いの影で踏み出す一歩
神歴1505年2月15日、ヴァルトアール城。
窓から差し込む太陽の光が、長い廊下の赤い絨毯を照らし、窓と窓の間にある白い壁の前には花瓶が置かれている。
陽が直接届かない壁に薄っすらと影が浮かび、季節の花が廊下彩るが、日陰になっている壁の飾り彫りは深い影を落とす。
高い天井が窓の外にいる鳥の声を響かせ、足音ともに曲がり角からアルフレッドが姿を見せると、彼の隣にはティノの姿があった。
前を向いて歩く2人の髪からつま先まで服装が整っており、時折、口元を隠した2人の頭が近寄ると、プラチナブロンドと茶色の髪がわずかに揺れる。
足音と鳥の声が続く中、唐突にアルフレッドが足を止めると、同じようにティノの足も止まった。
彼らが向いている窓の外には、晴れ晴れとした空が広がり、空を舞う白い鳥は翼を大きく広げている。
「何を言われても、お前は動揺を見せるな。ボクの側近として胸だけ張っていろ」
「そう言われてもね……」
答えたティノの頭は少し前に下がり、彼の左手は首裏へと伸びた。
窓から差し込む光は、ティノとアルフレッドの背中に影を落とし、わずかに長さの異なる影が廊下に並ぶ。
何度も首裏を摩るティノの手は、「ティノ・ドゥ・カルカイム」とアルフレッドの声がして止まり、下がった頭が徐々に上がる。
「自分で覚悟して決めたのなら、それをボクに示せ」
「……はぁ……、分かってる」
「分かってるならいい。行くぞ」
アルフレッドの声が落ちると、続けて足音が廊下に広がり始める。
正面を向いて歩く2人の顔に笑顔はなく、目の動きだけが、双方の存在を確かめているようでもあった。
一室の前まで進むとアルフレッドが扉をノックし、程なくして中から腰に剣を下げた騎士が出てくると、入れ替わるように2人が室内へと消えていく。
廊下に出てきた騎士は、扉の近くに立つと、背筋を伸ばして真っすぐ前を向く。
時々、廊下には鳥の声が響き、足音が近付くたび、騎士が腰に添えられた剣に触れる姿があった。
暫くして、微かに食器が音を立てる皇帝の執務室では、何度も紙をめくる音が静寂を止めていた。
1人掛けのソファーには、皇帝であるロッシュディが右の肘掛けに頬杖をつきながら座っており、組んだ足の膝上には書類が置かれている。
数人が座れるソファーがテーブルを挟んで並び、片方のソファーに少し左斜めに座ってロッシュディの方を向いているアルフレッドと、テーブルの方に視線を向けているティノがいた。
真ん中に置かれいているテーブルには、3人分のティーカップと、中央にコップと水差しが並ぶ。
「まず初めに……ご苦労だった、アルフレッド」
「恐れ入ります、殿下」
「だが、全て解決した訳では……、ないのだろう?」
皇帝の低い声を聞き、ティノは視線だけをアルフレッドの手に向けた。
膝の上で握られた拳が徐々に小さくなっていき、血管が浮かび上がっているのを見て、自分の膝上にある拳に視線を向ける。
経験も覚悟も、到底アルフレッドに及ばないのだと思えば、拳を握る資格もない……。
それを理解していても、軽く握っている拳がわずかに震えてしまう。
「はい、弁明の余地もございません」
「まぁ、よい。これでお前も皇位を目指すということが、どういうことなのか理解できただろう」
アルフレッドはゆっくり瞬きすると、気付かれないように空気で肺を満たした。
幼い頃、全てのことに息が詰まった。
何をするにも周りの目を気にしながら、皇位を狙っていないと振る舞う必要があった。
どんなに学んでも、それをひた隠し、牙はないのだと……一歩下がった場所にいるのが当たり前だった。
当時皇位を狙っていなかったことを、父がよく思っていることも知っていた。
ルシェルが城に戻ってから、父が次期皇帝として期待しているのは、兄のルシェルだけだというのも、見ていて分かった。
だからこそ、父の言葉に『早く皇位を諦め、ルシェルの補助をしろ』という真意が含まれているのも分かっている。
それでも、皇位を主張したのは、父に認めてもらうためでも、兄に負けたくないからでもない。
短く息を吐き出すと、「お言葉ですが、元より理解しております」と告げてから、皇帝として座る父の目を真っすぐに見つめた。
「ほう……それなのに、皇帝を目指すと申すのか?」
「はい、私には私が決めた信念がございます」
「だが、その信念は為すべきとを為してこそ、口にするものだと思わんのか?」
真っすぐに見つめてくるアルフレッドを見ながらロッシュディは尋ねると、少しだけ視線をティノに向けた。
しかし、すぐにアルフレッドに視線を戻すと、今度は左の肘掛けに頬杖をつき、右手で書類のページをペラペラとめくる。
カルカイム辺境の判断なのか、それともティノの個人的な判断なのか……ティノの様子を見ても分からない。
となれば、こちらから踏み込むのは控えるべきだと、思考を巡らせる。
「それも重々承知しています。しかしながら、今回アルフォルティアで起きた魔物騒動は、単純なものではないと考えています」
「だから、全て解決していなくても仕方ないと?」
父の言葉を聞き、アルフレッドは内心で舌打ちした。
わざとズレた解釈をして、反論しやすい形にしているのだと理解している。
それでも、グッと拳を握る手に力が入ってしまう。
だが、(冷静になれ……感情を制御しろ……)と、自分に言い聞かせながら息を吐き出す。
肩から力を抜くと、自然に拳は緩んでいく。
「いえ、そういうことではございません」
「ならば、どういうことだ? ルシェルに任せるべきだったのではないのか?」
一瞬、睨みそうになり、アルフレッドは少しだけ目を伏せ、息を吸いながら下唇をペロッと舐めた。
ルシェルに任せたいのを隠そうともしない……。
それだけで、腸が煮えかえる気分だ。
しかし、この場でそのことを指摘しても、きっとそれをうまく使われる。
頭では理解している……。
それでも、どうしても気持ちは思考よりも一歩遅れる。
(堪えろ……、感情のまま話せば、足元を見られる……)
そう思いながら、無意識に止めた息を短く吐き出し、心を落ち着かせて話す。
「失礼なのは重々理解しています。しかし、アルフォルティアで指揮を執ってたのは私です。そのため、ルシェル殿下に任せることは出来かねます」
数秒の沈黙が流れたのち、「ふっ」とロッシュディの声が短く響いた。
アルフレッドとティノに動きはなく、静けさだけがその場を支配する。
しかし、今度は「ふはははは」とロッシュディの大きな笑い声が執務室に広がったものの、依然として2人に変化はない。
「昨日今日皇位を目指し始めたお前に、何が出来るというんだ? それに、アルフォルティアで起きた行方不明者の行方は、まだ分かっていないのだろ? 1人や2人ならば、話は別だアルフレッド。だが、領民が100名以上消えたことを、帝国民にどう説明するつもりだ? 今は、アルフォルティアでことが広がぬように箝口令を敷いているが、いつまでも口止めなどできぬのだぞ? そこまで考えておるのか?」
静かに歯を食いしばると、アルフレッドはアルフォルティアでの無力さを思い返していた。
ルカやクロが去った後、何度も領民が押し寄せ、説明を求められた。
何が起きたのか把握していても、何があったのか説明できない。
日々、身内を捜す者の姿を目にし、胸が痛まなかったわけでもない。
それでも、解決していない事実は重く、「返す言葉もありません」と彼は返すしかなかった。
「はぁ……そのような言葉を期待してたのではない!!」
「恐れ入りますが、現在分かっていることは非常に少なく、この件に関しては行方不明者のことも含めて調査を続けてます」
「理解しておらぬな……。貴様に箝口令を維持できる権力もなければ、皇位を目指す力もない。ならば、ルシェルに任せればよいと言っているのだ」
アルフレッドは静かに皇帝を見つめると、(それが本音だったんだろう?)と思った。
引き出したかった言葉ではないが、言われるだろうと予測していた言葉ではあった。
淡い期待など、初めからしていない。
手のひらから零れ落ちるモノが多いからこそ、全てが掴めるとも思っていない。
ただ……零れないように選んだモノを守るしかないのだと、既に覚悟は決めている。
ならば、今こそ牙を隠し持っていたことを見せるべきだと、理性が語り掛けてくる気がした。
「お言葉ですが、ルシェル殿下でも今回の件に関して、箝口令を維持できる権力はないと考えています。現在、アルフォルティアではアルティア辺境伯やアルフォルティアに住まう貴族たちが私に尽力し、箝口令を維持してる状態です。陛下はそのことを理解していますか?」
冷静に言い切ったアルフレッドは、さらに背筋を伸ばして皇帝の目を真っすぐに見つめながら、自然と振る舞えるように肩の力を抜く。
そして、何度も考えてきた言葉を、感情を排除して述べる。
「ルシェル殿下を推すのは一向にかまいません。しかしながら、全ての貴族がルシェル殿下を支持してるのではないことをご理解ください。何より、現在帝国はアルフォルティアの件以外にも、皇位継承やフリューネ家のことで揺れています。考えもなく、私もアルフォルティアに箝口令を敷いた訳ではありません」
ロッシュディはアルフレッドの毅然とした態度を見て、頬杖をついていた姿勢をわずかに起こし、左手で顎に触れながら「ほう……」と短く呟いた。
皇后の友であるクレアの息子だから、強く言えば引くと考えていなかった訳ではない。
何よりも、母親の立場を考えれば、何れ引くとすら考えていた。
けれど、アルフレッドの様子から引く様子はないように見える。
となれば、これまで一歩引いて歩いていた少年に皇位を主張させ、ここまで立たせた人物がいると考えた方が無難だろう。
考えられる人物は、いまアルフレッドと一緒に住んでいる、ライアンの可能性が高い。
……が、それだけでは説明がつかない。
「誰かに唆されたか……」
「どのように受け取られても結構です。しかし、私は今回の件や皇位に関して、ルシェル殿下に譲るつもりはございません。また、私の側近として、ティノ・ドゥ・カルカイムを任命しました。今回は、お時間をいただき感謝申し上げます」
ティノは名前を呼ばれ、真っすぐに胸を張って皇帝の目を見つめた。
皇帝に視線を向けられ、胸が大きく脈を打ち、体が強張る。
この場に自分が相応しいとは思わない。
しかし、自由がある立場には、逃げないと決めた以上、ここで向き合わなければならない、
フリューネ家やオプスブル家の問題もあるが、同年代の味方がアルフレッドには足りない。
貴族が皇子を推す時、家の判断で決まる。
けれど、今の当主がずっと当主で入れられるわけじゃない。
アルフレッドが皇太子の座をすぐ手に入れられなくても、皇帝が退く日までに覆せばいい。
それを、まずはフリューネ家に示す必要がある。
軽く握った拳は、汗をかいているのが分かるほど冷たい。
「此度……アルフォルティアの件に関して、ルシェルからオプスブル家がお前に力を貸していた可能性があると……報告があった。なぜ、それを報告書に書いていないんだ?」
「……もし本当にルシェル殿下の報告にあったように、仮にオプスブル家が力を貸してくれていたとすれば、全てを報告する義務はないと考えています」
ロッシュディは目を細めると、本当にオプスブル家が厄介な存在だと感じた。
掟によって帝国が守られてきた部分も多いが、掟がフリューネ家を皇族に引き込むことを拒む。
たとえフリューネ家が皇家に属しても、今度は当然のようにオプスブル家が政治に介入してくる。
そうなれば、裏も表も皇族は威厳を保てなくなる。
しかし、皇族に引き込んですらいないのにもかかわらず、オプスブル家の介入があることを考えれば、これまでのようにフリューネ家が政治に無関心ではないのだろう。
「まぁよい、その決断がお前自身の首を絞めなければいいがな」
「ご心配には及びません。どのような結果になろうとも、それを受け入れるのも必要だと、此度の討伐で学びました」
ティノはアルフレッドの発言を聞き、静かに喉を鳴らした。
もしも、最初に誘われた時、断っていなければ……
アルフレッドの重荷を、一緒に背負うことができた。
けれど、断ったからこそ、自分はぬくぬくと学園生活を送ることもできた。
ラノーマス王国のことで家がゴタゴタしていても……、アルフレッドが討伐に出ても……
ただ家からの報告と彼の帰りを待っているだけで良かった。
皇帝とアルフレッドの声が遠くに聞こえ、ゆるく握る拳は冷たい。
(……迷うな。逃げるな。決めたんだろ。覚悟して、胸を張れと言われたんだろ)
そう思っても、この先これまでの穴を埋められるのか、正直に言えば分からない。
逃げないことはこんなにも胸が締め付けれられ、息が詰まるのだと改めて認識する。
フリューネとオプスブルにどう示すのかも、ふわっとしたイメージで全体の戦略はまだ固まっていない。
だからこそ、本当にそれでいいのか……と、迷いがないわけもない……
結局、今の自分は下がりそうな視線を、前に向けるだけで精一杯だ。
それなのに、あの日に屋上でベルンから言われた言葉が、隣に座るアルフレッドに並びたいと思わせる。
(信じるべきものは、自分とアルフレッドだけだ。忘れるな。惑わされるな。揺れるな……)
もう一度唾を飲み込むと、視界の隅にいるアルフレッドの姿が大きく見えた。




