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13度目に何を望む。  作者: 雪闇影
9章

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第239話 流れていく温度と時間


 神歴1505年1月25日、フィラトゥーテネクス学院の放課後。


 帰り支度していたベルンは、不意に近付いてくる気配があることに気が付いた。

 ゆっくり近付く足音に、意識が向きつつも、帰り支度する手は止めない。

 背後で止まった人物が左袖を掴み、ちょいちょいと袖を引っ張られるが、それでもあえて気付かないふりをする。

 けれど、「ねぇ、ベルンさまぁ」と甘えた声が聞こえ、一瞬我慢したものの、ため息がこぼれてしまう。


「悪いけど、話すことはない。他をあたってくれ」


「そんな、ひどいですぅ」


 声の主であるライラに、ベルンはチラッと視線を向けるが、上目遣いをするのを見て頭が重くなる。

 うっすらと涙がたまった目と、彼女の様子だけを誰かが見れば、こちらが何かひどいことをしたのだと思われても仕方ない。

 しかし、学院にルシェル殿下がいない現在、彼女を擁護する者はいない。

 冷めた目で彼女を暫く見ていると、口を窄めた彼女が「もぅ、少しくらい聞いてくださいよぉ」と言いながら、袖を左右に揺らしてくる。

 レティシアと半分血の繋がりがあることを考えれば、彼女の姉同様に何を考えているのか分からない。

 それでも、レティシアの表情を思い浮かべ、ライラの方がましか……とすら思ってしまう。


「邪魔」


 冷たく吐き捨てると、ベルンは服を掴まれている腕にグッと力を入れ、引っ掛かりを感じた後に軽くなって小さく息を吐いた。

 きぃきぃと聞こえるライラの声を無視して、彼は鞄を持つと教室の出入り口へと向かう。

 その途中、再び服を掴まれそうになるたびにかわしていたが、再び手を伸ばされて無意識に舌打ちがこぼれる。


「ベルンさまぁ!!」


 ライラは大きな声で叫んだが、遠ざかる彼の背中を見ながらスカートを掴んだ。


(何なのよ!! 伯爵ごときが、侯爵令嬢であるわたしを雑に扱うなんて、本当に腹が立つ!!)


 ライラはギリッと歯を食いしばると、ベルンの背中を睨みながら拳を震わせた。


(フリューネ宛てにしてる領収書はずっと家に届くし、いつまで今の小さな家で暮らさないといけないのよ。あの家も財産も全てわたしの物なのに……。レティシア……今度は色んな男を誑かして、自分の味方にしてるわけ? 本当に気持ち悪い。――ベルンも使えないわ……これじゃ、別宅にすら入れないじゃない)


 暫く考えていたが、クスクスと笑う声が耳に届き、ライラは声がした方をキッと睨んだ。

 対抗戦を終えてから、どこか空気が変わったのは分かっていた。

 けれど、進級してもその空気が変わっていないのは、学院にレティシアが来ていないことが、影響しているように思える。

 いてもいなくても、イライラさせる存在。

 異母姉妹がいると聞かされた日、父の話を聞きながらレティシアは格下だと思った。

 当然のように与えてもらえる父からの愛も、母からの愛も、姉はもらっていないのだと思ったからだ。

 しかし、フリューネの邸宅を見るたび、本当は自分たちの家なのに……と強い怒りを覚えた。

 それでも、彼女の母親が亡くなったと聞いた時は、心の底からざまぁみろとと思いながら、もう少しで自分も邸宅に住めるのだと考えていた。

 だけど……、フィリップがいても、あの邸宅に入れたのは一度だけ……。

 拳を握ったライラは、軽く息を吐き出すと、作り笑顔を浮かべながら帰り支度を始めた。



 それから数時間後、日が落ちて辺りが暗くなった頃。

 ベルンは色んな思いを抱えながら、帝都の街外れにある一軒の家の前に立っていた。

 月明かりは辺りを優しく照らすのに、窓の隙間から光が見えない。

 当然か……と思いながらも、少しだけ不安が積みあがっていく。

 固く握っていた手を広げ、手の中にある鍵を見ると、思わずため息がこぼれてしまう。

 頭では、分かっている……。

 もし彼がここにいなくても……仕方ないのだと……。


(感傷に浸ってる場合じゃないか……)


 ベルンは大きく息を吸い込みながら鍵を握りしめると、ドアの方向かって進んだ。

 鍵穴に鍵を差し込み、軽く回すとカチッと鍵の開く音が耳に届く。

 そして、ドアノブを回して家の中に入っていくと、微かに物音がして眉を(ひそ)めた。


(誰かいるのか?)


 警戒しながら進むと、2階の階段から足音が聞こえ、思わず足が止まる。

 咄嗟に、攻撃できるように身構えるが、相手も止まって動かない……。


「誰だ。答えろ」


「ベルン、攻撃はしないでね~」


 聞き覚えのある声がし、(感傷に浸ってた時間を返せ)と思いながらため息がこぼれてしまう。

 それでも、どこか安堵していることに気付くと、もう一度深く息を吐いた。


「生きてたんだな。それならよかった」


 ベルンはぶっきらぼうに言ったが、意識は強く階段側に向く。

 だが、見慣れたマントを見ると、頬が少しだけ緩るんだ。


「まぁねぇ。ベルンの方はどうだったの?」


「どうもしない。言われたように動いて、新しい指示があれば従ってる」


 ベルンは話しながら、階段に近付くと、マントを着た男性の胸を小突く。

 そして、「あまり、無茶すんなよな。連絡ないから心配した」と素直な気持ちを吐露した。

 その瞬間、フードの男性が笑い出し、急に恥ずかしさが込み上げ、そっぽを向いてしまう。


「ベルン、心配してくれてありがとう」


 真っすぐな声に、彼は何とも言えない気持ちになり、鼻の奥がジーンと熱くなる。

 小さく息を吸い込んでから息を止めると、視界が滲み始める。

 それでも、グッと堪えながら「一応、仲間だからな」と呟いてみたが、思うように感情がまとめられず、大きく息を吐き出した。


「まぁ、今日はさ……君に話があって……、その……レティシア様に呼んでもらったんだよね」


「俺は、話があるから来いって……」


 ベルンはゴクリと喉を鳴らすと、フードの男性を凝視した。

 彼の口から何を言われるのか、想像できなくはない……。

 けれど、もし別れなの言葉なら……と身構えてしまう。


「あぁ……ボクのいるべき場所に戻ることを、君に報告した方がいいと思ったんだよね。だから、身構えなくても大丈夫だよ?」


「もう名乗れるのか?」


 ベルンは静かに男性がコクリと頷くのみて、「そっか……」と小さく呟いた。

 そして、男性がフードに手を伸ばし、フードの下から現れたダークグリーンの髪を見た次の瞬間、咄嗟に息を呑んだ。

 昔遠目に彼を見た時は、綺麗な顔立ちをしている人だと思った。

 けれど、右目付近の皮膚が変形しているのを見て、彼がどんな思いで耐えていたのか、想像できなかった。

 話は聞いていた。

 でも、想像力も、物事も……枝分かれするように、まだまだ考えられていないのだと、突き付けられる。


「まだ、痛むのか……?」


「あぁ……時々、突っ張る感じがするくらいだよ? 別に大したことじゃない」


 ニルヴィスはあっけらかんと答えると、あえて満面の笑みを浮かべながら、ベルンに笑って見せた。

 ルカの部下であるベルンに、レティシアが求めていることを考えれば、酷だと思うが理解はできる。

 所詮、元光の住人が闇の中で生きるのなら、最低限予測に基づいて判断する必要がある。

 何より、任務に就く際には、それが自分の命の鍵を握る。

 けれど、果たしてそれだけを求めているのか? と聞かれたら……正直分からない。

 結局のところ、最終的にレティシアが彼に何をさせたいのか、どんなに考えても全く見えてこない。

 そして……、彼女が選ぶ未来さえ……未だに分からない。


「それで? レティシア様から指示があるんじゃないの?」


「……あるけど、少しだけ面倒だと思うよ?」


 ベルンは眉を(ひそ)めると、少しだけ思考を巡らせた。

 いまルカが動いている以上、レティシアの指示とルカの指示が重なるようなことは、極力避けたいのが本音だ。

 それについて、ルカにも気を付けるように言われている。

 それに……もし重なってしまえば、断っても、報告しなくても、ルカの動向をレティシアに気付かれる可能性もある。

 既に面倒でしかない。


「なら、内容を聞かないで、断ってもいいか?」


「残念だけど、レティシア様はベルンがそう言うのも、分かってたよ? んで、レティシア様からの伝言。『ラコンプ家と距離を置け』だってさ」


 ベルンは目を細めると、考えれば考えるほどに、意味が分からなくなった。

 ラコンプ家の情報を探れというのであれば、まだ理解できる。

 けれど、距離を置け?


「なぜか聞いてるか?」


「ん-。昔、ルカ様もフリューネ騎士団に手を引けって言ったんだよ。それきり、フリューネ騎士団では、ラコンプ家の情報を探ってない」


 何かあると考えれば、こっそり調べたい気もする……とベルンは薄っすら考えた。

 けれど、レティシアの考えが分からない以上、ルカの言葉少なからず関係しているような気さえする。

 ……しかし、指示が納得できない。


「もしかしてさ……、ライラの交友関係を探った方がいいのか?」


「さぁ? そこまでボクは聞いてないから知らないよ~」


(ライラの交友関係……学院では既に彼女は孤立してる……。なら、なんだ?)


 ベルンはライラの周りのことを考えると、バージルの存在がふと頭を過った。


(バージル殿下は、ラモルエール家の長男を側近に迎えていた。それに対し、彼の兄はロワール家の令嬢と密会してたな……。令嬢……ヴァネッサ・ソフィー・リュイノールか……)


 彼は考えをまとめると、肩から力を抜いた瞬間に笑みがこぼれる。


「分かった。レティシア様に“理解した”と言っておいて」


「うん、任せて。――そうそう、ボクは騎士団の仕事に戻るから、何かあればレティシア様に連絡して」


 ベルンは嬉しそうに話すニルヴィスを見て、「ああ」と満面の笑みで答えた。

 フリューネ騎士団……光の住人の居場所にも思える。

 騎士団に領民もいることを考えれば、あながち間違っていないだろう。

 けれど、オプスブル家から来た者たちもいることを考えれば、果たして光に満ちている場所と言えるのか分からない。

 おとぎ話の中で、光と闇に分かれて書かれているが、オプスブル家に所属してからは、それすら疑問に感じる時がある。

 何よりも、レティシアという人物がどんな人なのか、考えれば考えるほど光から遠ざかる気がしてしまう。



 一方、2階で話を聞いていたレティシアは、笑ってる2人を想像して微笑んだ。

 ルカから得た情報を基に、指輪を見つけられないかと、リズに聞き込みをしてもらった。

 けれど、指輪を見つけることはできず、商人が帝国民の可能性が低いことしか分からなかった。

 人の記憶は曖昧で、必要だと認識していなければ消える……。

 そもそも、大切に思っていても、声から忘れ、顔すら思い出せなくなるのが人だ。

 商人の顔を、覚えていなくても当然だろう……。

 それを分かっていても、自分なら……と考えてしまう。


(……皆が、私のように全てを記憶していれば、こういう時に困らないのよね……。だけど、普通の人なら、絶対に限界が来る……)


 レティシアは内心で思いながら、今度は自嘲気味に笑う。

 人でありたい……。

 この思いに偽りはない。

 それでも同時に、何かを忘れながら生きていくのも、いやだと考えてしまう。

 これまで全てを覚えていたからこそ、欠けてる記憶があるのは、何とも言えない気持ちにさせる。


(騎士団の者たちが、昔話していたわね……。彼らの中に、家族へのプレゼントとして、買った者がいないかしら? でも、もし指輪を買った者がいれば、不自然な死を遂げた時点で、ルカが調べるか……情報があまりにも曖昧なのよ)


 軽く息を吐き出すと、下の階で扉が閉まる音が聞こえ、レティシアはこの家にある書庫へと向かう。

 始めてきた家なのに、どこか懐かしく感じてしまうのは、これと似た家を過去の人生で買おうとしていたからだろう。

 木の質感も、壁の雰囲気も、6人で夢見ていた家に似ている。

 それでも、書庫のドアを開ければ、あの5人ならいやがるか……と思って、少しだけ寂しさを覚えてしまう。

 鼻を通る空気は古い紙とインクの匂いがし、棚にある書物はフリューネ家の書庫と同じものが並ぶ。

 さらに進めば、行き止まりになっており、本棚がない一角が存在する。

 彼女はそこで静かに腰を下ろすと、フリューネ家に伝わる指輪を指にはめて、魔力を流し始めた。

 浮かび上がる文字を目で追いながら、これを書いたエレニアのことを彼女はひっそりと思う。


(きっと……私のように、あなたも守られていたのでしょうね。だからこそ、それが苦しくて……、隣に立てるようにこれを秘密にした。隣に立ちたかった人が、たとえ悲しんでも……。そして、あなたは何かに気が付いた。だから、余計にこの選択を選んだのでしょうね……)


 エレニアが何に気付いたのか、考えてもレティシアには分からなかった。

 もうエレニアに聞けない以上、彼女の思いも結局は想像でしかない。

 けれど、魔法陣に書かれている文字は、時々荒く、時々柔らかく、どこか迷いもあるように見える。

 人らしい人だと、レティシアは思うと同時に、何故か寂しさも覚えてしまう。

 全ての文字が浮かび上がると、レティシアは魔法陣の上に1枚の封筒と、魔力を込めた宝石を置いた。


(さぁ、ちゃんと返事しなさいよ)


 魔法陣が淡く光ると、封筒が少しだけ浮かび、一瞬にして姿を消した。

 その瞬間、レティシアはにやりと笑い、大きく息を吸い込んだ。

 そして、幼い頃耳にしていた子守唄を鼻歌で歌い、フリューネ当主の指輪を暫く見つめていた。


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