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13度目に何を望む。  作者: 雪闇影
9章

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第241話 沈黙の狭間で揺れる境界


 神歴1505年2月18日、リスライベ大陸。

 分厚い雲が空を支配し、紫の稲妻が雲の間を走り抜けるように、時折雲が明るい紫に染まっていた。

 ゴロゴロと鳴る空とは違い、テネアルクではパタパタと走る足音や、生活音が至るところで鳴っている。

 そして、1人……2人と、書物や書類を抱き抱えながら、街の中央にある塔の中へと、小走りで入っていく。

 反対に塔から出て来る者は、眉間にシワを寄せ、ブツブツと言いながら頭をかいている者や、唐突に思い出したかのように走り出す者がいた。

 塔の中に入ると、上空から人の名を呼ぶ野太い男性の声がした後、見上げながら女性が答えている。

 上階の通路には、下を向いている赤い目の男性が居り、ガヤガヤと音が彼の声と共に降り注ぐ。

 けれど、男性が要件を伝えきったのか声が止み、頭を上げて男性が奥の方へと消えていくと、天井まで続く吹き抜けに静寂が訪れた。

 考えるような仕草をしながら赤目の女性は数秒佇んでいたが、目を大きく開いて頭を上下に一度振ると、出入り口の方へ小走りで駆け出す。

 その時。女性と入れ替わるように、身長に差のある2人の男性が姿を見せた。


「禁書庫にある書物は、ある程度確認作業が終わりました。しかし、まだ確認していない書物が各地に残っています。それに……」


「それに何ですか?」


 思わず言い淀んでしまったオクターは、ニクシオンの問いに対し、「いえ……なんでも……」と視線を下げながら答えた。

 調べてほしいと言われたから、国をひっくり返す勢いで、全ての書物を調べている。

 しかし、本当に全ての書物を対象にしているのかと言われれば、調べているとは言えない。


「言いたいことがあるのであれば、はっきり答えさない。オクター」


 背筋に冷たい汗が流れ、オクターはゴクリと喉を鳴らした。

 しかし、どうしても言葉にできず、「それは……」と言ってみたものの……後に続かない。

 口にすべきか悩んでいると、「はぁ……」と深いため息がニクシオンの方から聞こえ、オクターはゆっくりと顔を上げていく。

 だが、軽く息を吸い込むと、直視することが出来ず、途中で視線が下がってしまう。


「もしや、虚線書庫ですか?」


 考えていた書庫の存在を口にされ、オクターは何も言えず、喉の渇きを感じて唾を飲み込んだ。

 歴史とは違い、誰も触れてはならない一線がこの世界にはある。

 世界に命を芽吹かせ、多くの種族を創り、理すら書き換えた精霊。

 その精霊ですら、めったに触れない世界の理。

 遥か彼方の昔から、明確な線引きとして虚線がある。

 線に触れる可能性があるモノは、世に存在してはならないとし、精霊たちの言葉に従って虚線として扱ってきた。

 けれど、その虚線書庫内を管理する者はいない。

 だが、虚線書庫の外側を管理する魔法は、禁書庫よりも厳重で、他者の侵入を拒む世界の始まり。

 知識としては知ってはいるが、実際に耳にするのは、些か魂がざわつくとオクターは密かに思いながら、右手を左手に重ねて力を入れた。


「レティシア様から頂いた書簡には、転移魔法に似た物とありました。ですから、虚線には触れていないのだと認識しています」


「……それは、理解しています。ですが……」


「確かめなければ、レティシア様が受け入れない。そう、考えているのですか?」


 ニクシオンは、小さく「はい……」と答えたオクターを静かに見つめた。

 レティシアから届いた書簡には、アルフォルティアで起きた出来事と、光の柱について知らないかと書かれていた。

 それと同時に、もし知らないのであれば、調べて答えろとも書かれていた。

 つまり、彼女は何かしら魔族が知っていると踏んで、聞いてきている。

 いや……始まりの一人とされる闇の精霊と深いつながりがあるからこそ、答えられると思われているのだろう。

 けれど、それは同時に魔族が役割から逸れることも、彼女は理解しているはずだ。

 それなのに、聞いてきたとなれば、彼女が曖昧な返答で満足するはずがない。


「確かに、たとえ可能性が低くても、少しでも可能性があるなら、あの方は様々な可能性を考えています。しかし、考えられる可能性があったとしても、踏み入れてはならない領域が虚線です」


「しかし、そのように考えているのは、魔族だけかもしれません……」


 オクターの言葉に、ニクシオンは少しだけ眉を(ひそ)めてしまう。

 生まれた時から、それぞれに役割があり、その役割に沿って生きるのが当然だと思ってきた。

 しかし、レティシアと言葉を重ねるたびに、行動と意志や関係性が役割を与えているのだと思えた。

 それでも魔族は、暗黒湖(テネクス)の管理者という役割は捨てられず、小さな命にすら役割を背負わせる。

 ふと、彼女から届いた書簡に書かれていた言葉を思い出し、「……箱は、やはり箱ですか……」と小さく呟いた。

 何かを望むのであれば、変わることも、変わっていくことも、受け入れるべき時なのだろう。

 理解していても重く、判断を揺るがす。

 それなのに、目の前にいる弟は、魔族でありながらも柔軟なのだと……少しばかり羨ましく思える。


「虚線書庫に入る術は、闇の精霊様しか知り得ません。そのため、オクター。あなたはすぐにベルグガルズ大陸に向かって、ルカ様に事情を話してください」


「畏まりました」


「レティシア様の魔力が込められた宝石があれば、こちらから向こうに行けるはずです」


「はい、すぐに出立します」


 ニクシオンは頭を下げたオクター見て、軽く息を吸い込むと、ゆっくり瞬きをしながら肺を空にする。

 ある日、気が付いた時には、暗黒湖(テネクス)の気配が変わっていた。

 遠い遠い昔のことだが、変わったことに気付いた日のことは今でも覚えている。

 その日から、精霊の気配が暗黒湖(テネクス)で、強く感じ取れる時があった。

 けれど、知ってはならない領域だと、心が、血が、存在の全てが、語りかけているようでもあった。

 だが、魔族以外が役割で生きていないのであれば、世界の目を欺き、虚線に触れている者がいるのかもしれない。

 そうなれば、世界の均衡は再び崩れる。


「理に縛られない者たちは、いつだって平気で他者を犠牲にする。そして、幾度も幾度も、我々の大切な者たちを犠牲にし、さも当然かの様にその理が元からあったかのように思って居る」


 背を向けて歩き出していたオクターは、唐突に聞こえたニクシオンの言葉に、「え?」と腑抜けた声を出した。

 振り返ってニクシオンの顔を見るが、曖昧に笑う彼からは、どこか悲しんでいるようにも思え、余計に発言の意図がつかめない。

 先ほどの発言の意味も考えるが、世界の理を維持するための犠牲は、魔族にはない。

 そのため、「どういうことですか?」と聞き返したが、悲しげに笑うニクシオンの表情に目が釘付けになった。


「あなたが生まれた頃、闇の精霊から言われた言葉です。その日から(わたくし)は、それまで以上に役割に執着しました。そうすれば、闇の精霊が憎悪の目を……魔族に向けないと思ったからです」


「闇の精霊は、誰かを憎んでいたのですか?」


 ニクシオンは優しくオクターに笑いかけると、首をゆっくり左右に振った。

 そして、「誰か……と言われれば、違うでしょうね」と答えてから、少しだけ目を伏せながら話す。


「しかし、正直のところ、(わたくし)は闇の精霊の気持ちを知りません。分かっていることは、ただこの世界が、闇の精霊と光の精霊が望んだ世界ではないことだけです」


「……それは、エレニア様のご両親のことがあったからですか?」


 エレニアの両親について、ニクシオンもよく知らない。

 知っている情報は、全て闇の精霊から聞いた物であり、直接関わったわけではない。

 それでも、『光と闇が紡ぐ守(光の精霊が書)りの約束(いた物語)』や初代オプスブル家当主の態度から、精霊たちがエレニアの両親を愛おしく思っていたのは分かった。

 そして、大切なものを理不尽に奪われた時、心を持つモノが濁らないと、ニクシオンも言い切れない。

 だからこそ、彼は有り得る可能性として考えてしまう。


「さぁ、そこは語ってくれませんでした。しかし、(わたくし)はそのように理解しています」


 オクターはニクシオンの話を聞きながら、理に縛られている者を考えていた。

 闇の精霊と契約を交わしているオプスブル家現当主は、理に縛られているとは言えない。

 であれば、フリューネ家か……とも考えたが、明確に理に縛られているとも言えない。


(けれど、その認識すら間違っているとすれば……?)


「オクター、精霊の隠し事を知ろうとすれば、世界を揺るがしますよ」


 考え耽っていると、ニクシオンの言葉が耳に届き、オクターは我に返った。

 そして、すぐに視線を下げると、「申し訳ございません」と謝罪を口にする。

 多くのことを知っているようで、実際は何も知らない。

 その事実が今は重く、知りたいと思考することが、彼らの秘密を暴くようで罪悪感が沸く。

 けれど、世界の真実を知りたいと思いながらも……考えてはならない気さえしてくる。

 それでも、今は言われたことをしなければと思い、「それでは、行ってまいります」と頭を下げると、ニクシオンに背を向けて歩き出す。


 一方、ニクシオンはオクターの小さな背中を見つめながら、軽くため息をついた。

 所詮、魔族は暗黒湖(テネクス)の管理者だが、世界の管理者ではない。

 だからこそ、世界の理をすべて理解していると思わない。

 しかし、精霊たちが世界の理を書き換えてしまった日から、この世界で代償を払い続けているモノがいるような気は、消えていった幼い精霊たちの嘆きから感じていた。

 その代償が何なのか、知る術はあるのかもしれない。

 だが、闇の精霊さえも明かさない世界の真実を、知らない方が世界は平和なのかもしれない……とすら思える。

 世界の均衡を取るのか、それとも代償を終わらせるのか……

 ニクシオンは天井に視線を移すと、暫くの間、紫色に光る雲を静かに見つめていたが、ゆっくり目を閉じた。



 時同じくして、ベルグガルズ大陸ヴァルトアール帝国の空は、薄く伸びる雲の縁だけが、金粉を散らしたように光っていた。

 建物の細く長く伸びる影を落とす一方で、灯された街灯が淡く世界を照らし始める。

 サーッと風が吹き抜けると、葉を散らした木の枝が揺れ、歩いている人々は首元の襟をそっと正す。

 人々が行き交う道路で、ふと杖をついた老人が足を止めると、白い建物がある方を見ながら「ああ、いい匂いだ」と告げた。

 老人が向いている方向の先には、門番がコップを持っており、湯気が立っている。

 白い建物は、陽がまだあたる部分がオレンジ色に染まり、日が当たらぬ部分は影が落ちている。

 暫くしていると、「爺さん、何か用か?」と門番の声がし、老人の「いやいや、フリューネ侯爵家は、変わらぬと思うてな」という声が続いた。

 けれど、「はは、そりゃーどうも」と門番の声が軽く響き、続けてパシャッと地面に水分が当たる音がし、カチャとわずかに剣が鞘から抜かれる音が続く。


「用がないのであれば、即刻立ち去っていただけると、我々もあなたを切らなくすみます」


「何じゃ、ただ匂いにつられて立ち止まっただけじゃろ!」


 老人がブツブツと言いながら立ち去ると、「はぁ、もったいねぇことした」と足元に広がるシミを見つめている門番の声がした。

 門の奥にあるフリューネ侯爵家の窓には明かりが灯っており、木の枝が風に揺れる音だけが敷地内に響く。

 そんなフリューネ侯爵家の一室では、テーブルを挟んで向かい合わせに座る人物がいた。


「なるほどな」


「まぁ、実際におれが見たわけじゃないけど、そういう報告を受けたよ」


 ルカは向かいに座るアランを見つめると、暫くして深くため息をついた。

 アランの弟であるオスカーは、エルガドラ王国の元王妃であるアンドレアが処刑されてから、幽閉されてきた。

 しかし、そのオスカーが死んだと先ほど報告を受けた。


(オスカーの使い道は色々とある。だからこそ、エルガドラ王国は彼を処刑せず、幽閉という対策をとった。が……死んだ……ね。調べる必要はあるのかもな……)


「レティシアが絡んでいる可能性は?」


 アランは首を左右に振ると、正直に「分からない」と肩を落としながら答えた。

 けれど、当時のレティシアとオスカーの様子を思い返しても、たわいもない会話をしている程度の認識しかない。

 それに、もしレティシアが他国で、オプスブル家に隠れて何かできるとも思えない。


「おれがこっちに来てからも、彼女がオスカーと接触してたのは知ってるけど、何か企てるにしても、オプスブル家の目が届かないことはあるのか?」


「無いとは言い切れない。お前も知ってるだろ?」


 冷たいルカの赤い目を見ながら、アランは軽く息を吐き出し、「リスライベ大陸か……」と思い当たる答えを述べた。

 その瞬間、更に鋭さが増したルカの目元に、ゾゾッと全身に悪寒が走り、気付かれないように唾を飲み込んだ。


「そうだ、彼女はリスライベ大陸とベルグガルズ大陸を好きな時に、好きに行き来できる。となれば、オスカーを隠すことも不可能じゃない」


「ニルヴィスの一件を聞いたからには、おれも一度遺体を確認した方がよさそうだね」


 周りに死んだと思わせ、実際には生きていた事例をレティシアは作った。

 そのことを考えれば、アランは今回もあり得ない訳ではないと考えた。

 けれど、どこか腑に落ちないような気がしてしまう。


(一度使った手を、こうも短期間で何度も使うのか? レティシアなら、おれたちが彼女を怪しむと考えるはずだ……、ルカもそう考えてるからこそ、おれに調べさせるために、ニルヴィスの件を話したはずだ……なんだ、この違和感)


 考え耽っていると、「悪いな……」と申し訳なそうなルカの声が聞こえ、アランは曖昧な笑みを浮かべた。

 そして、変わったようで変わらない親友に向かって、優しく本音を告げる。


「気にしてないと言えば嘘になる……だけど、本当なら8年前に処刑されててもおかしくなかったんだよ。その弟が本当に死んだだけかもしれない。それだけだよ……」


 ルカは目を伏せると、肘掛けに頬杖をついた。

 視線の先にある白いカップは、外側は白いのに、内側には紅茶の色をわずかに反射させている。

 カップと紅茶の境がどこにあるのか、見ただけで分かる。

 けれど、目に見えない境は、いつだって人を惑わせる。

 アランの言葉が本音かもしれない。

 それでも、本当は言いたい言葉も飲み込んでいるのだと思えば、それ以上オスカーのことについて何も言えなくなってしまう。


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