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増刊号3 ハーゲンダッツ

夜中の0時にハーゲンダッツを買いにいけるほど、我々は贅沢なんです。


なに? 意味がわからない?


では、少し説明しましょう。


食後にまったりテレビ見てると、「あ、アイス食べたいなぁ」と思い立つ。

やっぱハーゲンダッツだよね、と、近くのコンビニにあるよね。近くっていっても500m位離れてるけど。

雨降ってるけど食べたいし、まあ車で行けばすぐだし。

ついでに雑誌でも買って帰る。

ああ、家でまったり漫画読みながら食べるアイスは美味しいなぁ。


こういう経験ないですか?


つまり、我々日本人というのは思い立って5分ないし、10分後くらいには、思ったことが実現しているのです。


無論、ハーゲンダッツのケースにおいては、です。

その他、コンビニに売っていない商品になるとこうはいかないかもしれませんが、明日、ないし通販を利用して明後日くらいには間違いなく手元に届いていることでしょう。これがどれだけ贅沢なことか。


そして得難いことか。


そんなの当たり前じゃん、って思います?

例えばこんな話。





アフリカ大陸において最貧国と言われる某国に住む少女マンサは、僅かな賃金を得るガイドの仕事の途中で、海外旅行者の話に耳を傾けていた。その何気ない会話の中で、それの存在を知った。

ハーゲンダッツという世にも美味なアイスがあるらしいことを。

なんとそれは、たった一つが自分たちの3日分の給料に相当する値段なのだ、と。


アフリカにアイスクリームがないわけではない。マンサも食べたことはある。だがそう気軽に買えるものではない。

アイスを食べるためには電力供給が安定している町にまでゆかねばならないし、店まで行っても冷蔵庫が常に動いているとは限らないから、いつでもあるわけではない。何より食費と別にそれを購入すること自体が贅沢だ。


だが、3日間働いたお金を貯めれば、そのめくるめく夢のような、世界のセレブが口にするアイスクリームが食べられるのだ。

マンサは頑張った。しかしたった3日分の給金、アイスに充てるためのお金を貯めるまでに三ヶ月を要した。

お金を握りしめたマンサは、アイスクリームが売っているという、この近くで一番大きな街へと三時間歩いてたどり着いた。


「え、ハーゲンダッツ? なんだいそりゃ」

店主が困ったような顔をしてマンサを見ていた。なんとこの店主はハーゲンダッツというアイスがあることすら知らないのだ。

もっと大きな街に行けば売ってるかもしれない。だがそれには交通費が必要だ。そこにもなければ国境を越えてアフリカでさらに大きな街に――いや、いっそヨーロッパまで飛べば……。


だめだ、とてもじゃないけど、そんな旅費は出せない。もはや交通費だけでハーゲンダッツを買う金額などゆうに越えてしまうし、それだけのお金を貯めるのに一体何十年かかるかわからない。


自分が知っているこの世界は、ほんの小さな世界だ。おそらくは、この国から出ることなど多分一生かなわない。

おそらく、一生、ハーゲンダッツを食べることはできない。

彼女は肩を落として、稼いだお金を大切にバッグへとしまい、家路へと歩いた。






レートなどはでたらめですが、だいたい言いたいことはわかってもらえると思います。

我々は、アフリカの小女マンサが一生かかっても(おそらく)食べることができないハーゲンダッツを、ものの数分で攻略できてしまうという格差が明らかに存在するということです。


仮に「アフリカの某国にハーゲンダッツを流通させ、24時間購入できるようにする」と考えてみましょう。

しかし、すぐに無理だと結論できます。


アイスを売るということは、冷凍設備の完備、すなわち電力供給が欠かせません。まず、ろくに電気が供給されていない地域がアフリカだけでなく、世界中にはあちこちあります。電気だけでなくガス、水道、道路、線路、ネットはもちろん、あらゆるインフラが整っていません。


さらに、夜中は物騒で、女性が一人で暗がりを出歩くなどもっての外です。

当然ですがそんな深夜に機嫌よく商売してる店なんかもありません。

それに、商売にならない地域に企業は店舗展開もしないですし、情勢不安な土地に商品を卸すということには、メリットどころかデメリットしかありません。


お金はあっても買えないんです。


規律正しい社会環境というものが伴って、初めてお金は本来の価値としてバランスが取れた状態で使えます。



我々の側の話に少し戻します。

まずハーゲンダッツというアイスクリーム会社。

創業は1961年アメリカ。日本では1984年から2013年まで実店舗が存在したのですが、今はコンビニやスーパーなどで、パッケージ商品としての販売方法がメインです。

日本でも少し前、今から二十数年ほど遡りましょうか。その頃はさほどにハーゲンダッツがメジャーではありませんでした。なにせ実店舗までいかなくては食べられませんでしたから、食べたことがないという人も、その存在を知らないという人もかなり多かったのです。


マンサほどではなくとも、隣町、あるいは都市部まで越境しなければ食べられないという環境であり、アイスクリーム一つに交通費を重ねなければいけない、一食数万円かかる食べ物でもあったわけです。(おそらく実際に、アイス好きの人はそのくらい払ってハーゲンダッツを食べに遠征した人もいるでしょう)これも贅沢な話ですが、逆に言えばお金さえあればなんとかなったんです。新幹線があります、高速道路もあります。


今のようにコンビニが各地、各地域、各自治体、各町レベルに一軒あるような時代になりますと、自転車でも歩きでも買いにゆくことができます。しかも24時間いつでも。

真夜中にコンビニまで買い物に歩いて行けるというのが、どれほどまでに贅沢なことか。


ある意味で我々は全体でこの社会構造を分け分けしながら維持しています。原付きに乗れるということも含めて、我々は働いたお金の幾分かを税金として収め、道路を作ったり街を作ったり、外灯を立てたり、治安維持の人員(警察消防)を雇ったりしています。


そしてコンビニという年中無休の店舗を、商品価格の一部に混ぜることにより、間接的に店舗維持に貢献しています。

皆が少しずつ身を削り、企業との利害が一致した結果、我々は望んだ大抵のものを数分のうちに手に入れることができるようになりました。


これが社会における豊かさというものです。


欲望がすぐに希望に移り変わり、実行の末、満足を得る。この時点における対価(金銭や燃料費、道中のリスク)というものをどれほど勘案しているかというと、ほとんどしていないでしょう。

むしろ我々は、コンビニに行ってハーゲンダッツが売り切れて、なかったということに喪失感を覚えるのではないでしょうか。

それは望んだものが当然手に入ると考えていたからです。


我々は、現在そのような社会の上に生きています。

この世界から見ればごくごく一部の、相当裕福な国に成立している社会です。

この小さな社会の中では、この実現力の凄さがわかりにくいかもしれません。

だから自分たちはそれほど豊かではないと感じるのかもしれません。


でも違います。


むっちゃくちゃ豊かです。むっちゃくちゃ恵まれてます。

物質的には地球上で最も豊かで恵まれている国といって間違いないでしょう。

ほぼすべての国民が、(極端なものを除き)望んだものを手に入れられる国です。

少なくとも、多くの国民が希望をもって努力をする意味がある世界です。人類史に記されている限りで、こんな社会を作ることができた国は古今東西どこにもありません。


行きたいところに行けて、欲しいものが得られて、美味しいものが食べられて、明日が間違いなく来ると確信できるのは、自分たちが資産を持っているからというだけではないのです。


ここで勘違いしないでほしいのは、自分たちは少なくとも上位に位置しているのだから人生に悲観するな、というお話ではなく、クヨクヨ下を向いて歩いているなら、今自分が歩いている足元の道路のことを考えてみよう、という話です。




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