第4話 銭湯
地上は砂漠なのだが、幽玄城砦では水は有り余ってる。しかしながら、綺麗な水に限って話すならそれは貴重なものとなる。
多くの水は工場排水で汚染されていて、飲むどころか普段使いにも適して無い。だから、水を沢山使う風呂なんて、上層の人間でも無い限り入れるわけがなかった。
だが、ここ8区には例外がある。『チバ銭湯』。8区を見下ろせる位置にある屋根瓦のこの場所は、誰もが利用できる公衆浴場なのだ。
屋根から触手のように無数に伸びるこのパイプが、上層のろ過装置に接続されていて極上の湯を沸かし続けている。
開店前の早朝。裏口から中に入ると、天井からオイルまみれのつなぎ女が降りてきた。
「今日も精が出るね。アキカ」
「また来たの?毎度毎度、図々しいにも程があるわよ」
私を見るなり、アキカはレンチを工具箱に押し込み、ため息をつく。
「どうしてタイジュ君はこんな奴と相棒なんて組んでるのかしら。組むなら、私と一緒にこの風呂を直して欲しいのに」
「それご苦労さん。それで、もう入れる?」
「今点検が終わったとこ。掃除も終わってるし、湯を張ったら入っていいわよ」
「はいはい」
フロントに向かうと、タマエ婆さんが丁度戻ってきたようで、椅子にちょこんと座って、茶を入れていた。
「おはよ、タマエさん」
「今日も生きとったか、ミズナ」
「おかげさまで、今日も生きてますよ」
タマエさんは小柄で温和そうな雰囲気だが、チバ=タマエと聞けば、ここらの連中は震えあがるほどの人物だ。いわゆるこの街のドン。
前自治会長で、今も絶大な権力があるから、私も頭が上がらない。
「また痩せたな」
「あはは、気のせいじゃないですか」
「藪医者の目は誤魔化せても、私の目は誤魔化せないよ」
「本当、気のせいですって」
「全く、借金全部返さない限り、死ぬのは許さないわよ」
「はいはい。それじゃあ、いつもの一番風呂、もらうね」
「ふんっ、湯がさめちまう前にさっさと入りな。『英雄』さんよ」
「どうも」
暖簾をくぐり、廊下の先で服を脱ぎ、そのまま浴室へ。
白タイルの床はまだ冷たかったが、浴槽には透き通った水が張ってあり、湯気が立ち上っていた。
タマエ婆さんが大昔に北の果てで見たとかいう山が壁に描かれているが、果たしてこんなに緑が茂ってる山がこの世界のどこかにあるものなのだろうか。
そんなことを考えつつ、シャワーを浴びる。
風呂に入るときは、義手を外さないといけないのが大変不便で、いつも湯に入るまで時間がかかり、普通に寒い。こればかりは、一番風呂の最大のデメリットだ。
だが、冷えた状態でアツアツの湯に使った時の気持ちよさは別格だ。
「……あー、いーきーかーえーるー」
湯につかってうつらうつらとしていたら、ドアがガラリと開いて、見慣れたチビが現れた。折角の天国気分が一瞬で消え失せる。
「はぁ、今日は貴方が居たとは。タマエ婆も言ってくれたらよかったんですが。ツツミ、さっさと上がってください。邪魔です」
「こっちが先客だってのに、横暴だ!」
「うげげ!リントとミズナと八合わせるとは……最悪」
再びドアが開いて、アキカが入って来た。
一番風呂最大のデメリットは更新だ。必ずと言っていいほど、風呂に入ると二人と遭遇してけんかになる。
いつの間にか、広い湯舟に三人。そして、言い合いの応酬が始まる。最悪だ。
「いい?タイジュ君を酷い目にこれ以上遭わせないで!」
「いや、別に私が強制してる訳じゃ……」
「アキカ、貴方に何の権利があってタイジュの自由を阻害するんですか!?彼は、自分で選んで今の仕事をしてます!気に食わないですが、こいつのお陰でです!」
「でもこの前、怪我して帰って来たじゃない!」
「それについて悪いのは、そこの馬鹿です!こればかりは、私もまだ許して無いですから!」
「いやいやいや、タイジュが勝手に無茶するからだって!」
「本当、そう!タイジュさん、いつも無茶ばかりするんです!私は心配で、心配で!」
三人でワーワー喋ってると、ドアがぴしゃりと開いた。
「喋ってないで、さっさと入りな!」
タマエ婆さんは一言いうと、またドアを強引に閉め去っていった。
流石の私たちも口論する気は失せ、静かに三人で湯につかる。
「タマエ婆さん、まだまだ現役なのにどうして会長辞めたんだろ」
「本当、迷惑ですよ。私に全部投げつけて、自分はここでご隠居生活なんて」
「まあ、彼女なりのケジメなんだよ。リントはドンマイだけど」
「全くですよ。そうだ、ミズナ!今月の支払い、足りてなかったんですが、どういうことですか!?」
「……よし、上がるか」
「ちょっとミズナ!?待ちなさい!」
風呂上り、あっという間にリントに組み伏せられ、今は番台の前で空の財布を振っている。だが、失ったものは戻ってくることは無い。
「きっかり3万イェン、確認しました」
「私の生活費が……この鬼!」
「鬼で結構。あとアキカ、ゲンさんの依頼、早めにこなしてくださいね。防護壁の点検は、周りへの影響が大きいので」
「はいはーい、お姉さんの為にも頑張りまーす!」
「誰が姉ですか」
「リントの牛乳頂き!」
「ちょっと!何するんですか!」
金に夢中になっている隙に、バイオコーヒー牛乳を奪い取った。少しでも、仕返しをしたい気分にさせたアイツが悪い。
すぐに外に向けて走り出す。
「タマエ婆、ありがと」
「野垂れ死ぬんじゃないよ」
「はいはい、町は汚さないようにしますって」
「ミズナ!牛乳返しなさい!」
「それじゃあ、婆さん。またね」
暖簾をくぐり、外に繰り出す。牛乳は一気に飲んでもう無い。
「あー!私の、コーヒー牛乳が……」
「リントさん、私のバイオフルーツ牛乳飲む?」
「アキカのもいただき!」
「あ!酷いミズナ!タイジュ君に訴えるんだから!」
「ミーズーナー!今日という今日は!許しませんよ!」
時刻は丁度7時。地下都市の朝は早い。
こうして、チバ銭湯から三人が騒がしく出ていくとき、8区の一日が動き始めるのだ。
登場人物
ツツミ=ミズナ:死体運び屋で元・殺し屋。幽玄城塞を助けた過去がある。
チバ=タマエ:先代自治会会長の老婆。幽玄城塞のドン。今はチバ銭湯を営んでいる
キハラ=リント:タイジュの姉。現自治会会長。タマエに頭が上がらない。
ヤマガタ=アキカ:ジャンク屋の女性。腹黒ぶりっ子女子。




