第19話 すき焼き
流れていた流行歌に徐々にノイズが入り始めたと思えば、直ぐに雑音に飲み込まれる。どうやら、ラジオが壊れたらしい。
ここは幽玄城塞8階にある大病院の病室。どうやら、私は幸運なことに生き延びたらしい。だが、どういう風の吹き回しか、ここに入院している。
あの時助けた子は無事だったらしい。どうやらあの時、リントを通り過ぎたどころか、殺しかけたとか。あの薬の最大のデメリットは幻覚作用のせいで、敵味方が分からなくなることだ。
もし、あそこでタイジュが止めて居なかったら、私は自治会の連中まで殺したことだろう。元気になったらタイジュにちゃんとお礼を言わないとだ。
壊れたラジオの電源を切り、ベッドに体を埋める。
入院生活開始から一カ月。
怪我とかは無かったのだが、あの時点で深階の呪いで内臓やら皮膚やら筋肉やら、肉体の半分近くが駄目になったらしい。それで、それらを総とっかえする手術があったらしく、こうして入院している。
本来なら死んでるらしいのだが、運よく手術が成功したので、手術後三日で意識を取り戻した。それどころか、一週間で動けるようになった。
前例が無いらしいので、検査入院と言われてずっとここに居る。だから、今は暇で仕方がない。
「命あっての物種とはいっても、マジ暇ー」
ふと、ドアが開いて、カツカツと靴の音がした。
「暇そうですね、ミズナ」
「よっ、リント。一月ぶりだね」
ベッドから起き上がり、立ち上がろうとするが手で制される。リントはそのまま隣の椅子に座り、カバンを乱暴に床に置いた。
「本当、奇跡的に死なないでよかったです。借金、まだ半額しか返ってきてないので」
「ほんとほんと、私もマジで驚いてる。現代の医療技術は凄いもんだよー。このまま、仕事に復帰できそうなほどだし」
肩を回して見せると、リントは目を細めてため息を一つ。これは、いつもの説教が始まる合図だ。苦笑いのまま、いそいそと布団を掛ける。
「はぁ、いいですか?完治した訳では無いので、気を付けてください。主治医曰く、今回の手術はあくまでも延命措置だということですから」
「まあ、あと数年生きられれば、御の字ってもんだよ」
深く息を吸って吐く。こうして深呼吸をしたのはいつ以来だろうか。流石、新品の肺だ。
「あーでも、手術代、あの時の死体と採掘以上あるよねー?借金、増えちゃってる感じ……?」
「手術代と入院費なら、酒井さんが払いましたよ。しかも、一括で」
リントが顎で示すと、ドアの隙間からおずおずとこちらを眺めるフウガとミンの姿があった。
「入ってきたらどうです?」
「……ああ、それもそうだな」
パイプ椅子を引きずって、二人が入ってくる。そして、ベッドの傍に来るなり頭を深々と下げた。
「ミズナ、すまなかった。俺の監督不行き届きだ」
「いいってば。私が勝手にやったことだし、お陰で少しは寿命が延びた訳だしさ」
笑って見せると、フウガが顔を上げたかと思えば、拳を握りしめて、凄い剣幕で近づいてくる。そして、乱暴にボードに文字を書きなぐった。
『ミズナ なにもよくない』
「フウガ、何怒ってんの?」
『むだんで しのうと しないで』
「いや、こんなことになるとは思ってなくてさー」
『しにたがり ばか』
フウガは持っていたカバンを乱暴にベッドに投げつける。
「ちょっと、こっちは怪我人だってー!?」
「……」
「おいおい、ミズナ。何をしてフウガを怒らせたんだ?」
「いや、わかんないって。それで、これは何?」
ファスナーを開けると、冷気と共に赤い塊があった。触ってみると、氷のように冷たい。
フウガに目を向けるが、視線を逸らされた。
「……」
「肉だそうですよ」
「肉?でも、それにしては、赤くない?」
「ミズナ、聞いて驚け。これはな、本物の牛肉だぞ」
「え……」
牛肉。それは上層階でしか流通していないとされる伝説の食材。合成肉と違い、魚のようにジューシーで、柔らかくて、旨味が詰まっているらしい。しかし、牛は貴重な生き物。流通量はたかが知れていて、多分、今回の手術代と同じくらいの値段のはずだ。
「フウガがな、お前さんに食べさせたいんだとよ。病院に許可は貰ってるから、食べるか?」
「それはそれは、勿論!」
「ついでに、自治会長もどうだい?」
「それなら、お言葉に甘えて」
一時間後。病院で外出許可を貰い、近くの居酒屋に向かった。どうやら師匠の知り合いの店らしく、借りれたそうだ。
暖簾をくぐり、中に入る。開店前だから、私たち以外に人はいなかった。
座敷の机の上のカセットコンロの上には土鍋。そこには甘く味付けされた醤油ベースのタレに、ネギやら白菜やらが入っていて、そこにさっきの肉が投入される。
辺りに広がる濃厚な肉の香り。それを嗅ぐだけで、腹が減ってきた。
リントもフウガも高級食材である野菜と肉をふんだんに使った目の前の料理に唖然として、生気の抜けたような顔をしている。
「末端価格でも、一杯3万エン。それがこんなに……」
「ざっと、100万エンの料理ってとこだな」
ミンは何でもないように笑いながら調理を進める。まあ、ソシキ時代なら1000万程度までなら簡単に払える金額だったからな。今思えば、あの時は本当に贅沢尽くしの生活だった。
全員が椀にすき焼きを移し終え、一息つく。
「さて、酒は無いが、ミズナの快気祝いとして乾杯!」
「まだ、退院にはほど遠いんだけど……まあいっか。乾杯!」
音頭と共に、箸を肉に伸ばす。口に入れた途端、肉が溶けた。合成肉のゴムのような触感とは違う。かといって、アイスの溶けるのとも違う。だが、それ以外に表現が思いつかない。
鼻腔に広がるタレの塩味、甘味、そしてコク。この肉の独特の風味が、癖になりそうだ。
「これは、美味しいですね……」
「だろ?」
「人の金で食べるすき焼き程、美味しいものは無いよー」
「おい、ミズナ。肉ばかり食べるなよ。病人なら、野菜も食え」
「って、ネギ入れるなよ!師匠!」
「高級品を嫌がるなんて、贅沢ですね。なら、私が貰いますよ」
「ほら、食え食え」
鍋を囲む喧騒の隣、フウガは突然箸を置いた。
「どうしたフウガ。食べないの?」
『ミズナ にどと こんなことしないと やくそくして』
「はいはい、しないしない」
肉を鍋から取ろうとした途端、フウガに椀を奪われる。
『やくそく しないと たべさせない』
「別に私だって好き好んで自分で死ぬことなんてしないよ。今回は、普通に見誤っただけだし。だから、約束するって」
「……」
フウガは黙って小指を差し出す。こういう時は、昔から絶対守る約束をするという合図だ。
「わかったよ。ほら、指切り拳万、嘘ついたら針千本飲ーます、指切った。これでいい?」
フウガは頷くと、椀を返してくれた。
師匠が大金を払って延命させてくれた今の人生。だが、生かされたなら、少しは二人の為にも、長くは生きないと、駄目だよな。
そんなことを考えながら、鍋に箸を伸ばすのだった。
登場人物
ツツミ=ミズナ:寿命が延びたどころか、飲酒解禁で喜んでいる主人公。
キハラ=リオン:自治会会長。借金返済をなんだかんだ待ってくれるいい人。
サカイ=フウガ:ミズナがいつも死にかけてばかりで心配している弟弟子。
サカイ=ミン:ミズナの師匠。ミズナと過去の友人を重ねている。実は戦闘はミンが教えたものではない。




