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名前のない灯り  作者: あめとおと


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第8話:はじめての手




 目の前で、人が倒れている。




 ざわめき。


 戸惑い。


 誰もが、動けずにいる空気。




 その中心に――わたしは、立っている。




(……どうするの)




 頭の中で、声がする。




 助ける?


 助けない?




 どちらも、選べる。




 だって、もう。




 わたしは“聖女”じゃない。




 義務はない。


 責任もない。




 だから。




 選ばなくても、いい。




(……本当に?)




 胸の奥が、静かに揺れる。




 目の前の人は、苦しそうに息をしている。


 顔色が、悪い。




 このまま放っておいたら。




(……分かってる)




 分かっている。




 前と、同じだ。




 あのときも。


 わたしは、選んだ。




 そして。




 一人、救えなかった。




 足が、震える。




(また、間違えたら?)




 怖い。




 今度こそ、本当に取り返しがつかない気がする。




(でも)




 それでも。




 視線を、逸らせなかった。




 苦しんでいる人から。




 逃げることが、できなかった。




「……どうして、動かないの」




 後ろから、静かな声。




 振り返らなくても、分かる。




 シエラ・ノクシア。




 その存在が。




 逃げ道を、完全に塞ぐ。




「資格がないから?」




 昨日と同じ問い。




 でも。




 今は、違う。




 ゆっくりと、息を吸う。




「……違います」




 声が、出た。




 小さいけれど。


 確かに。




「怖いんです」




 正直に、言う。




「また、間違えたらって」




 沈黙。




 でも、シエラは何も言わない。




 ただ、待っている。




 わたしが、“続き”を言うのを。




 逃げるか。


 進むか。




(……わたしは)




 目の前の人を見る。




 苦しそうな呼吸。


 震える手。




 ――助けたい。




 その気持ちは。




 嘘じゃない。




 でも。




 それだけじゃ、足りない。




(わたしは)




 ただ“優しい人”でいたいだけじゃない。




 逃げないで。


 ちゃんと。




 引き受ける。




「……それでも」




 喉が震える。




「助けたいです」




 言った。




 はっきりと。




 その瞬間。




 足の震えが、止まる。




 決めたから。




 逃げないと、決めたから。




 しゃがみ込む。




 そっと、手を伸ばす。




 一瞬だけ。




 ためらいが、よぎる。




(資格なんて、ない)




 でも。




(だから、何?)




 自分で、自分に問い返す。




 資格がないから、助けないのか。




 それとも。




 資格がなくても、助けるのか。




 選ぶのは。




 自分だ。




 手が、触れる。




 熱い。




 想像よりも、ずっと。




「……大丈夫」




 誰に言ったのか分からない言葉が、こぼれる。




 ゆっくりと。




 力を、込める。




 昔みたいに、完璧にはできない。




 分かっている。




 でも。




 それでも。




 できることを、やる。




 光が、わずかに灯る。




 弱い。




 頼りない。




 でも。




 確かに、そこにある。




「……あ」




 周囲の誰かが、息を呑む。




 倒れていた人の呼吸が、少しだけ落ち着く。




 完全じゃない。




 でも。




 さっきより、確かに楽そうだ。




 その変化を見て。




 胸の奥が、強く震える。




(……できた)




 小さな、小さな一歩。




 でも。




 自分で選んで。


 自分でやった結果。




 それが。




 こんなにも、重い。




 手を離す。




 息が、少し荒い。




 でも。




 後悔は、なかった。




「……それでいい」




 後ろから、声。




 振り返る。




 シエラが、そこにいる。




 いつも通りの、静かな表情。




 でも。




 ほんの少しだけ。




 柔らかく見えた気がした。




「完璧じゃなくていい」




 淡々と、言う。




「結果を引き受けるなら、それでいい」




 その言葉が。




 胸の奥に、静かに落ちる。




 責められない。




 でも。




 逃がされもしない。




 その距離が。




 今は、心地よかった。




 周囲の視線が、少し変わる。




 さっきまでの“無関心”じゃない。




 ほんの少しだけ。




 戸惑いと。


 驚きと。




 ――期待。




 そんなものが、混じっている。




(……まだ)




 何も戻っていない。




 名前も。


 立場も。




 でも。




 それでも。




 ここに、ひとつだけ。




 残ったものがある。




(わたしは)




 選べる。




 自分で。




 何度でも。




 間違えながらでも。




 それでも。




 進める。




 顔を上げる。




 世界は、まだ冷たい。




 でも。




 さっきより。




 少しだけ。




 遠くない気がした。






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