第4話:選ばなかった命
朝が来ても。
胸の奥のざらつきは、消えなかった。
⸻
「聖女様、本日もよろしくお願いいたします」
神殿の扉の前で、ユラが頭を下げる。
いつもと同じ光景。
いつもと同じ声。
――なのに。
どこか、違って聞こえた。
「……ええ」
短く答えて、中に入る。
並んでいる人々の列は、昨日と同じように長い。
誰もが、わたしを待っている。
(考えすぎよ)
あれは、ただの“事故”だ。
わたしのせいじゃない。
順番を守らせただけ。
それが間違いなわけがない。
――そう、何度も言い聞かせる。
⸻
「次の方を」
手を差し出す。
光が溢れる。
癒す。
感謝される。
その繰り返し。
昨日と、何も変わらない。
……はずだった。
⸻
昼を過ぎた頃。
ふいに、神殿の奥が騒がしくなった。
「……何かあったの?」
視線を向けると、数人の神官が慌ただしく行き来している。
その中に、見覚えのある顔があった。
ユラだ。
顔色が、ひどく悪い。
「ユラ」
呼びかけると、はっとしたように足を止める。
「聖女様……」
「どうしたの?」
問いかけると、ほんの一瞬、言葉に迷ったあと。
ユラは、静かに答えた。
「……昨夜の方が」
その一言で。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
「……亡くなりました」
世界が、音を失う。
⸻
(……え)
理解が、追いつかない。
昨日、倒れた人。
順番を待たせた人。
――あの人が?
「医師も手を尽くしましたが……手遅れだったと」
ユラの声は、どこか遠くに聞こえた。
まるで、水の中にいるみたいに。
(違う)
そんなはずない。
わたしは、何も間違っていない。
順番を守らせただけ。
公平にしただけ。
それが、どうして。
「……わたしに、知らせる必要があったの?」
気づけば、そんな言葉が口をついていた。
ユラが、ゆっくりと顔を上げる。
「え……?」
「だって、もう終わったことよね」
言葉が、やけに軽く響く。
自分で言っているのに、どこか他人事みたいで。
「わたしにできることは、もうないでしょう?」
そう言えば。
何かが、楽になる気がした。
責任から、少しだけ離れられる気がした。
⸻
でも。
ユラは、何も言わなかった。
⸻
ただ。
その目だけが。
はっきりと、揺れていた。
⸻
「……本日は、ここまでにいたしましょう」
神官の一人が、静かに告げる。
「聖女様も、お疲れでしょうから」
「いいえ、続けるわ」
即座に、否定した。
考える暇を与えたくなかった。
止まったら、何かが崩れそうだった。
「まだ、待っている人がいるでしょう?」
列の方を見る。
不安げな顔。
期待する目。
――わたしを必要としている人たち。
「この人たちを、見捨てるわけにはいかないもの」
それは、正しい言葉だった。
誰が聞いても、間違いじゃない。
なのに。
どうして。
こんなにも、空っぽに聞こえるの。
⸻
「……承知いたしました」
神官は、それ以上何も言わなかった。
ユラも、ただ一礼して、下がる。
その背中を見ながら。
わたしは、もう一度手を差し出した。
⸻
「次の方を」
⸻
光が、溢れる。
癒す。
救う。
――そのはずなのに。
⸻
ふと。
昨日のことが、頭をよぎる。
裏門で待っていた人。
倒れた人。
そして――
今、もういない人。
⸻
(……関係ない)
首を振る。
違う。
わたしは、目の前の人を救っている。
それでいい。
それが正しい。
⸻
そのはずなのに。
⸻
どうして。
この手が、こんなにも冷たいの。
⸻
その日の夜。
神殿の外で、小さな噂が流れ始めた。
⸻
「聖女様は、選ぶらしい」
「助ける命と、見捨てる命を」
⸻
誰が言い出したのかは、分からない。
けれど、その言葉は。
静かに、確実に。
広がっていった。
⸻
そして。
その噂が、やがて。
わたし自身を、追い詰めることになる。




