第3話:軽すぎた選択
その日も、神殿には人が並んでいた。
朝から途切れることのない列。
怪我人、病人、疲れた顔の人々。
――みんな、“聖女”を求めて来ている。
(やっぱり、わたしが必要なんだ)
胸の奥が、じんわりと満たされる。
ここでは、誰もがわたしを見上げる。
疑うことなく、感謝してくれる。
それが、心地よかった。
「次の方を」
椅子に座ったまま、手を差し出す。
淡い光が、掌から溢れる。
触れた場所から痛みが消え、苦しそうだった表情が和らぐ。
「ありがとうございます……聖女様……」
「ええ。お大事に」
慣れたやり取り。
流れるような時間。
――何も間違っていない。
そう、思っていた。
⸻
「聖女様」
ふいに、控えめな声が届く。
顔を上げると、そこにいたのは侍女のユラだった。
淡い色の髪を後ろでまとめ、いつも少しだけ遠慮がちな目をしている少女。
「何かしら」
「……少し、お時間をいただけますか」
言いにくそうに、言葉を選んでいるのが分かる。
その様子に、わたしはほんの少しだけ眉をひそめた。
「今、見ての通り忙しいのだけれど」
「はい……ですが、その……」
ユラは一歩だけ近づいて、小さな声で続けた。
「裏門の方に、どうしても聖女様にお会いしたいという方が……」
「並べばいいでしょう?」
即答だった。
「順番は守るべきよ」
「それが……順番を待てない事情があるようで……かなり具合も悪く……」
「だからって、特別扱いするの?」
思わず、言葉が強くなる。
ユラの肩が、びくりと揺れた。
「皆、同じように辛いのよ。ここに並んでいる人たちだって」
ちらり、と列の方を見る。
誰も文句を言わず、順番を待っている。
それが“正しい形”だと思った。
「でも、その方は……」
「ダメよ」
はっきりと、遮る。
「一人を特別扱いしたら、全部が崩れるでしょう?」
規則は守らなければいけない。
秩序は、乱してはいけない。
――それが、正しい。
「……はい」
ユラは、それ以上何も言わなかった。
ただ、深く頭を下げて、その場を離れていく。
その背中を見ながら。
ほんの少しだけ、胸がざわついた。
(……何よ)
今の判断は、間違っていない。
誰だって、同じ条件で扱われるべきだ。
それなのに。
どうして、あんな顔をするの。
まるで。
わたしが、何かを見落としているみたいな。
⸻
「次の方を」
意識を切り替えるように、声を上げる。
列はまだ長い。
わたしがやるべきことは、目の前の人を救うことだ。
それだけでいい。
それ以外は、考えなくていい。
⸻
どれくらい時間が経っただろう。
気づけば、外はすっかり夕方になっていた。
最後の一人を見送り、軽く息を吐く。
(今日も、ちゃんとやった)
満足感が、静かに広がる。
誰かの役に立てた。
聖女としての務めを果たした。
――それで、十分なはずだった。
⸻
「聖女様」
再び、ユラの声。
今度は、少しだけ様子が違った。
顔色が、悪い。
「……何?」
なぜか、少しだけ嫌な予感がした。
「先ほどお話しした方のことなのですが……」
言葉が、途切れる。
視線が、わずかに逸れる。
「……もう一度、申し上げます。お通しすることはできません」
先に、そう言った。
迷いを断ち切るように。
ユラは、ゆっくりと首を横に振った。
「いえ……そうではなく……」
小さく息を吸って。
そして、言った。
「――先ほど、その方が倒れました」
時間が、止まる。
「……え?」
意味が、すぐには理解できなかった。
「神殿の外で……待たれている間に……」
ユラの声は、震えていた。
「医師を呼びましたが……意識が戻らなくて……」
胸の奥が、どくりと脈打つ。
(……そんな)
ただ、順番を守らせただけだ。
ただ、平等に扱っただけだ。
それなのに。
「……わたしの、せいだって言いたいの?」
思わず、口からこぼれる。
ユラは、すぐには答えなかった。
ただ。
ほんの一瞬だけ。
わたしを見た。
その目は――
責めるでもなく。
怒るでもなく。
ただ、ひどく悲しそうで。
「……いいえ」
そう、言った。
「聖女様は、正しいことをなさいました」
その言葉は。
ひどく優しくて。
ひどく――重かった。
⸻
(ほら、やっぱり)
わたしは、間違っていない。
誰か一人を優先するなんて、できない。
それは不公平だから。
それは間違っているから。
だから――
⸻
なのに、どうして。
胸の奥のこのざらつきが、消えないの。
⸻
その夜。
わたしは、眠れなかった。
⸻
――そして。
この“たった一つの選択”が。
もっと大きな形で、わたしに返ってくることになる。




