第2話:正しさの形
シエラ・ノクシアという少女は。
どこまでも、静かな人だった。
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茶会が始まってからというもの、彼女はほとんど目立たなかった。
誰かと声高に笑うこともなければ、自分から話題の中心に入ることもない。
ただ、必要な時にだけ口を開く。
それだけで――
「さすが、ノクシア様ですわ」
そんな声が、あちこちから上がる。
(……何が、さすがよ)
グラスを手に取りながら、わたしは小さく眉をひそめた。
確かに、所作は綺麗だ。
言葉遣いも、立ち居振る舞いも、非の打ち所がない。
でも、それだけ。
それだけで、どうしてあんなふうに評価されるのか、分からない。
(わたしの方が、選ばれているのに)
胸の奥で、小さな違和感がくすぶる。
けれど、それに名前をつける前に。
「聖女様」
声をかけられ、顔を上げた。
若い貴族の令嬢たちが、少し緊張した面持ちで立っている。
「癒しの奇跡を、少しだけ見せていただけませんか?」
「ええ、構わないわ」
求められるままに、手を差し出す。
光が、ふわりと溢れる。
それだけで、周囲から小さな歓声が上がった。
「すごい……本物の聖女様……」
「なんて神々しいの……」
――ほら。
やっぱり、わたしは特別だ。
胸の奥の違和感が、すっと消えていく。
代わりに満ちるのは、心地よい優越感。
「これくらい、当然よ」
自然と、言葉も軽くなる。
その時だった。
「聖女様」
静かな声が、背後から届く。
振り返ると、そこにいたのは。
シエラ・ノクシア。
「……何かしら」
無意識に、声が少しだけ冷たくなる。
シエラは気にした様子もなく、淡々と続けた。
「その奇跡は、本来――必要な場で使われるべきものです」
「必要な場、って?」
「例えば、病や怪我で苦しんでいる者のために」
まるで、当たり前のことを確認するように。
静かに、そう言った。
……その言い方が。
ひどく、癇に障る。
「だから、今は使うべきじゃないって言いたいの?」
「無駄遣いは、避けるべきかと」
「無駄遣い?」
思わず、笑ってしまった。
「わたしの力が、無駄だって?」
「そうは申し上げておりません」
「同じことでしょう」
言葉が、少し強くなる。
周囲の視線が、こちらに集まり始めているのが分かる。
でも、止める気にはならなかった。
「求められて応える。それのどこが悪いの?」
「求めること自体が、間違っている場合もあります」
ぴたり、と。
空気が止まる。
その一言は、あまりにも静かで。
あまりにも、まっすぐだった。
(……何よ、それ)
まるで。
わたしが間違っている、と言われたみたいじゃない。
「あなたは――」
言い返そうとして。
言葉が、少しだけ詰まる。
シエラの瞳は、変わらず静かだった。
責めるでもなく、見下すでもなく。
ただ、事実を見ているだけのような視線。
それが――
どうしようもなく、気に入らなかった。
「……偉そうに」
ぽつり、と零れる。
「あなたに、何が分かるの?」
わたしは聖女だ。
選ばれた存在だ。
この力を使う資格があるのは、わたしだけだ。
なのに。
どうして、この人は。
そんな顔で、わたしを見るの。
「わたしは――」
言いかけて。
やめた。
代わりに、笑う。
「まあいいわ。あなたの価値観なんて、興味ないもの」
くるり、と背を向ける。
それ以上、会話を続ける気はなかった。
――はずなのに。
「聖女様」
再び、呼び止められる。
今度は、少しだけ強い声で。
思わず、足が止まった。
「……何?」
振り返らずに、問い返す。
ほんの一瞬の沈黙のあと。
シエラは、静かに言った。
「あなたの“善意”が、誰かを傷つけることもあります」
その言葉は。
やけに、はっきりと耳に残った。
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(……何、それ)
意味が分からない。
わたしは、ただ。
求められたから応えただけ。
喜ばれることをしただけ。
それの、どこが悪いの?
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「――気にする必要はありません」
いつの間にか隣に立っていたノクト殿下が、静かに言う。
視線は、わたしではなく、シエラの方へ向けられていた。
「聖女殿の判断に、誤りはない」
その一言で。
胸の奥のざらつきが、すっと消える。
(ほら、やっぱり)
正しいのは、わたしだ。
間違っているのは、あの人。
そう、思えた。
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だから、この時のわたしは。
少しも気づかなかった。
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あの言葉が。
忠告ではなく、“予告”だったことに。
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そして。
その“善意”が。
確かに誰かを傷つける、その瞬間が。
すぐそこまで来ていることにも。




