第五話 妻
翌朝も、トムはうるさかった。
「おい、起きろ」
いつものように蹴られ、いつものように悪態をつかれる。仲間たちの前でも、昨日までと何も変わらなかった。
メアリーは警戒していた。何かが漏れていないか。視線が変わっていないか。
何も変わらなかった。何日経っても、誰の態度も変わらなかった。
それが、メアリーには嬉しかった。
ただ、二人きりになると、ほんの少しだけ違った。
「メアリー」
トムがそう呼ぶ。
メアリーは振り返る。まだ、その名前で呼ばれることに慣れていなかった。呼ばれるたびに、体のどこかが落ち着かなくなった。
*
戦争が終わり、二人は軍を離れた。
結婚することを決めた日、メアリーは久しぶりに女物の服に袖を通した。
鏡を見た。
「やっと女に戻れた」とは思わなかった。むしろ、どこかがそぐわない感じがした。長く着ていたものを脱いだあとの、居心地の悪さに似ていた。
脱いだ男物は、畳んで木箱の底に入れた。捨てようとして、手が止まった。理由は分からなかった。
トムが入ってきた。
「変か?」
メアリーが聞いた。
トムがしばらくメアリーを見た。
「何が?」
「この服だ」
トムは肩をすくめた。
「服なんか見てなかった」
メアリーは少し笑った。
これまで、着ているものがメアリーの居場所を決めてきた。
男の服を着れば働けた。女の服では、それができなかった。
けれどこの男だけは、服を見ていない。
だからこの男の隣にいる間だけ、メアリーは男でも女でもなく、ただのメアリーでいられた。
第五話 完




