第四話 女
夜、焚火の脇でトムが喋っていた。故郷の話だった。畑の話、母親の話、戦争が終わったらやりたいことの話。
「お前は?」
トムが何気なく聞いた。
メアリーは答えられなかった。
戦争が終わった後のことを、考えたことがなかった。男としてここにいる限り、その先に続く人生がなかった。トムの隣にいることにも、続きがなかった。
「トム」
「ん?」
メアリーは長い間、何も言わなかった。トムも、珍しく黙って待った。
「話がある」
*
「俺の名前は、メアリーだ」
トムは焚火を見たまま、しばらく反応しなかった。
「メアリー?」
「ああ」
「……女の名前だろ」
メアリーはトムを見た。
「そうだ」
それだけだった。証明するものは何もなかった。服を脱ぐことも、涙を流すこともしなかった。ただ、名前をひとつ渡した。
トムは長く黙っていた。メアリーは、殴られるか、突き放されるか、通報されるか、いくつもの結末を頭の中で並べていた。
トムがようやく口を開いた。
「……じゃあ、今まで一緒に着替えてたのか」
メアリーは一瞬、意味が分からなかった。それから、腹の底から笑いがこみ上げてきた。声を上げて笑った。
こんなふうに笑ったのがいつ以来なのか、思い出せなかった。
秘密を渡した相手が、最初に気にしたのはそこだった。
これまでずっと、この名前は誰にも渡してはいけないものだと思っていた。渡した瞬間に人生が終わると思っていた。
けれど渡してみると、何も終わらなかった。
第四話 完




