基点の喪失
フェンディアナ軍は三七〇〇人になっていた。これにア・モランシー麾下の一〇〇〇が加わり、王都を目指して行軍している。
ダルボーズは、ア・モランシーと馬を並べた。
「レム伯は、なぜあそこで我々が北上すると思ったのです?」
「たまたま……。そう、偶然、ですね」
「偶然!?」
「軍勢の行動は、予測するのも捕捉するのも容易ではない。ある地点からある地点に向かう軍勢を、別の地点で知ることはできない。偵察によって軍勢の存在を知っても、その情報を得た時点で軍勢は既に移動している」
「……」
「目的地を予測したとして、離れていく軍勢に追い付くことはできない。歩兵に対して騎兵だけで追うなら別だが、双方に歩兵がいれば、余程の無理をしない限り距離は縮まらない」
「その通りですな」
ア・モランシーは前方を見たままフッと笑った。
「今回は、フェンディアナ軍とエルゲント軍の初期配置は分かっていました。フェンディアナ軍を消耗させるという、アゲノー伯の戦略も予想が付きます。アゲノー伯の戦略が精緻であるだけに、予測もしやすい。フェンディアナ軍が消耗するのを待つため、彼らは無理に追い付こうとしなかった」
「確かに、我々の行軍速度は低下していたが追い付かれなかった」
「そのため、我々は追い付くことができたというわけです」
「しかし、北上の頃合いを合わせることは……」
「フェンディアナのお導き――と言いたいところですが、残念ながら違います。補給を受けられないとしたら、行動限界点ができる。動くなら限界の手前、つまりあそこで行動を起こすだろうと読んだというわけです。王都を目指しているなら、北に動くでしょう?」
ダルボーズは、苦痛に耐えるような顔になって手綱を握り締めた。
「あのとき……北上すると言い出したのは乙女なのです」
「ほう……」
「私たちには、何の戦略も計算もなかった。できなかった。理解できない。……私は、恐ろしいのです」
「理屈を超えて、正しい判断をした、ということがですかな?」
「ええ。今回だけではない。ときどき、農民の小娘とは思えないことを口走る。だが、普段はただの、何も知らない少女なのです」
ア・モランシーは「ふむ」と言って顎をさすった。
「それは……危うい。それが本当だとすると、一度判断を誤っただけで聖女の神話は崩壊します。最悪だ」
「どうすれば……」
「周りの者が、論理的に補強しなければならない。そして、『成功した場合のみ』乙女の指示であったことにするのです」
「失敗した場合は?」
「誰かに責任を負わせるしかないでしょうな」
ア・モランシーは、端正だが頬がこけた顔をダルボーズに向けて、静かに笑った。
「脆弱な地盤に堅固な城は築けません。今にも崩れそうな城など、陛下は求めないでしょう。フェンディアナ軍の価値は、乙女の神話性のみに立脚している。それをお忘れなきように」
そう言って、ア・モランシーは再びほほ笑んだ。
そのとき、斥候が駆け戻ってきた。この先の王領地の街がエルゲント軍に攻撃されているという。
「ふむ、これは困りましたね」
ア・モランシーは首をかしげて顎をさすった。
「迂回することもできますが、国王軍の将としては王領地の危機は見過ごせない」
「エルゲント軍は王国の敵です。敵は討ち滅ぼさねばなりません!」
もらったばかりの甲冑を着たシュリエがいつの間にか横に居て、景気よく元気よく歯切れよく宣言した。
「エルゲント軍だからといって、反射的にかみついていたらキリがない。戦うべきか否かを考え……」
「エルゲント軍ならば戦うべき相手です。フェンディアナの地を汚す者たちです。何を迷う必要があるでしょうか」
横で聞いていたア・モランシーは、眉をひそめた。が、何も言わない。
「領主様、これはフェンディアナのための戦いなのです。『勝てるから戦う』『勝てないから戦わない』という問題ではないのです」
「兵法も何もないではないか。勝てない戦いを挑むなど下策中の下策。愚か者のすることだ」
「愚かか賢いかの話をしているのではありません。フェンディアナの望みをかなえることが重要なのです」
話が全くかみ合わない。ここまで話が通じない娘だったか?
ダルボーズは、目の前にいる少女に恐怖して冷や汗を流し始めた。
何かがおかしい。
何がおかしい? 聖女か? 自分か?
正しさの基準が分からない。何に立脚しているのか分からない。自分の立ち位置も目指すべき方向も分からない。
視界がぐにゃりと歪むのを感じて嘔吐しそうになる。
その様子を眺めていたア・モランシーは、「まずはエルゲント軍の様子を探らせましょう」と言って、斥候を走らせた。
結果、エルゲント軍の数は三〇〇〇程度。数の上ではこちらがやや優勢。このまま進めば敵の後背に出られるという。
「これならば勝てそうではありませんか。ダルボーズ卿も、兵法に立脚するならまず敵情を知らねば。さて、私は指揮する立場ではありませんので、口出しはここまでにしておきます」
「領主様! エルゲント軍を滅ぼしましょう!」
シュリエもレム伯も、なぜ戦いたがるのだ。
おかしいのは私の方なのか?
ダルボーズは、嘔吐感を抑えながら戦うことを決断した。
「分かった。フォリンたちに戦闘を準備させよう。乙女は、先に話した通り、戦場で勝手に飛び出さないように。できるね?」
「はい! がんばります!」




