王たちの政治
王都パスフィール。
リビュール宮殿謁見の間。
階の下に一人の男がひざまずいている。
アゲノー伯アインデ。
華麗な彫刻が施された玉座には、フェンエルス王フェルノフェシス五世。
フェルノフェシス五世は肘掛けに左手を置いて頬杖をつき、アインデを見下ろしている。
無言と静寂――。
静寂を破ったのはフェルノフェシス五世。
当然である。
臣下から話しかけることはできないのだから。
「久しいな、アゲノー伯」
「領地にかまけて出仕がかなわず、恐懼の極み。ひらにご容赦を」
「領地経営もままならぬか。臣下に過度の負担を強いていると思うと胸が痛む。領地を減らしてやれば少しは楽になるか? エベルー伯領は余が統治してやってもよいぞ?」
「ご叡慮かたじけなく存ずる。しかして、問題も片付きつつありますゆえ、ご懸念には及ばず」
フェルノフェシス五世の微笑を、アインデは伏し目で受け流す。
「早速ではあるが、王国は今、解決すべき事案があまたある。存じているか?」
「さて……王都から遠き田舎貴族にて、世情には疎く。陛下の宸襟を悩ましたることとはいかに。よろしければ臣にお打ち明けくだされ」
「武勇名高きアゲノー伯の力を得れば百人力よな。実はな、エルゲント王国とかいう離れ小島の蛮族が、王国の民を悩ませておる」
「ほう、それは由々しきこと」
「女神フェンディアナが嘉する聖なる地に、蛮族どもが跋扈しておる。この現状を、伯爵はどうみるか」
「まこと、許し難きことにて」
再び静寂が謁見の間を満たす。
重い、質量を伴った静けさ。
フェルノフェシス五世の視線は、氷の刃となってアインデの首筋に突き刺さる。アインデは、首筋に冷ややかな空気を感じつつ、顔を伏せたままわずかにほほ笑む。
「ふむ、余と伯爵の見解は一致した。喜ばしいことである」
「御意」
「で、だ。あの蛮族どもを撤退させよ、エルゲント王よ。伯爵の分際で王冠を手に入れて、舞い上がるは仕方あるまい。幼子が珍しきおもちゃを与えられてはしゃぎ喜ぶさまを見る思いよな。それは許そうぞ」
「まさに、過分なおもちゃを与えられて、持て余しておりまする。あの蛮族ども、私の命令を聞かず、勝手な振る舞いの数々。実に心苦しきしだい」
「ふむ。あの者どもは、エルゲント王の命を無視して我が王国に来寇していると申すか」
「しかり」
「それではエルゲント王を責めても詮なきことよの」
「ご寛恕、痛み入りまする」
「ではこうしよう。アゲノー伯に、エルゲント軍を称する蛮族の討伐を命じる。かの者どもをことごとく討ち果たせ」
「……勅命、しかと承りました」
アインデは音もなくおもむろに立ち上がると、一礼して謁見の間から退出した。
フェルノフェシス五世は、頬杖を突いたまま、右手で肘掛けをトンとたたいた。彼流の、気持ちを切り替える儀式である。
後ろから、弟のダルレアン公が近づいてきた。
「アゲノー伯……どう動きますかな、兄上」
「どう転んでも、損にはなるまい。エルゲント軍がうろつき続けるなら、王命に従わなかったという名分で領地を召し上げることもできる」
「で、召し上げるために必要な力が……」
「そういうことだ。聖女とやらと、お前の娘婿。使えるものは何でも使う」
「御意」
「アヴェーニョ公領の接収を急がせろ。そこが片付けば、バリュー公とリミョン伯の兵を北に回せる」
◆
「王都では何があるか分かりません。伯爵、十分にご注意を」
「フェルノフェシスが私に手を出せるはずがなかろう。私を殺せばどうなるか……ヤツが一番よく知っている」
アインデは、銀の杯にぶどう酒を満たしながら、フェルノフェシス五世の顔を思い浮かべて嘲笑した。
「あのような王命、よろしいのですか」
「是非もあるまい。受けなければ除封の手札を切ってくる」
「では、エルゲント軍を本当に討伐なさるので?」
「たわけたことを。あの王命で、アゲノー伯領の兵を動かしやすくなった。エルゲントの兵で王領地を攻めさせろ」
「それでは……」
「狂信者どもを追い回すのは後回しだ。エルゲント兵で王領地を荒らし、アゲノー兵で王領地を押さえる。討伐の名目でな」
「狂信者はどうなさいます」
「どうもせぬ。ヤツらはフェンエルス王国の守護神に従う。フェルノフェシスに従うわけではない。ならば、私がフェンエルス王になれば解決するではないか」
「おお……」
「海峡を挟んで大ケルディモン島と大陸に跨がる二つの王国を手に入れる。二つの王国は一つのエニシダの紋章の下に統一されるのだ」
◆
「フェルノフェシスが援軍要請だと?」
「はい、可能なだけ兵を送ってほしい、と」
フェンエルス王国の隣国、「帝国」。
帝国領最西端にあるワルヴァソン公国は、フェンエルス王国と接している。
ワルヴァソン公インゼルロフト四世の妻マルリーセネトは、王弟ダルレアン公の娘。つまり、フェルノフェシス五世の姪である。
「エルゲント王国につく、という手もありますが」
「弱い方を助ける方がありがたみが増すというものだ。戦争も長引くしな」
「では……」
「四〇〇〇送ってやれ」
「御意。少しは恩を売ることができましょう」
「フェルノフェシスは恩など感じぬさ」
「では意味がないではありませんか」
「兵を送らねば、恨まれる。恨みは後日の禍根になる。兵を送れば、取りあえずの口実はなくなる。まさか、『援軍を送ってくれたから攻める』などとは言うまい」
インゼルロフト四世は、西の方角を眺めながらフフンと笑った。
「しかし、潜在的な敵に弱みを見せるとは……」
「フェルノフェシスは、必要とあらばひざまずいて泣いて助けを求める男だ。最終的に勝つためなら何でもやる。だから厄介なのだ」
「公爵とは真逆の御仁ですな……」
「一言多いぞ、ナルナーソン」




