蠢動
わずか三五〇人弱で出発したフェンディアナ軍は、約一五〇〇人に達した。ダルボーズを中心に指揮系統の再構築などが行われ、さまざまな問題を抱えつつも軍勢の体を成してきた。
その宿営地が、緊張感で張り詰めている。
「何か、変な空気じゃない?」
「大貴族のラ・ジョーム伯の軍勢が迫っているのだそうだよ」
「まあ」
「人ごとみたいに言わない。シュリエはこれから、そのラ・ジョーム伯の拝謁を受けるんだから」
「は、伯爵様の拝謁!? 私が拝謁するのではなく?」
「上座にシュリエが座って、シュリエが拝謁されるんだ。これまでのような失敗はできないよ」
シャルールは、そう言いながら不安を拭えない。問題にはなっていないが、参陣した貴族の拝謁を受けるたびに、シュリエは噛んだり躓いたり、顔の覆いが取れそうになったりと、細かい失敗をしてシャルールの肝を冷やしてきた。
ダルボーズは何も言わないが、何度か顔色が変わった場面をシャルールは目撃している。
「伯爵は、三〇〇〇の軍勢を率いているという。ダルボーズ卿の十倍の兵力だ。発言力の均衡も変わってくるだろう。怒らせたら攻め滅ぼされるかもしれない。我々の二倍の軍勢なのだからね」
シャルールは、思わず自分の不安をシュリエにぶつけてしまった。案の定、シュリエは青ざめている。
シャルールの落ち度だ。
「いや、シュリエは今まで通りやればいい。落ち着いて、参陣に感謝してフェンディアナの言葉を伝えればいい」
「だけど、もし失敗したら……」
「失敗したときのことは考えなくていい。それは僕やダルボーズ卿の仕事だ」
そのとき、伝令がシュリエの登場を促した。
ラ・ジョーム伯は、既に来ている。
「深呼吸して。さ、行くよ」
「は、はい……。がんばります……」
◆
「勝利の乙女とかいう聖女殿はまだか」
「フェンディアナへの祈りの時間と重なってしまったようですな」
ダルボーズは、澄ました顔でラ・ジョーム伯をいなしている。
「全く、人に参陣を求めておいて待たせるとは無礼ではないか。私は三〇〇〇もの軍勢を提供するというのに」
「全くもって、心強い限り」
「ま、フェンディアナ軍とやらの差配は私に任せてもらおう。兵力的にも爵位的にも、異存はないと思うが」
「左様ですな」
「にしても、遅いな。まだか!」
苛立つラ・ジョーム伯に相づちを打ちながら、ダルボーズの眉間に皺がより始めた。
確かに、遅い。
「勝利の乙女のお成り!」
シュリエ登場を知らせる言葉を聞き、ダルボーズ、フォリン、アーデランらは脇に下がってひざまずいた。
ラ・ジョーム伯は「ふん」と言って、聖女の席の真向かいに立ちはだかった。ひざまずくつもりはない、という意思表示である。
シャルールに手を取られて、シュリエがやって来た。そして、音もなく聖女の席に腰を下ろす。
「遅い!」
ラ・ジョーム伯が口を開いて、まさに「遅い」と言おうとする直前に、シュリエの一喝が飛んだ。
ラ・ジョーム伯はもとより、ダルボーズとシャルールも仰天して硬直した。
「ラ・ジョーム伯、貴公にはかなり前から礼を尽くして参陣をお願いしたはずです。にもかかわらず、これほどの遅参。貴公にはフェンディアナのご加護は期待できませぬ。去ね!」
シュリエの激しい叱責が続く。
天幕の空気は重く沈み、室温が一気に下がったような錯覚を一同に与えた。
ダルボーズの額に冷や汗が浮かんでいる。
「な……何を……」
「まだおるのか。王をお助けする意思なき者は邪魔である。王にもラ・ジョーム伯は頼むに足りずと申し上げておく。貴公にもう用はない。去ね」
シュリエは打ってかわって静かに吐き捨てると、シャルールの方を向いて右手を差し出した。退出するという合図である。
重苦しい雰囲気に眩暈を覚えながら、シャルールはシュリエの右手をとって立ち上がらせた。
「お、お待ちください、聖女様!」
ラ・ジョーム伯がひざまずいてシュリエを呼び止める。
「ラ・ジョーム伯、何か」
「こたびの遅参、誠に申し訳なく! この落ち度は今後の働きで挽回させていただきたく存ずる! どうか、どうか機会をお与えください」
シュリエはシャルールに目で合図すると、再び着座した。
「伯爵の高名と手腕には大いに期待していただけに、こたびの遅参にはいたく失望しておりました。しかし、王のためにお働きいただけるとお聞きし、安堵致しました。伯爵のお力を王のために、ぜひお貸しください」
「期待に背かぬよう、微力を尽くす所存!」
「フェンディアナ軍は、王と王国をお助けするための組織。提供兵力の多寡は発言力とは関係ありません。まずは、差配の中心を担ってくれているダルボーズ卿の指示に従ってください。その後のお働きによって、序列はおのずと定まってまいりましょう」
「全て心得ましてございます」
シュリエはそっと頷くと、再びシャルールに合図して、音もなく退出した。
ダルボーズは、皆に悟られないように顔を伏せたまま、シュリエの後ろ姿を睨んでいた。
怒りではない。
驚きと、畏怖と、恐怖が滲んでいた。
聖女用の天幕に戻ると、シュリエは「ふわああああ」と言いながら顔の覆いを外した。
「緊張して心臓が飛び出しそうだった~」
シャルールは、蒼白の顔でシュリエを見つめた。
「シュリエ、あの話は誰に吹き込まれた? いつの間にあの筋書きを知らされたんだ?」
「えっ、あれは自分で考えたんだよ。考えた? 考えてないかも。あの場に行ったら、勝手に口が動いてた」
「な、何だって? あれを、自分で? そんな……馬鹿な」
シャルールは、目の前に居る十三歳の少女が本当にシュリエなのか、分からなくなった。得体の知れない何かが彼女に成りすましているのではないのか。
首をかしげて笑う少女の視線で、シャルールは自分の膝が震えていることに気付いた。
◆
「勝利の乙女、か」
「陛下のお耳にも届きましたか」
「市井の噂を注進してくる者は後を絶たんからな」
フェンエルス王フェルノフェシス五世は、磨いていた剣を鞘に収めて棚に置いた。
「兵を糾合しているようだが……。さて、使えるかどうか」
「何か、手を打ちますか」
「そうだな。ア・モランシーを差し向けろ。その聖女とやらに協力するように」
「御意。では早速……」
有名なエピソードをベースにしたお話でした。
今後も、有名な人物やエピを意図的に分かりやすく使っていくので、「あれが元ネタだな」などと思いながらお読みいただければと思います。




