正義の戦い
「無用な戦いは避けるべきである」
「救援要請を無視しては大義にもとる」
「敵はエルゲント。戦うべし」
「ブーザンは遠く、大回りになる」
「ブーザンからパスフィールに向かうと、アゲノー伯領を通ることになる」
「アゲノー伯領を迂回すればよいではないか」
「パスフィールに着くのはいつになることやら!」
「貴公、嘲笑するか! 外に出よ!」
「勝利の乙女のご前である! お二方、着席なさいませ」
本陣の天幕で、フェンディアナ軍に参集した諸侯、領主が激論を交わしていた。
王都パスフィールに向かっていたフェンディアナ軍に、ブーザンという街を領内に有する貴族から救援要請があった。「エルゲント軍に占領されているブーザンを解放してほしい」というのである。
「ブーザンは人口八百人程度の小さな街だというではないか。そのような街のためにアゲノー伯を刺激するのは得策ではない」
救援反対派のラ・ジョーム伯は、救援肯定派を「安易な冒険主義」と断じて非難する。
「ラ・ジョーム伯の主張はもっともなれど、フェンディアナ軍とは何か、を問われているのではありますまいか」
アーデランは、一貫して救援すべしと主張している。
どちらにも理があり、議論で決着するとは思えない状態になっていた。
「ここは多数決でお決めになっては?」
「ダメだ。今そんなことをすれば、フェンディアナ軍は割れる」
ダルボーズは、シャルールの耳打ちを即座に却下した。
兵力こそが価値なのだ。
苦労してまとめ上げた軍勢を割るわけにはいかない。
そして、ダルボーズとしては旗色を曖昧にしておきたかった。
ブーザンを救援するか無視するか、はもちろん――。
エルゲント王と敵対するか否か、も。
ブーザンを助けるということは、エルゲント王に敵対することを意味する。
「まだ、早い」
ダルボーズが思わず口から漏らした言葉を、シャルールは聞き逃さなかった。
ダルボーズは、場の空気を読みつつ、腹を決めた。
いざというときは、シュリエに「王都直行」と言わせればよい。彼女は王に会うことを目標にしているのだから。
軍議は膠着状態に陥った――。
ここが潮時かと、ダルボーズがシャルールに耳打ちしようとしたその時……。
「エルゲント軍を滅ぼし、ブーザンを解放します。進軍の準備を」
シュリエが静かに、しかし断固たる口調で宣言した。
「『王国を救いなさい』。女神フェンディアナはそうおっしゃいました。王国の街を不当に占領するエルゲント軍は滅ぼさねばなりません」
「王都への到着は予定よりも大幅に遅延致す。それでもよろしいので?」
ダルボーズが冷静に問いかける。表情を消しており、彼がいま何を考えているのか、シャルールには読めなかった。
「王都に行きたいという私の希望を実現するため、皆が尽力してくれていることは理解しています。しかし、助けを求める者の手を振り払うことはできません」
「お覚悟ができているのでしたら、申し上げることはありません」
ダルボーズはシュリエに目礼すると、貴族たちに向き直った。
「乙女の意向は下された。異議ある者はありやなしや!」
異議を唱える者はいない。
出席者たちはシュリエに向かって姿勢を正し、一礼すると解散した。
シュリエの手を取って退出しかけたシャルールを、ダルボーズが呼びとめた。シャルールはシュリエ付の侍女に後を任せて、天幕に残った。
「ラ・ジョーム伯のときにも確認したが、彼女に本当に何も吹き込んでいないのだな?」
ダルボーズの顔がやや紅潮している。
「もちろんです。『何も言わずに座っていろ』としか」
「あれが十三歳の農民の娘から出た言葉だと言うのか。どこであのような見識を身に付けたのだ」
「シュリエは本当に、ただの無学な娘でした。自分の村の領主の名すら知りませんでした。彼女の世界はラ・ペ村だけだったのです」
「だとしたら異常だ。何だあれは。あれでは、本当に女神が……いや、私は何を言っているんだ」
シャルールは、なぜか人ごとのようにダルボーズを眺めていた。
ダルボーズが取り乱している。
シュリエもダルボーズも、みんなおかしくなってしまった。
混乱するダルボーズを見ていると、奇妙な優越感が沸き起こってきた。現実感が喪失し、神の恩寵に包まれているように感じる。ダルボーズを、別の世界から眺めているような気がする。
「私たちは、怪物を生み出してしまったのではないか?」
ダルボーズのこの言葉で、シャルールは現実に引き戻された。
その瞬間、床が抜けて地底に落とされるような恐怖を覚えて膝から崩れ落ちた。
◆
フェンディアナ軍の軍議の四日後。
フェンエルス王国の某所――。
「あの連中がブーザンに向かった?」
「御意」
「ブーザンに居るのは……」
「レーベシャー伯かと」
「レーベシャー伯に使いを出せ。あの狂信者どもを皆殺しにしたら、どこぞの公爵領をくれてやる」
「気前がよろしいことで」
「狂信者を根絶やしにできるなら、惜しくはない」
不意に苛立ちを覚えて、その男――アゲノー伯アインデ、またの名をエルゲント王ヘインデトは手にしていた銀の杯を床にたたきつけた。
「まともな人間なら、損得勘定ができる。利害を擦り合わせて交渉したり妥協したりできる。だが狂信者はだめだ。神の名の下に何でも許されると思っている。妥協もしない」
十年前――。
アインデは、フェンエルス王国の南に広がる海の、ある島を継承した。その島は、唯一の創造神を崇める一神教の信徒によって占拠されていた。
「人の数より神の方が多い」とまで言われる多神教の帝国。女神フェンディアナと邪神ヴォールの二元論が主要な信仰であるフェンエルス王国は、神を絶対視する傾向が弱い。
対して南方の部族から興ったとされる一神教は神を絶対視し、信仰を中心に社会を作り替えた。
島に渡ったアインデは当初、交渉によって信仰と統治の妥協点を探ろうとした。宗教に寛容というよりも無関心なアインデにとって、領民としての義務さえ果たせば信徒たちが何を信仰しようが知ったことではなかった。
だが、彼らは「島で産するものは全て神に捧げられなければならない」と主張して、貢納を一切拒否した。神の名の下に激しく抵抗し、流血での解決に発展した。
彼らは、追い詰められても降伏しない。逃げたと思ったら、どこからともなく襲撃してくる。
殺すしかなかった。
島の至る所に人の手足や臓物が散乱し、島中が赤く染まった。
血の生臭さと、腐敗臭。
片腕を切り落とされた信徒が、自分の血で足を滑らせながら笑みを浮かべて剣を振り回す。一人の一神教徒を殺すために何人もの兵が犠牲になった。
わずか五百人の一神教徒を皆殺しにするために、アインデは八百人の兵を失った。最後の一人になっても抵抗する一神教徒を殺したとき、生き残っていた兵の多くが発狂した。
正常な人間は、狂信者との戦いに耐えられない。
思い出しただけでも胃の内容物が逆流してくる。
「伯爵はこれからどうなさいますか」
「私は王都に行ってくる。フェンエルス王が、改めて臣下の礼を取れと言ってきた」
「エルゲント王に対して無礼な……」
「構わん。フェンエルス王の臣下、アゲノー伯としてひざまずいて見せるだけのこと」
「暗殺にはくれぐれもお気をつけを」
「フェルノフェシスが私を害することなどできぬさ。もしそんなことをすればどうなるか……ヤツはよく知っている」
――問題は狂信者どもだけだ。狂人を放っておいたら……。
アインデは、ブーザンに向かっている狂信者たちを滅ぼすための素晴らしい大義名分を思いついて笑いが込み上げた。
「これは正義の戦いだ。フェンエルス王国を、狂信者から守るのだ」




