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潮待ちの駅、最後の夏  作者: ぴよ団長
帰ってきた海

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黒い駅長

“駅長”。


その言葉が響いた瞬間、ホームの空気が変わった。


温度が、一気に下がる。


吐く息が白い。


黒い列車の奥に立つ巨大な影は、ゆっくりこちらを見下ろしていた。


顔はない。


目も鼻もない。


ただ、闇そのものみたいな輪郭だけ。


なのに確かに、“見られている”感覚があった。


僕の背中を冷汗が流れる。


陽菜が震える声で呟いた。


「……誰」


紗江が前へ出る。


その身体は半透明で、今にも消えそうだった。


「遼くん、絶対ホームから出て」


「でも!」


「早く!」


黒い影が、一歩踏み出した。


ゴォン——。


ホーム全体が揺れる。


街灯が一斉に消えた。


闇。


次の瞬間、列車の窓だけがぼんやり光る。


そこには無数の顔が映っていた。


泣いている顔。


怒っている顔。


絶望している顔。


全部、“戻れなかった人間”たちだ。


駅長が、ゆっくり口を開く。


いや。


口なんてない。


でも声だけが直接頭へ響いてきた。


——待つ者は、終わった。


頭痛が走る。


僕は思わず耳を押さえた。


——ならば、残るのは後悔だけ。


ホームの床から黒い水が広がる。


海水だった。


腐った潮の匂い。


その水に触れた瞬間、陽菜が苦しそうに呻く。


「……っ」


「陽菜!?」


彼女の瞳が黒く濁り始める。


まずい。


このままだと完全に引き込まれる。


紗江が叫ぶ。


「列車から離して!」


僕は陽菜を抱えるように引き寄せた。


その瞬間。


駅長の影が、こちらを向く。


ぞっとするほど冷たい感覚。


——お前も、戻れなかった者だ。


僕の身体が固まる。


脳裏に、東京の景色が流れ込んできた。


薄暗いオフィス。


終電。


コンビニ飯。


鳴り続けるスマホ。


祖母からの着信を、無視した夜。


『今度帰る』


そう言って帰らなかった日々。


胸が締めつけられる。


——故郷を捨てた。


違う。


——約束を忘れた。


違う。


——お前は、帰れなかった。


頭の中で声が反響する。


苦しい。


まるで後悔そのものに喉を掴まれているみたいだった。


そのとき。


パシン!


頬に衝撃が走った。


僕ははっと顔を上げる。


陽菜だった。


涙目でこちらを睨んでいる。


「しっかりしてください!」


その声で、意識が戻る。


駅長の声が少し遠のいた。


陽菜は震えながら僕の腕を掴む。


「分かんないけど……あれ、ヤバいです」


僕は苦笑しそうになった。


ずいぶん雑な説明だ。


でも、その通りだった。


紗江がこちらを見る。


「遼くん!」


彼女の身体は、さらに透けている。


長くは保たない。


僕は歯を食いしばった。


「どうすればいい!」


紗江は一瞬迷い、それから言った。


「“待ってる人”を思い出して!」


「え?」


「後悔じゃなくて!」


駅長が動く。


黒い水がホームを覆う。


その中から無数の手が伸びてきた。


助けを求める手。


縋る手。


引き込もうとする手。


僕は陽菜を庇うように後退した。


待ってる人。


頭の中へ、いくつもの顔が浮かぶ。


祖母。


紗江。


店に来る老人たち。


港。


夏祭り。


瀬戸内の海。


《潮待ち》。


ここで過ごした時間。


僕はもう、“帰れない人間”じゃない。


この町で生きると決めた。


その瞬間。


ポケットの中が熱くなった。


僕は驚いて手を入れる。


出てきたのは、あのラムネ瓶のビー玉だった。


青く、淡く光っている。


紗江が目を見開く。


「それ……!」


ビー玉の光が広がる。


柔らかい青い光。


まるで夏の海みたいな色。


黒い水が後退する。


駅長の影が、初めて揺らいだ。


——それは、終わったはずだ。


低い声が響く。


僕はビー玉を握りしめた。


温かかった。


紗江の笑顔を思い出す。


『この町、嫌いにならんでね』


胸の奥で、何かが繋がる。


僕は駅長を睨んだ。


「終わってない」


影が揺れる。


僕は一歩前へ出た。


「待ってる人がいる限り、終わるわけないだろ」


その瞬間。


ビー玉の光が、一気に弾けた。


青い光がホームを包み込む。


風が吹く。


祭囃子が聞こえる。


夏の夜の匂い。


黒い水が蒸発していく。


列車の窓の中で、苦しそうだった顔たちが、少しだけ穏やかになる。


駅長が低く唸った。


そして。


初めて後退した。


紗江が呆然と呟く。


「……そんな」


だが次の瞬間。


駅長の影の奥で、さらに巨大な“何か”が動いた。


ゴゴゴ……。


黒い列車そのものが軋み始める。


車掌のいない運転席に、赤い灯りが点る。


陽菜が青ざめる。


「店長……」


僕も理解した。


まだ終わっていない。


むしろ。


本当にヤバいものが、今から出てくる。


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