第1話:『間違わない。』(6)
「……なあ、まじでどうすんだよ兄貴。
こいつぜんっぜん知らねえ女だぞ。
なのにうっかり矢を当てちまったじゃ済まされねえぞ?」
それまでファッジのうしろで口を噤んでいた筋肉質な少年――ギンネが、何かに怯えるような素振りで兄貴分に訴え出た。
猟犬使いのファッジ、弓使いの小さなネズとレイニ、そしてこのギンネは力持ちだがこれでも治癒術士だ。
彼ら四名は、この〈迷宮〉を渡り歩き、依頼仕事をこなす探索隊の隊員だった。
それも、〈迷宮〉ではありふれた探索隊とは事情が違っていた。
彼らは皆、いわゆる少年奴隷だった。
隊に自由を買われ、隊の利益のために危険で汚い仕事をこなし、死と隣り合わせの〈迷宮〉で生をすり減らし続けて、やがて使いつぶされるだけの子どもたち。
だから彼ら四人には平等に、奴隷の証である首輪がはめられている。主人が命じれば死をもたらす、原始的な呪詛がこめられたものだ。
「うっかりなわけあるかよ。ガキどもに当てさせたに決まってんだろ。
だいたい人狩り用の麻痺毒だ、うっかり死ぬこたあねえ。
……にしてもよ、こんなとこで女ひとりなんてツキがいいぜ」
ファッジは喉の奥でくくっ、と下卑た音を鳴らし、うずくまったまま痙攣するアサヒの細い肩を踏みつける。
「言ったとおりだろギンネ、ユピすけみてえな足手まといは置いてきて正解だってな?
だいたいよ、あいつぁ女のくせに薄気味わりいんだよ。オレのツキまで落ちちまう」
まだ他に仲間がいることの示唆。
そしてアサヒの背嚢を無理やりに引っ剥がすと、ギンネに投げて寄越した。
「わかったらてめえはそいつの中身でも漁ってろ。価値ありそうなのだけオレに寄越せよ」
ファッジはアサヒを足蹴にして転がし、力尽くで仰向けにさせた。
「ちっ……重てえんだよクソが! 女のくせになに食ったらこんなうすらデカくなんだ」
ギンネは兄貴分の言いつけを守る素振りをしながら、横目でアサヒの様子を眺め見る。
毒が回ったのか、アサヒは朦朧とした瞳で天を仰いだまま。不規則に上下する胸だけが、まだ生きていることを訴えている。
頬や衣服が土と草花で汚れてしまっているが、体つきや目鼻立ちからしてファッジと同じ種族――つまり凡種だろうか。
整った顔立ちに傷一つない肌。ファッジが毒づいたとおり、凡種の女にしても奇妙に背が高くて肉付きもいい。衣服にしても渡された背嚢にしてもずいぶんと奇妙なものだったが、使われている素材と製法は明らかに一級品だ。
ギンネは一見して理解していた。この〈迷宮〉でこれほどの娘が暮らせる場所などそう多くない、と。
ただ、そんなことよりも、だ。
ギンネは手にしていた鉄杖を力いっぱい地面に突き立てると、勇気を振り絞ってファッジにこう訴えかけた。
「兄貴……やっぱやめようぜ。こいつはぜったいよくないことだ」
ファッジがためらいなくアサヒのブラウス――その胸元に手をかけた途端のことだった。
「……ああ? なんだギンネ、お遊びの邪魔すんじゃねえ。
まだそんなガキみてえなこと抜かしてんのか」
調べるよう命じた背嚢も手付かずだったギンネを、あからさまに不機嫌な目で睨み上げるファッジ。
苛立ちをぶつけるようにブラウスのボタンを引きちぎると、アサヒには目もくれず立ち上がり、背の低い弟分を見下して続ける。
「わかんだろが。
こんな〈迷宮〉の僻地によ、武器すら持ってねえ女がたったひとりでうろついてるわけあるかよ。
ならこの女はとっくに死んでたってこった。
てきとうに楽しんだあとで谷底にでも捨てちまえばぜんぶ丸くおさまんだ。オレもお前も女なんて見なかった」
だが兄貴分の吐いた恐ろしい言葉すら耳に届かず、ギンネはずっと恐ろしい、ある予感に耐えきれなくなって遂にぶちまけてしまう。
「だからおれ見ちまったんだって!
兄貴たちと合流するまであの〝白いの〟を見張ってたのはおれだろ。
この先の礼拝堂なんて行き止まりなのによ、
おれがまばたきした途端、〝白いの〟の前にこのひと立っててさ。
このひと、ほんとに突然目の前にあらわれたとしかとしか思えねえんだ」
一気にまくし立てたギンネは、いったん言葉を句切るためにごくり、と喉を鳴らしてしまう。
「そいつはてめえの見間違えだって言ったはずだ。このオレに二度も言わせんのか」
「でもおれ、思いだしちまったんだよ。
出発前に隊長が依頼主と話してたの、兄貴だって聞いてただろ。
あの白い獲物の名前、たしかに〈天使〉とか言ってた。なら――」
立場の低い自分が兄貴分に逆らうのは命がけだったけれど、それでもギンネはたとえようのない不安に背を押され、アサヒを庇うように立ちふさがっていた。
「――このひと、もしかしたらよ……あの言い伝えの〈聖女〉さまじゃねえのか?
だったら尚更こんなまねだめだ。
罰当たりだ。ぜってえろくな目にあわねえ。おれはいやだ」
――伝承の〈聖女〉。
それは彼ら探索士に限らず、この過酷な〈迷宮〉の片隅に生きる人間たちにとって、唯一の希望たる存在だった。
いわく〈聖女〉とは、我ら民を〈迷宮〉から〝光在る世界〟へと導いてくれる救い主だと。
光なき世界たるこの〈迷宮〉において、〈聖女〉とは人々の心を支える礎。
永劫の暗闇を照らす唯一の灯火。
転じて、言わば信仰対象とも呼べる人物だったのだ。
「………………は、こんなのが〈聖女〉だと?」
だが、ファッジは生意気を言ったギンネに暴力で答えた。
剣の鞘で頬を殴り付けたのだ。
兄貴分より逞しい体格でも耐えきれず、ギンネは鈍い呻き声を上げると、よろめいて倒れてしまう。
「いいかギンネ、てめえのような学もねえ半ドワーフに教えてやる。
〈修道院〉のクソ坊主どもがわめいてやがる言い伝えってのはな、
天の使いだかなんだかの死体のなかから女が出てきた。
そいつが〈聖女〉だ。そういう坊主好みの、ただの古くせえおとぎ話だ。
――そのおとぎ話がオレ達を一度でも救ってくれたことあったか?」
鼻血を流しながらまだ邪魔立てしようとするギンネをどけたファッジは、
「だいたい考えりゃわかんだろがド間抜け。
天使ってのがそこでまだピンピンしてやがんのに、なんで〈聖女〉がいんだよ。
それにこの女を見ろ。どっから見てもそんなありがてえタマじゃねえ。
せいぜい〈修道院〉の小間使いていどなツラ構えだ。
まあオレはこいつがマジモンの〈聖女〉だろうといただいちまうけどよ――」
「――――……ぅぐ………………ぁ……ゃ、め……ろ…………――――」
意識朦朧のまま辛うじて声を絞り出したアサヒに、興が乗った笑みを浮かべ、鞘先でその胸元を押し広げるファッジ。
だが、はだけたブラウスの奥で胸元を覆っていたのは、彼女の肌に似た色で染め上げられた、平らで分厚い布の塊だった。
大がかりな刺繍とフリルで飾り付けされていて、ファッジを余計に混乱させる。
「……あ? どうなってんだこいつの胸ぁ……?」
それは胸の起伏が出ないようにするための下着で、彼らに理解できる言葉ならコルセットとでも呼ぶべき代物だった。しょせんは奴隷にすぎないファッジには見たことすらないものだったが。
とは言えそれの外し方もわからぬファッジを苛立たせてしまい、遂には鞘から剣を抜き放ってしまう。
「ああっ、しちめんどくせえ。布っきれごと切っちまうか。
おいギンネ、女が暴れねえよう抑えつけとけ――」
「――いや、兄貴っ――――?!」
赤く腫らせた顔を青ざめさせたギンネが、何か叫んだのをそのときファッジは聞いた。
ぽかんとしたファッジの頭に、それが青白い手のひらを付いていた。
同じ青白い光を帯びたマント――否、不揃いな三枚の翅を大きく広げて、まるで宙から舞い降りたかのごとく、ファッジの頭頂部で倒立していたのは――あの白い少女だ。
彼らの探索隊が依頼をうけ〈迷宮〉で追い立てていた、〝獲物〟だとか〝白いの〟と口にしていた未知の存在――つまりは天使。
ファッジの喉が「…………んぁ?」と抜けた声を漏らした。
それがファッジの人生最期の言葉となった。
天使が触れた彼の頭部が、瞬時に凍結したかのように真っ白に変化して。
直後、まるで角砂糖でも踏み潰したみたいに粉々に砕け、からん――と音を立てて奴隷の首輪が転がった。
そして頭から胸部、腹部、脚部へと順繰りに崩れ、全身が砕け散ってしまう。
先ほどまでファッジが立ちつくしていた場所には、かつて彼そのものだった白い結晶が山をなしていた。
主を失った胸当や衣服が埋まり、最後に抜き身の剣がごとんと倒れて結晶を飛び散らせた。
「えっ……あ……あに……き…………??」
間近で白い結晶を浴びたギンネは瞬きすら忘れ、つい先ほどまで兄貴分だった白い山をただ凝視していた。
いま目の前で起こった現象と、頭で理解できる意味との間に、埋めようのない断絶があった。
「しょっ、ぺえ……これ……塩…………――――――ひぇ……し、しぉ……塩ッ!?」
唇に付いた結晶の味を言葉にした途端、刃で背後から貫かれたかと思うほどの恐怖がギンネの心臓に突きつけられた。
まるで重さなんてないみたいに、ゆらりと地に降り立つ天使。
ガクガクと震えだしたギンネは腰を抜かし、情けない悲鳴を上げ、それでも這いずるように後ずさりしはじめる。
天使はそんなギンネを――どこか悲しげに一瞥すると、彼の前に銀色の輪っかをふたつ放り投げた。
「あの小さきものたちも塩に還した。ミナが触れたものはすべてそうなる」
ころんと音を立てて転がり、ファッジの剣に当たって倒れる。ギンネの首にはめられているのと同じ、奴隷の首輪だ。
「ヒトの子よ。このまま立ち去らねば、なんじも塩に還すまで」
この場に届くどんな音よりも美しく澄み渡った声で、恐るべき宣告を天使が下す。
この〈迷宮〉という場所において、塩とはもう一つの特別な意味を持っていた。
「ひぇ……ぇっ……ぇぇっ…………――――――?!」
それを理解していたギンネは、もはや悲鳴とすら呼べない声で呻く。
立ち上がることもままならず、草を掴む勢いで這いずりながら逃げ去っていった。




