第2話:『ダンジョンクローラー』(9)
「――……なあ。
おまえ、結局獲物を捕まえる秘策とかあんのかよ。
おれにゃどんだけ知恵を絞ってもぜんっぜん浮かんでこねえぞ……隊長はああ言ってたけどよ」
ギンネは荷馬車の荷台で揺られながらも策がまとまらず、鬱陶しいくらいにもたれかかってくるユーペフタ相手に泣き言を並べた。
「網をおっ被せるか、縄で縛るか、棒で突くか……ああ、ったく!
あいつに指一本でも触られてみろ、こっちは塩になっちまうんだぞ。
おまえわかってんのか、塩だぞ?
人間が塩になるってのはな、魂が消えて無くなったって意味なんだぞ?
そうなっちまったやつはもう二度と復活できねえ。
そんじょそこらの魔物を捕まえんのとはわけが違うだろ……おれごときにどうしろってんだよ。
おれの治癒術なんかじゃ、せいぜい傷を塞ぐ程度だしよ。
……なあ。おまえのあのヘンテコ術なら、塩になった人間でも治せんのかよ」
こちらの問いかけが聞こえているのかいないのか、この不可思議な少女は過ぎ去っていく隧道の景色をただぼうっと眺めているだけ。
〈魔女の抜け殻〉から反応を期待していたわけではない。だからこれはただの愚痴だ。
つばあり帽子を脱いだ彼女の横顔は、隊長に殴られた傷跡こそ痛々しかったが、それ以外はそこいらの〈修道院〉で見かける凡種の娘とそう変わりはないあどけなさだった。
ただ装束と人当たりが風変わりなだけで、過酷な探索士稼業とは縁遠い娘だ――
――そう侮っていたのに、ギンネは何の因果か彼女と二人だけで命がけの仕事をするはめになった。
探索隊〈荷馬車引き〉のダミロワ隊長から、直々に命が下された。
〈塔〉から逃げ出したという白い忌種〈天使〉を捕獲し、生かしたまま持ち帰れ。ユーペフタの奇天烈な術を利用して、獲物を出し抜いてみせろ。
だからこそこうして、荷台に檻まで積んできた。
と言っても調達できたのは小型の魔物を捕獲するための檻だから、入れてせいぜい子どもひとりだが。
「まだだんまりなのかよ。ちっとはおれに慣れてくれたかと思ってたのによ。
なんで返事ひとつできねえんだよ。魔法の言葉ならあんなすらすら言えんのに……。
……まさか、おれがその傷を治しきれなかったからムカついてんのか?」
ユーペフタが暑苦しいくらいに身を委ねてきているのは、信頼関係というよりは子どもじみた無言の訴えだと受け止めていた。
隊長に殴られた彼女の傷は、ギンネの治癒術である程度なら回復している。
ただ、まだ傷跡が痛んで喋りづらいせいだろうかとか、口を聞いてくれないのは下手くそな治癒術が気に入らないからではとか――そういう邪念が喉元から出かけては、悪い癖だと腹の奥に押し込める。
御者台の男が隊の目付役なのを思い出して、咄嗟に声を潜める。
(おまえの魔法で何ができんのかくらい教えてくれよ。
作戦の立てようがねえだろ。
おれは……今さらいいけどよ、今回はおまえの命がかかってんだぞ?)
ギンネは数奇な事件を経て奴隷身分から解放されたが、片やユピ自身は変わらず〝首輪付き〟のまま。
目付役に「隊の負債」と見なされようものなら、次に首が飛ぶのは彼女かもしれなかった。
自分たちを移送する荷馬車の車輪には、聖隷を宿した宝珠が填められている。
聖隷の加護を得て疾走する荷馬車は、かつて馬で引いていたころのような幌すらない、床と骨組みだけの簡素な作りのものだ。
そう、聖隷――つまり万物に奇跡をもたらすかの存在との共存なしに、ひとは〈迷宮〉では生きられない。
〈修道院〉の育児院育ちであるギンネ自身、人並みには聖隷を信仰してきたつもりだ。
なのにこの娘は、死者の蘇生――つまり聖隷をもってしても不可能な奇跡を、難なく起こしてみせた。
果たして〈魔女〉とは何もので、どうして〈抜け殻〉呼ばわりをされているのか。
ユピの魔法が童話に登場する空想よりも恐ろしいものなら、きっと院の聖職者連中に目を付けられるだろう。
そんないわく付きを、ダミロワ隊長は一体どこから、どうやって、なんのつもりで連れて来たのか。
ギンネには何一つわからなかった。
何故ならユピ自身が何一つ答えなかったし、あの隊長を問い詰める度胸もなかったのだから。
§ § §
そうして荷台で揺られながら、一眠りして何度か目覚めた頃合いのこと。
「――起きて」
突然揺さぶられて、いつの間にか誰かの腿を枕代わりにしていたことに気づいた途端、ギンネは慌てて飛び起きた。
「んぁ…………ユピ、おまえ!
な、なんでおまえがおれを寝かしつけてんだよっ!」
よだれを拭いて羞恥心を取り繕う。
頬に残る温もりに情欲が揺らいだのも一瞬のことで、「股から生えた牙がどうの」という隊長の言葉がよみがえり、全身が総毛立ってしまう。
いつもならこっちに無防備を晒す側だった彼女の、表情の読めない顔を睨みつける。
ギンネはそこで、いくつかの違和感に気づいた。
うまく言葉にできないが、こちらをぼうっと見すえるユーペフタの様子が、どことなくおかしい気がした。
だいたい、常に外敵を警戒すべき〈迷宮〉のさなかなのに、他人の体温すら気づけないほど深い眠りに落ちてしまっただなんて。
何より荷馬車の様子もおかしかった。
隧道のど真ん中なのに、何のつもりなのか車輪が回転を止めている。
「おい、どうなっちまってる?
魔物の襲撃じゃねえよな。くそっ……まだ頭がくらくらしやがる……」
それに御者台の目付役まで見事に眠りこけていて、その先に広がっていた景色は――。
「目的地だよ、ギンネ」
ここいらの探索士達が〈竜の裂け目〉などと呼称してきた、〈迷宮〉の長大な断層地帯にいつの間にかたどり着いていた。
罪を犯した者、社会を追われた者は、たいてい〈竜の裂け目〉を目指す。
魔物の脅威以上に、この先は未踏領域そのものであることから、裂け目越えは自殺行為だ。
けれどもあの断層を越えた先には、彼らがもう追われなくていい安住の地があるに違いない。
だからこそ、逃亡を続けた〈天使〉が行き着くであろうここを目的地としたわけだったが。
「いや、そりゃあ目的地は〈竜の裂け目〉だけどよ。
つうか、なんで仕切ってんのがユピなんだよ。
喋れんなら、そろそろおまえの作戦を聞かせろっての。
あの裂け目がどんだけだだっ広いのか、見てわかんだろ。
ここから例の白いやつを見つけださなきゃなんだぞ」
目付役を起こしたら機嫌を損ねやしないかと、おっかなびっくり御者台をのぞき込む。
まさか魔物にやられたとかでおっ死んでないよなと最初は身がまえたものの、漏れでた高いびきに肩透かしを食らった。
男の指に填められた、例の血のような真紅の指輪。
今こいつさえ奪ってしまえれば、ユピのやつの首が飛ぶ可能性はなくなる。
いや、そんなの間抜けがすることだ。
たとえ指輪をそこの裂け目から投げ捨てたとしても、万が一指輪が壊れてしまったら――
――想像するだけで身震いした。最悪、指輪と契約した奴隷達全員の首が飛ぶからだ。
だから「おめえら奴隷どもは俺に価値を示せ」と。
よみがえるダミロワ隊長の言葉に、思わずユーペフタの方を振り返って。
「――〝等価置換/五本〟――…………んべぇ……」
と、珍妙な呻き声を発したかと思えば、突然ユーペフタが口から歪な塊を吐きだして。
金属音を立てて転がったそいつは、
「おま――それ、首輪じゃねえかっ!」
気づけば彼女の首根にあった首輪が見当たらなくて、唱えた呪文の意味を思い出してギンネは仰天する。
「じ、自分で外せたのかよ!
おまえ、あいつが起きちまったら大ごとどころじゃすまねえ――」
御者台の男に目配せする。
「あたしの魔法で寝かしつけたから、しばらくスヤスヤだよ。
ふふ……ギンネの寝顔おもしろかった。いい気分」
ギンネはようやく違和感の正体に気づいた。
こいつ、こんなにしゃべる女だったか?
こんな微笑みを浮かべて、思わせぶりに見つめてくる女だったか?
「ユピのくせに、勝手に見てんじゃねえよ。
だ、だいたい五本とか十本とか、一体なんなんだよ。
おまえの魔法ってのは、何を何に置き換えてんだよ」
「ひひひ……今回はあたしの毛。
あたしのカラダにはキミ達にはない価値があるのさ。
だから、さっきのは髪の毛五本分の価値を差し出した魔法。
キミの死を遡ったときはねえ――あたしの十本分。まあこっちは下の毛だったけれど」
「下の……って、はあ――――?!」
とても頭の整理が付きそうにない。
ただただ絶句するしかなくて、だからユーペフタに突然手を引かれてしまって、いざなわれるように車外まで連れ出されても、まるで抵抗できなくて。
そう、魔女だ。
古い童話に登場する魔法使いの魔女は、悪い魔女。
子どもの頃の思い出が今さら脳裏をよぎり、恐怖心から誘惑の手を引き剥がす。
「ユピ……おまえ、これまでずっと馬鹿で間抜けな振りしてたのか?
おれ達をずっと欺いてきたのか?
こういう、おれ達から逃げ出す機会を待ってたのか?」
「ひひ、それもいいね。
まあそうだったとも言えちゃうけど、でもあたしとしてはぜんぜん違うかな?」
力尽くで突き放されたというのに、振り返った彼女は悪びれもせずに目を細め、妖艶とでも言うべき表情を送りつけてきて。
闇のように黒い髪に、褐色の肌をした魔女。
その琥珀色の瞳には凜とした光が宿り、もう抜け殻だなんてギンネに思わせない。
「ほら、ギンネ。あそこを見なよ――」
ユーペフタが指差した先――そこは〈竜の裂け目〉の対岸まで渡された連絡橋の門。
小さな関所が築かれていて、本来ならそこに立っているべき門兵達が、揃って二人とも倒れ伏しているではないか。
きっとあれも、彼女の魔法のしわざだと悟るしかない。
「いっしょに、あの橋を渡ろう?
キミはあの先の世界に行って自由になるべき。
今ならキミを邪魔する大人達はいないよ?」
そしてギンネを惑わせるかのような、魔女からの甘い誘いかけ。
「なっ…………急になんてとんでもねえことを言い出すんだよっ!
おれ達はまだ仕事が途中なんだぞ。
それにおれには――」
「――キミは真面目すぎ。
もうクソ野郎の仕事なんてしなくていいんだよ。
〈天使〉なんて今さら捕まえなくていい。
だって、たとえこのままキミが〈天使〉を捕まえられたとしても、
塒に戻る前にここで始末されちゃう手筈だったんだもん」
「始末――って、そんなわけあるかよ!
…………だって隊長はわざわざ首輪まで外してくれたしよ、そんな、わけは……」
目付役を促すような彼女の目線に気づいて、途端に己の察しの悪さを呪うはめになった。
ダミロワは、こちらの命をわざわざ天秤にかける真似までやってのけた男だ。
「あのクソ野郎はね、〈塔〉の王様――塔王になんとか取り入ろうとしてんのさ。
〈天使〉は塔王の秘密だって、キミ知らされてなかったでしょ?
秘密の中の秘密が檻から逃げだしたから、焦った塔王は死に物狂いで探させてる。
そして下っ端のキミはまんまと秘密を知っちゃった」
「だから、〈天使〉さえ手に入ればおれは用済みっていうのかよ……。
つーか、なんでおまえがそんな話まで知って――いや、やっぱ言うな。
どうせおまえのヘンテコ魔法で隊長の心でも読んだとかだろ。もううんざりだわ」
どっと力が抜けてしまい、ギンネは地べたにへたり込む。
命がけの仕事だと気張ってここまでやってきたというのに、途方に暮れる以外にどうしろというのか。
「――なあ、ユピよ。
おまえが何のつもりで、おれを助けようとしてくれてんのか知らんけどよ。
余計な真似しないでくれよ。
お前にゃ話してなかったけどよ――おれには、助けてやらなきゃなんねえひとがいんだよ」
そう、ギンネには目的があった。
それを一時たりとも忘れたことはない。
「おれが、おれの手でそのひとを助けてやらなきゃなんねえ、ぜってえ。
だからよ、そのひとを差し置いて、まだここから逃げるわけにはいかねえんだ。
つっても、むざむざと始末されてやるつもりもないけどなっ!」
途端にしおらしい態度になった魔女は、言葉に耳を傾けてくれているようだ。
「でもまあ…………なんつーか……あんがとよ、ユピ。
すげえ魔法を持ってるおまえが、おれを自由にしてくれようとしたのは正直うれしかったわ。
そっかあ。いつだったか、まだ誰も知らねえ場所に冒険してえなって、話したっけな。
おまえさ、そんな古い話まで覚えてたんだな。
けどよ。さすがにおまえと二人だけで、〈竜の裂け目〉の向こうで生きてく自信ねえわ。
なんならその魔法でよ、これからもおれに協力してくれるとすげえうれしいんだけどよ」
言ってみてちょっと照れくさくなって、顔に出かけたそいつをなんとか取り繕う。
それはそれとして、これでお互い納得。さあ仕事の再開だ。
けれども魔女が、何のつもりなのか再びギンネの手を取る。
〝――――…………だめだよ。ギンネ、キミはあっちに行くの〟
ただ、今度はすぐには手を引かず、それは幼い子どもに「もう行くよ?」と伝えるような優しい手つきで。
だから幼いころ、同じように手を引かれた記憶がよみがえってしまって。
〝――……キミはあたしのもの……――〟
〝――……にげなくていい……――〟
〝――……にがさない……――〟
〝――……呪いから解き放ったげる……――〟
〝――……だからキミはあげない、その女なんかに……――〟
〝――……キミはもうあたしだけのもの……――〟
〝――……生きよう? ……――〟
魔法の言葉のように頭の中を駆け巡る、彼女の囁き声。
急にどうしてしまったのかと問いかけようとしても、削り出した宝石みたいな瞳に、文字どおり射止められてしまって。
途端、いても立ってもいられなくなったギンネは立ち上がると、
「確かにおまえの言うとおりだ、自分の意思で先に進まなきゃ――――」
ユーペフタの手を自ら引いて、二人で橋へと向かう。
けれどもギンネは、結局あの連絡橋を越えることはできなかった。
理由?
きっと一人だけなら――少女を振り返らなければ、対岸まで走り抜くこともできたのかもしれなかった。
でも彼は耐えられなかった。
自分を対岸まで送り届けるために、少女が自らを犠牲にした現実に。
〈魔女の抜け殻〉ユーペフタが、果たしてどんな気持ちでこんな真似をしたのかはわからない。
誘いを拒絶した彼を魔法で誘導してでも、たとえ志半ばで自分が命を失ったとしても、彼を裂け目の向こう側の世界に連れていきたかったとしか思えなかった。
これは、救いのない物語だ。
救いのない物語の分岐点――ううん、結末の一歩手前を、ただ〝わたし〟は見届けているにすぎない。
もしこの場に〝わたし〟がいたとしたら、どうしただろう?
どうしたらあの二人が救われて、悲しい結末にならなくて済むのだろう?
橋を渡るのを諦めればいいのか。
そのまま大人しく隊に戻って、だとしても彼らは――
そう考えたら〝わたし〟こそ、いても立ってもいられなくなって。
もう胸の奥のモヤモヤが破裂しそうになって。
『――――待たんかいこらあーーーーーっ!』
はち切れそうな苛立ちを声に出した刹那に、それが本当にこの〈迷宮〉へと響き渡って。
そしたら走り出したはずのギンネ君達までびっくり顔になって。
何が起こったのやら。
わたしってば、なんかこの場面に顕現しちゃったみたいです。




