第2話:『ダンジョンクローラー』(8)
(――しゃがんで、ミナ。こっちの物陰に……ほら)
果たして人差し指の「しっ。静かに」ジェスチャーが通じてくれたのか。
ハッとしたミナは口もとを手のひらで隠しつつ、通路の手すり部分に身を潜ませたわたしに背中を預けてきた。
わたし達が隠れた手すりの向こう側――例の巨大トンネルの底に、人影が見えたからだ。
脇道からは、ビル二階から見おろすくらいの高低差があるんだけど、遮蔽物が少ないことには違いないので。
人間達にミナが見つかるのは避けなきゃ、だよね。
もちろんわたし自身も込みで(万が一のピンチを乗りきれる自信ないし……)。
(……いるのは探索隊ね。身なりがいいから、ミナを追ってきた子達とは別の隊に見えるけれど)
柵の隙間から眼下を偵察する。
人数は八人――ううん、そうじゃないっぽい。
冒険者風の六人と対峙しているらしき二人組は、人型には違いないんだけど一回り大きくて、明らかに魔物だ。
(なんだか、いかにも〝冒険者パーティ〟っぽい感じだよね。ちょうど戦闘中なのかな)
(――――〈冒険者〉!? アサヒはそんな言葉も知っているのね)
(えっ、ヘンかな? へへ……元の世界の知識でしゃべっちまってます。
後衛が盗賊、魔術士、僧侶。前衛が戦士、戦士、……んと、端っこの人は侍? ……かな。
魔物っぽい方は図体がデカいし、わたくし的にはオークかオーガか、って感じ)
あ、そっか。
確かこの世界では魔法が失われてるらしいから、あの人は魔術士でなくてそれ風の別職業?
(……驚いた。一目見てそこまでわかるだなんて、アサヒは博識なのね。
ミナにわかるのは、〈冒険者〉というのが歴史書に登場する言葉で、探索士の原形になった概念ということくらいよ)
あ、あれれ……?
探索士の職業とか魔物についてチュートリアルしてくれるのかもと振った話題だったんだけど、ミナ様ってば実はナビ役には向いておられない?
いや、そうじゃないな。
この子を幽閉してきた人間達なら、不必要な情報は与えないんだって推察すべきだよな。
(かつてヒトの子らは、各々に特別な役割を持った〈冒険者〉が矢面に立って、迫る闇の脅威を乗りこえてきたと記されていたわ。
ちょうど、あそこの彼らのように)
(それって、この世界の人類が〈迷宮〉で暮らすようになる前の話?)
などと口にしてから、ミナの前で地上時代の話題は迂闊だったかも、と後悔。
(そうね……。だからヒトの子達は〈迷宮〉の外の世界に戻りたくて、〈聖女〉の再来を願ってきたの。
その悲願のために生みだされた供物が、ミナよ。
ミナがそうしたくなくても、ヒトの子はミナを使って悲願を叶えたいのでしょう。
彼らがミナを掴まえて、ずっと〈塔〉に閉じこめておきたがる理由よ)
そう呟くと、ミナはしょんぼりと俯き、膝を抱えてしまった。
「……――わたしがミナをそんなことになんてさせない!」
考えなしの虚勢じゃなくて、冒険の勝利条件が揃ってきた。
ミナがあの廃教会に隠れ住んでいた理由は、食料・水の補給ルート面であそこを離れられなかったからだ。
その問題もわたしのリュックで解決したので、今ならもっと遠くまで逃げることができる。
少しだけ実験した感じ、リュックの中身はわたしに都合よすぎる謎時空になっていた(リュック内は時間停止してるから、お弁当はいついかなる時でも作りたてをキープ!)。
気になるのは、ギンネ君達が所属する探索隊がどんな手段で、こんなにも広大な〈迷宮〉の中からミナを見つけだせたのか。
まあもし見つかったとしても、話が通じる相手にならわたしにもやりようがある。
あとは道中で他の人間と接触しないこと(ミナはギルドの賞金首的なポジションと想定)と、魔物との戦闘を避けること(非戦闘員なわたしが足手まといなのは確実)。
そして何より、ミナを閉じこめていた〈塔〉から、可能な限り遠ざかること。
できればこの世界の〝町〟に相当するらしい〈修道院〉にも立ち寄りたかったんだけど、安全面から全力回避の方針だ。
あのダミロワ隊長っておっさんの根城かもだし、そうでなくても悪目立ちそのもののミナやわたしなんて速攻で捕縛される、路地裏でゴロツキに襲われる、そもそもお金すら持ってないから住民に相手にされない、なんて展開が目に見えてるし。
なので割と詰んでるわたしらだけど、リュックひとつでサバイバル生活上等だ。
行き先は明確じゃないけど、いま冒険者パーティ――じゃなくて探索隊がバトルしてる眼下の巨大トンネルは、異世界ファンタジー世界でいう〝街道〟に相当するっぽい。
〈塔〉から続く街道の果てを目指せば、ミナが言うには「〈迷宮〉の裂け目」に行き当たるらしくて。
「だから、わたしといっしょにがんばって〈迷宮〉の裂け目を超えよ?」
「……ええ。そうね……あなたとなら、いっしょに――」
曇ったミナの瞳に、ちょっとだけ希望の光を取り戻せた――と思った矢先に、ムードを台なしにするかのような爆音が耳をつんざいて。
心臓バクバク状態で、絶賛バトル中の探索隊をのぞき込んでみれば。
「さっきのは聖隷の力よ。聖隷の痕跡が見える。後列の術士が、破裂の聖隷を解き放ったの」
「えっ、見えるとかなにそれカッコいい!? せ、聖隷? 精霊さん??」
新ワードにちょっぴり心躍らされたのも束の間。
なにやら赤黒い〈自主規制〉をあたりに飛び散らせて、大変グロいありさまになったオーク達である。
ヒッと喉が鳴り秒で腰が抜けたわたし、鉄パイプを杖代わりにヒイヒイと立ち上がるしかなくて。
「ま、まあ、そのあたりのチュートリアルも、また落ちついたらね……」
もしもあんな暴力と敵意がこっちに向けられたらと連想してしまい、ミナの手を引いて一刻も早く立ち去ることにした。
§ § §
それからはちょっとした冒険、あるいは変化の薄い生存活動の連続だった。
明かりが薄い〈迷宮〉で、昼も夜もない生活。
街道トンネルの側道部分を、人目を避けつつ前進あるのみ。
時計も地図もないので、何日くらい歩いてどのあたりに来たのかもわからない。
歩き疲れたり、お腹が空いたら食事を取る。冒険者パーティ的に言えばキャンプってやつ。
魔物除けの結界を張る聖水なんて持ってないし、パーティー編成は女子中学生と天使という、ね。
まあ運がいいのか悪いのか、魔物との戦闘はあってないようなものだった。
一度、天井から落っこちてきた巨大粘菌(スライム?)が瞬時に塩と化した事件くらい。
これじゃミナを守るというかミナをバリアー代わりにしてる感しかないけれど、こうして身を寄せあって歩くのって、心細いこの世界では格別の安心感があった。
互いにできないことを埋めあいながらの、二人きりの逃避行。
暗闇の底に沈んだこの世界で、わたし達はちっぽけすぎる生を必死に繋いでゆく。
§ § §
「や、やっと着いたあ――――!!」
〝迷宮の裂け目〟にようやくたどり着けたのは、わたしがいい加減お風呂を我慢しきれなくなった頃合いのこと。
突如として街道トンネルの行く手を横切った光景は、まさに〝裂け目〟と表現するに相応しかった。
途方もない地底世界を途中で分断する、広大な谷底。
自然にできた地形かどうかはわからないけれど、まさに断崖と言ってもいい。
左右に上下に、どこまで続いているのかもわからない〝裂け目〟。
ご丁寧に設えられた安全柵越しに谷底をのぞき込むと、ゾッとする暗闇の底知れなさに、意識ごと引き込まれそうになった。
「気をつけなさいアサヒ。うかつに顔を出すと、生息する魔物に囓られるかもしれないわ」
「ひ、ひえっ――――?!」
咄嗟に引き戻されて、少しべと付いたミナの手のひらが今はありがたかった。
〝裂け目〟の向こう側でも〈迷宮〉が自らの断層を露わにしていて、わたし達の旅はこの先に続いてるんだって突き放された気持ちになって。
「ミナもここまで来るのは二度目なのだけれど、この先へは進めなかったの」
「それって前に言ってた、食料をいっぱい持ち運べなくて引き返してきたって話?」
「ええ、そうね。お腹が空きすぎて、帰り道で行き倒れかけたわ、あの時は……」
ミナの瞳からハイライトが消えてる。想像しただけで絶望しかない。
見れば〝裂け目〟には何か所か連絡橋らしき構造物が渡されていて、対岸まで行き着けないわけではなさそう。
ただ、前回のミナは、この先に進むことを諦めた。
ミナは聡明な子だから、たとえ対岸までたどり着けたとしても、その先で食べ物も水も見つけられなければ詰みなのを理解していたんだ。
それに――
「――ここにも飛竜の群れがいるね」
「飛竜以外もよ。飛行できる魔物を、トカゲに限定するのは危険よ」
断崖の上層や、断層部分のあちこちから射しこむ光源を、大きな黒い影が何度も横切っていた。
魔物に囓られるというのは、まあそういう展開であって。
「――あそこ見て、ミナ。ほら、人が……」
わたしが指差した方向――対岸まで渡された連絡橋の一つに、人影が見えたからだ。
今度は二人組で、やっぱり冒険者風。
連絡橋は吊り橋みたいな危なっかしいのもあったけれど、彼らが渡ろうしているのは〈迷宮〉の素材っぽい、頑丈そうな石造りのもの。
ただ、どうにも様子がおかしくて。
「なんだか奇妙ね。魔物の巣窟を命がけで越えるにしては、あまりに人数が少なすぎるわ。
あんな装備品では無謀よ。
それに、あの大きな橋の入口には、確か〈修道院〉の番兵が立っていたはずなのに、どうやって……」
ミナがそう教えてくれたけれど、わたしの耳には届いていないも同じだった。
だって、わたしには何故だかわかってしまったのだから。
石造りの連絡橋、その真ん中――息も絶え絶えに駆ける少年は、かつて戦闘奴隷だったギンネだ。
ギンネの後ろで、脚を躓かせて転ぶローブ姿の少女。
愚図でのろまで役立たずの、けれどもギンネなら決して放っておけない〈魔女の抜け殻〉ユピ。
どうしてミナを追っていた彼らが、あんな場所にいるのかもわからない。
ううん、今ならわたしにはわかる。
あの二人にはきっと、わたしが知り得ない物語があるんだ。
だから、だから。
だからギンネ君は、彼女の手を引いて逃げ出すことを選んだ。
いつか彼とは対決するかもなんて思っていたのに、わたしはなんて思い違いをしていたんだろう。
どうしてわたしなんかが、彼らの物語を知ってしまったんだろう。
彼はミナを捕まえてこいという隊長命令に従う振りをして、大人達に踏みにじられない場所へと彼女を連れて行こうとしているんだ。
ああ、こんなの耐えられない。もう胸が破裂しそうだ。やめて。
やめてよ、こんなの。
「やめ――――――――」
そうやって声を張り裂けさせる意味なんてなかった。
迫りくる飛竜の羽ばたきにローブがはためき、鍔あり帽子が飛ばされてしまう。
まばたきした直後、地面に倒れ伏したギンネ君が掴んでいたのは、千切れた手首で。
手を引こうとした目の前で、彼女が空に攫われてしまった。
飛竜が飛び去った上空からぼたぼたと降り注いだのは、大量の血液、ローブの切れ端、臓腑。
助けだそうとした少女のなれの果て。
ああ、もうやめてくれ。
それらを浴びて真っ赤に染まったギンネ君の頭上で、飛竜達の群れが絡まり合い、我先にと獲物の血肉を奪い合っている。
やめて。
けれどもこんな絶望の奥底にだって、希望という名前の魔法がかけられていたのだろう。
少女の血肉を奪い合う飛竜達の群れが、突如としてまばゆいばかりの閃光にのまれたかと思えば、瞬時に血煙と化してしまった。
わたしには、わかってしまった。
こんなにも絶望的な結末で、〈魔女の抜け殻〉である少女は、自分を守ろうとしてくれた少年を最後の最期に救う魔法をかけたんだ。
――走って。自分の代わりに、きみだけでもあの対岸を目指して。
何もできやしないわたしは、ただただ彼らの悲しい物語を見届けることしかできなかった。




