第2話:『ダンジョンクローラー』(2)
で、あれこれ考えだしたら、どうしたらちゃんとミナを守れるのかって、急に冴えてきた思考がシリアスモードに切り替わったわけで。
「ねえ、ミナ。とにかくココを出よう。
さっきのひとたち、まだ仲間がいるみたいだった。ミナを諦めていないんなら、すぐ逃げないと」
気持ちが先走って、この教会の玄関口らしき巨大なアーチへと駆け寄ったわたし。
けれど、「待ってアサヒ!」って叫んだミナに手を掴まれてしまい、直後にわたしは驚くべき光景を目の当たりにする。
まばゆい外光に切り抜かれた玄関アーチの向こう側。
それを一歩踏み越えた先は地面などない断崖絶壁で、まさかここが地の底とは思いがたい、想像を絶する空間がアサヒの目の前に口を広げていたのだ。
地下ドームとでも呼べばよいのだろうか。
それも、小都市がまるごと収まりそうなくらい広大な――何なら上空を旅客機が旋回飛行できても不思議ではない規模の。
「えっ……なんなの、ここ――――――」
ミナが繋ぎ止めてくれたおかげで踏み外さずに済んだ爪先から、砂がこぼれ落ちていく。
そもそもこの廃教会自体が地下ドーム上層に位置するらしく、断崖の底深さにゾッとしてしまった。
(――これが……こんなのが〈迷宮〉なの?)
地下迷宮――所謂〝ダンジョン〟というキーワードから想像しうる景観から、目の前に広がるこれは大きく、とても大きく逸脱していた。
アサヒの解釈で表現するならば、まるで自動生成したマップオブジェクトが目茶苦茶にバグって配置されてしまった――そんな狂気じみた地形。
この玄関アーチから眺望できる地下ドームの長大な壁面が、まさに教会という教会で埋めつくされているせいだ。
扉口、薔薇窓、塔、三角屋根、彫刻群。
いつかどこかで記憶に収めたような、あるいは一度も見たことがないような荘厳なる教会建築のファサードが、無数に、さながら岩窟教会めいてドーム壁のあちこちから浮き出ていた。
意匠の隅々まで威容をたたえたもの。素朴で伝統的な装飾のもの。退廃的でミニマルなもの。
グリッチ・アートめいた造形のもの。朽ちて崩れ落ちかけたもの。ひどく傾いて、外壁からみじめに建立し損ねたもの。
そのひとつひとつのどれもが異なる造形で、多様性があり、しかし海底に群生する珊瑚のごとく、一様にアサヒたちの視界を埋め尽くしている。
しかしアサヒの意識はすぐに、ある別のものに奪われてしまう。
ここの天球部分は、教会建築でいう穹窿と思しき造形をしていた。まこと信じがたいことに、このドーム自体が途方もなく巨大な聖堂だったのだ。
この広漠たる聖堂を照らす光源を追うと、さながらプラネタリウムのように天球部分から落とされる光へと行き着く。
ドーム天頂付近はちょうどアサヒがいる大拝廊に似た色とりどりの模様で覆われていて、地上を照らしているのはその頂点で輝き続ける〝太陽〟だった。
といっても空のないここに太陽なんてあるはずがない。「太陽」すら言えなかったアサヒとしても心外だ。
とはいえ次の言葉が見つからなかった。
分厚い雲間から太陽が射しこむ光景をして〝天使の梯子〟などと呼ぶのなら、デタラメな教会建築が濫立し、天から降り立った天使が簒奪者と伝えられたこの世界において、果たして神さまとはいったいなにものなのだろうか。
そこで、まるでその〝太陽〟を目指しているかのように、大きな〈塔〉がそびえ立っているのに気づく。
「ねえミナ。あれ。あそこにもひとが住んでるの……?」
アサヒはそう呟いて、ミナに肩を寄せる。
天頂に届かんばかりの、円錐型をした高き〈塔〉。
天球から落とされた偽の太陽光を浴びているせいで、こちらからは影絵のようにしか見えない。
外縁部の教会ファサード群に比べても〈塔〉は抜きんでて異様な姿で、途轍もないスケール感を併せ持っている。
そういえば〈塔〉の周囲を旋回飛行している無数のシルエットは鳥――いや、地底ならコウモリか。
「…………ええ。ミナはずっとあの〈塔〉に閉じこめられていたの」
汗ばんだ手を、それでもずっと握ってくれているミナ。
「ここでヒトの子が住んでいる場所はあの〈塔〉だけよ。……ミナは、あそこにはもう戻りたくない」
それは恐れか、決意か。視線を逸らしたミナの手にほんの一瞬、きゅっと力がこめられたのをアサヒは見逃さない。
だからそんなミナと正面から向き合い、強ばりかけた表情を、必死な強がりと勇気とで上書きする。
「わかった。どこか遠い場所に行こう、ミナ。
わたしもいっしょだよ? 怖いひとが追ってこないくらい遠くまで行こう」
ミナが黙ってうなずいてくれる。曇りかけた表情に陽が射したように見えた。
「出口はここしかないの? あいつらがここまで来れたってことは他に――」
けれども言葉を遮るように、開け放たれた玄関アーチから吹き込んできた風。
直後、ずしん――と何か重い物体が叩きつけられたかのような衝撃に、建物全体が震撼してアサヒはよろめいてしまった。
仰天して振り返れば、玄関アーチのまばゆい光を遮るようにうごめく、巨大な黒い影。
「うわっ。急になんだよこいつっ――?!」
一体どこから飛来したのか、玄関アーチにしがみ付いていたのは見たこともない大きな爬虫類だった。
兜のような頭部が大蛇のように伸びて、たまらずに後ずさったアサヒたちに噛みつこうとして。
人間の頭すら食いちぎれそうなくちばしが目の前でガチンと噛み合わさり、伸びた首をぐにゃりと曲げて、まんまと逃げられた獲物どもをルビー色の目で睨みつける。
そいつが吐き捨てていった腐臭に、アサヒはたまらず全身が総毛立った。
「ま、ままままマジで竜じゃんっ!」
まさに竜。ドラゴンだ。すなわち人間ごときに太刀打ちできない恐ろしい魔物だと、アサヒは本能的に理解せざるを得ない。
玄関アーチの枠に前足のかぎ爪でしがみ付き、みしりと石材が悲鳴を上げる。
ただ大きな翼が邪魔して、大拝廊まで入りこめたのはその長い鎌首だけ。
さて、ただの凡人アサヒだから、武器になりそうなものは何も持っていない。
(――いや、アレならないよりはマシか)
背後で地面に突き刺さったままの棒を引っこ抜いて構える。
追っ手の治癒術士が置き去りにしていった鉄杖だ――アサヒ目線ではただの鉄パイプにしか見えないけれど。
(よし。ちょっとボロいけど、鉄パイプのがわたしに向いてそう。あの野郎の剣なんて触りたくもないし)
両手でも重量感のある鉄パイプを竜に突きつけ、首を伸ばしてもこちらに届かないぎりぎりの距離感を保ちつつ、
(……ちょっとモグラ叩きみたいなノリだな。って、油断するとまじで死ぬやつだコレ)
竜が噛みつこうとすれば鉄パイプでくちばしを突いて威嚇し、押し返してやる。
これでは仕留めるどころか、せいぜい逃走までの時間稼ぎくらいにしかならないだろう。
でも、それで構わない。
一度は自分の無警戒で命に関わる窮地を味わったのだ。
もう二度とあんな思いはしたくない。させたくもない。
だから、いかに二人して笑顔で生き抜くか――という観点が、アサヒの内に、まさに本能的な閃きのように芽生えていた。
「ねえミナ。さっき飛び回っていたあの群れって、コウモリなんかじゃなかったってオチ?」
S級冒険者でもないのに、こんなのがうじゃうじゃいるなんてアサヒとしては勘弁してほしかった。
「ううん、こんなの竜とも呼べないわ。ここに営巣している、ただの大トカゲよ」
想定外だったのは、必死で庇ったつもりのミナが、何故なのか竜相手にちっとも動じていなかったことで。
「さあ、急ぎましょうアサヒ。ミナが秘密の通路を教えるわ」




