幕間:『とても危険なこと』
アサヒの指先が、ミナの手の甲につんと触れた。
するとミナは全身をびくんと震わせたが、アサヒの方がけろりとした態度なのを理解して、思わぬ大胆行動に出る。
力をこめたら折れてしまいそうなミナの細い指が、ひんやりとしたアサヒの指の間をおっかなびっくりくぐり抜けて、水かきの部分までそろりとたどり着く。
指の股の皮膚は他より薄く柔らかで、繊細すぎるあまりすぐ傷ついてしまいそうで、でもこの感触は意外な発見だ――そんな反応を見せてくれるところが新鮮だ。
いたずら心で、アサヒは自分の手のひらをやや汗ばんだミナの手のひらにくっ付けてやる。
両手の指ぜんぶを絡めてやれば、さあミナはもう逃げられない。恋人つなぎの要領だ。
ところがくっつき合った手のひらに、なんだか変な汗が滲みはじめて――
「あー、わ、わーっ! こ、この実験はもうやめよ。とても危険。やめにしましょう。
だって、あなたがミナに触れられるようになった理屈が、まだ解き明かされていないもの」
ちっとも動揺を隠しきれていない顔のミナ。
気まずそうに目を伏せると、アサヒの手を突き放し、そそくさと後ずさってしまった。
「ちぇー。わたしの方はぜんぜん平気なのに。でもミナがそう言うんならしゃーなしかあ」
渋々、といった素振りでミナの意思を尊重し、アサヒはまだ名残惜しげな手を頭に組む。
塩になり失われたかに見えたその右手は、あの後もほのかな光を帯びたままだ。
ミナが言うには右眼も変容しているらしく、スカート下に重ね履きしたジャージから出ている左脛も確かにそうなっていた。
自分の身体に起きたこの異変には、まあ思うところもあるけれど。
「――と見せかけてこうだっ!」
さあ、これで大人しくなるアサヒさんではない。まだいたずら心2がある。
まんまと隙を見せてくれたミナに飛びかかったわたしは、その体を両手で抱きかかえてやると、
「よっと!」「きゃあっ!!」
めちゃ小さくて軽かったミナは、わたしレベルでもひょいと持ち上げることができてしまったのである。
いや、これってお姫様抱っこどころか、肩車すら可能な体格差では?
身長どんくらいあんだ前世のわたしよ。感覚170超えは確実っぽいし……恵体か?
「ほらほら――あはははっ――――」
などと氷上のダンスパートナーみたく抱きかかえたまま華麗にくるくると舞い踊ってみたら、
「ふぇ――きゃあぁぁ――――ぎゃーーーーっ! お、お゛ろ、もう降ろじでぇっ――」
ちょいはしゃぎすぎたせいで、ミナにぽかぽか攻撃を食らった挙げ句ダミ声で泣き叫ばれちゃった。
§ § §
きゃあきゃあとひとしきり騒いでから、あらためまして。
「――ええ、とにかく。あなたがミナにも理解できない存在なのをとてもよく理解できたわ」
「あ……はは……。まあ、呆れるしかだよね? わたしが理解放棄したくらいだもん」
ミナはわたしの奇行に呆れてる感もあるけど、そもそもの話、わたしという存在自体が理解不能と思われても釈明の余地なしだよなあ。
どうしてわたしがミナに触れても塩にならなかったのか以前に、死んで転生してる事実のが圧倒的にヤバイと言えばそう。
どうせふざけたアイツ=自称女神のせいなんだろうけれど、この世界においてわたしがとびきりのイリーガルなことくらい自覚済みだ。
自身の体質を呪ってきたこの子の前にわたしみたいなのが現れたせいで、よっぽどの理不尽さを味わわせてしまったんだろうな。
ぐぬぬと頭を抱えてしまってるミナ。
眉間に皺まで寄せちゃって、そんな表情でも愛らしさがハンパないから神。こっちのが女神。
いや、天使か。
あらためて天使ミナ様の御身をつぶさに観察してしまう。
わたしの脳内天使像とはだいぶ似てないんだけど、白い衣で翼が生えてて頭に光る輪っかが浮かんでるっていうキーワードだけはなんとなく合致していた。
透きとおるように白い肌。煌めく瞳は黄金。
ふわふわとウェーブがかったロングヘアーなんて真っさらな雪みたいな白さで、顔面がよすぎるせいでおでこ出しヘアスタイルでも造形に一切ごまかしなし。
ワンピースの上に羽織ってるあのマントみたいなのって、最初はただの布かと思ったけど、どうやら巻き付けた翼だったっぽい。助けてくれたとき、ぶわっと展開したお姿を一瞬目撃してしまった。
そういえば天使の輪っかも、イメージどおりの光輪じゃなくて、もっと不思議な形(王冠?)してたな。
なら、この子は果たしてどんな神さまに遣わされ、何のためにこの世界でお仕事してるんだろう?
ていうかこの子ってそもそも裸足なんだな。サンダルか何か、履かせてあげたいな。
「とにかく、ひとつだけミナに釈明させてほしいのだけれど」
「…………うん。くさいなんて言っちまって、本当にごめんなさいでした」
深々と頭を垂れる。
いや、ほんとにごめんなさい。
「あなたの殊勝な心がけが伝わって素敵よ。
ええ、赦します。ミナは寛大な心であなたの謝罪を受けいれましょう。
でも、ここであなたももうひとつ理解を深めて頂戴な。
『お風呂』という概念がヒトの子の社会にあることくらい、ミナはちゃんと知っていたの!
お風呂したくてもお風呂できなかったミナの事情も、あなたにきちんと理解してほしいわ!」
拳をぎゅっとして、肩をぷるぷる怒らせて、力いっぱい釈明するミナ様である。
そうだったのか。どうしてもここで誤解を解いておきたい心境なんだろうな。
ミナは基本、ピュアでいい子だけど、それでいてちょくちょく上から目線なのが個性的だ。
でも声色とか口調からこの子の誠実さがヒシヒシと伝わってくるから、わたしにはぜんぜん嫌みっぽく聞こえなくてすごく話しやすいんだ。
「ミナはね、ずっと狭い部屋に閉じこめられていたの。
移動の自由はヒトの子に阻まれていたけれど、代わりに書物を読むことを彼らに認めさせた。
ふふん、だから入浴の知識くらいとっくに習得済みよ」
腕組みまでして。何気ない日常を、そんな誇らしげに話して可愛いな。
でも一度打ち解けたらこんな子だったなんて、意外性。
「でも残念ながらミナの部屋には浴室が設けられていなかった。
そこでミナはひらめきました!
使いの子にお湯とタオルを持って来るようお願いしたの。
ええ、ちゃんと自分で体や髪の毛を拭いてみせたわ?
本来のミナは清潔できれい好きだという事実が、あなたにも伝わっているとうれしい」
要するに、髪がめっちゃ臭ったのは事故。イエス了解だぜ。
にしても、思ってたよりなんかめっちゃしゃべるな、この子。
事情はまだ聞けていないけど、どこかから逃げ出してきたという話の流れか。
「うん、説明してくれて感謝だよ。わたしにもちゃんと伝わった。
ミナはそこから逃げてきたんだよね?
そっかあ。それでこんな廃教会で暮らしてきたなら、お風呂もお洗濯も諦めるしかないか」
そう口にして、しまったと口を塞ぐ。
ちゃんと釈明できて満足して上機嫌なミナが、いやなことを思い出したみたいに自分の衣服をすんすんと嗅いでから、また焦りだしたので。
「違っ――お洗濯に関してはあなたも大きな誤解をしているわ!
でも考えてみればあなたのようなヒトの子が知らないのも無理ないわね。
だって、ミナのこれは服ではなくて、ミナの一部なんだもの――」
突然なにを言いだすのかと思えば、わたしのも予想できない現象が起きたんだ。
スカートの裾をつまんでくるりと回ってみせたミナ。
彼女を追っかける布地が花のようにふわりと広がったかと思えば、彼女自身にするりと吸い込まれるように消えてしまい――
「――だから、ほら?
そもそもお洗濯できなくても、お風呂に入ることさえできれば、ミナはいつだって清潔さを保てるの。
ヒトの子と違って、ミナは服なんて着る必要がないのよ」
わたしの脳内に「バーン!」とかいうナゾ効果音が鳴り響いたと同時、目の前でミナがいきなり全裸になった。
いやいや、2カメ3カメ映像ならちゃんと残ってた翼で神ガードされてただろうけれど、わたしの主観カメラでは普通におっぱいとか股間とかまるだしだぞ。
なんでそんな「えへん、その目に焼き付けるがいいわ!」みたいなしたり顔で胸張ってるのかな……いや、やっぱこの子スタイル完成されてて羨ましいなあ。
彼女の薄い布地の下に秘められていたのは、彫刻のように浮き出た鎖骨と肋骨。その完ぺきすぎる枝葉に実った果実のごとく、呼吸するたびに上下して主張する乳房。うかつに触れれば折れてしまいそうな肩が、少女特有の繊細で滑らかな曲線をアサヒに見せつけてくる。
――なんてつまびらかにキショく描写できちゃいそうな眼福光景を前にして、わたしはたまらずに目をふさぐ仕草で「わかったから服を着ようネ」とNOを突きつける。
まあ、どうやら普通に羞恥心はあるらしくて、勢いあまって脱衣しちゃったというのが真相だったみたい。
「……――きゃあっ!? こ、こんなつもりじゃなかったのっ」
たまらず白肌をかわいそうなくらいに紅潮させたミナは、裸体を隠しその場にしゃがみ込んでしまったのだった。




