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第八章 不在

目が覚めたとき、少しだけ安心した。

昨日のことは、夢じゃなかった。

ちゃんと覚えている。

ちゃんと、後悔している。

でも。

——今日、謝れる。

その一つだけが、心を支えていた。

ベッドから起き上がる。

制服に着替える手が、少しだけ早い。

いつもよりも、急いでいる自分に気づく。

鏡を見る。

まだ少し目は腫れているけど。

昨日よりは、ましだった。

大丈夫。

ちゃんと、伝えよう。

そう思いながら、家を出る。

通学路。

いつもと同じ景色。

でも、今日は全部が少しだけ違って見える。

心臓の音が、やけに大きい気がする。

——なんて言おう。

頭の中で、何度も繰り返す。

「ごめん」

それだけじゃ足りない。

「ひどいこと言ってごめん」

「本当はそんなこと思ってない」

「傷つけてごめん」

何度も、何度も。

手話の動きを思い浮かべる。

ちゃんと伝わるように。

ちゃんと、間違えないように。

何度も繰り返す。

学校が近づく。

足が、少しだけ速くなる。

早く会いたい。

早く謝りたい。

それしか、頭になかった。

校門をくぐる。

廊下を歩く。

教室のドアの前に立つ。

深く息を吸う。

——大丈夫。

ゆっくりと、ドアを開ける。

教室の中。

いつも通りの朝の空気。

ざわざわしている人たち。

動く口。

笑っている顔。

私は、まっすぐ後ろの席を見る。

——玲王。

そこに、いるはずの場所。

でも。

空っぽだった。

一瞬、理解できなかった。

目が、そこに釘付けになる。

もう一度、見る。

やっぱり、いない。

席だけが、そこにある。

胸が、ざわっとする。

——まだ、来てないだけ。

そう思う。

時計を見る。

まだ朝のホームルーム前。

遅れてくることだって、ある。

そうだよね。

自分に言い聞かせる。

席に座る。

落ち着かない。

何度も、後ろを見る。

誰かが入ってくるたびに、そっちを見る。

でも。

違う。

違う。

違う。

時間だけが、過ぎていく。

チャイムが鳴る。

先生が入ってくる。

ホームルームが始まる。

それでも。

玲王は、来なかった。

胸の奥が、じわじわと冷えていく。

——なんで。

授業が始まる。

黒板の文字。

先生の動き。

全部、ぼやけて見える。

何も、頭に入ってこない。

気づけば、ずっと後ろを見ている。

いない。

何度見ても、いない。

休み時間。

私は立ち上がる。

後ろの席に近づく。

そこに、玲王の鞄はなかった。

机の上も、何もない。

まるで。

最初から、いなかったみたいに。

胸が、強く締めつけられる。

近くにいたクラスメイトが、何か言っている。

口が動いている。

でも、分からない。

私は、スマホを取り出す。

玲王の名前を開く。

メッセージを打つ。

『ごめん』

それだけ。

送る。

すぐに、既読はつかない。

待つ。

画面を見つめる。

数秒。

数十秒。

何も変わらない。

胸が、ざわざわする。

もう一度、打つ。

『昨日、ごめん』

送る。

それでも、変わらない。

既読は、つかない。

電話をかける。

呼び出しの画面。

でも、音は聞こえない。

ただ、時間だけが進んでいく。

やがて、切れる。

何も、つながらない。

手が、少し震える。

——なんで。

もう一度、かける。

同じ。

何も変わらない。

スマホを握る手に、力が入る。

休み時間が終わる。

席に戻る。

でも、落ち着かない。

ずっと、スマホを見てしまう。

画面は、変わらないまま。

昼休み。

私はお弁当を開ける。

でも、食べる気になれない。

箸を持ったまま、止まる。

目の前の席は、空いている。

昨日まで、そこにいたのに。

昨日まで、話していたのに。

昨日まで——

胸が、苦しくなる。

スマホを見る。

まだ、既読はついていない。

何度見ても、同じ。

時間だけが、過ぎていく。

午後の授業。

何も覚えていない。

ただ、時間が過ぎるのを待つだけ。

放課後。

私はすぐに立ち上がる。

もう一度、後ろの席を見る。

やっぱり、いない。

その事実が、重くのしかかる。

私は、スマホを強く握る。

——会いたい。

謝りたい。

でも。

どこにいるのか、分からない。

どうすればいいのか、分からない。

教室の真ん中で。

私は立ち尽くす。

——もしかして。

その考えが、頭をよぎる。

昨日のこと。

あの言葉。

あのまま。

もう——

胸が、ぎゅっと締めつけられる。

息が、苦しい。

私は、その場に座り込む。

手の中のスマホが、やけに冷たく感じた。

——まだ、終わってないよね。

そう思いたいのに。

不安だけが、大きくなる。

返事の来ない画面を見つめながら。

私は、ただ。

何もできずにいた。

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