母の幸せ
高校を卒業して
また引っ越し
今度は戸籍上父親の自宅へ
何年かかったのか
元妻と実の娘と息子が出ていった後の
戸籍上父親の家へ
受験を独りで乗り越えた
住み慣れた町の団地を出る時に
戸籍上父親に
友達からもらったお気に入りのマグカップを割られました
悲しくて機嫌を損ねていたら
『似たようなもんいっぱいあるだろ』
と戸籍上父親は笑いました
冬間近の寒い日
いらないものを軽トラックの荷台に乗っけて
町の山奥のごみ集積所に運び
どしゃどしゃと放り込んだのを覚えています
その中に
あのピンクのマグカップも混ざっていたのかな
姉はもう大学生で
大学受験の時に私立の大学を選び
高い入学金を工面するのに
母を悩ませていたけど
どう片付けたのか
なんとか入学し
下宿することを決め家を出ました
出てどのくらいか
結局下宿環境が嫌だったようで
(姉からその愚痴も聞いた気がするけど忘れました)
バイトしながらのアパート暮らしに落ち着いたのです
色々と反抗的に
無駄に体力を浪費する姉を見ていたので
私にとってはいいお手本で
あんなふうに
話したくもない人たちと
話し合わなければならない場面を
あえて自分から作らないように
極力正しく努力して
極力自分で解決して
普通にまっすぐ…
褒められることはなくても
派手に怒られることもないし
時々理不尽な評価も受けたけど
必要以上に向き合わなくていい
特に戸籍上は父親でも
全くの赤の他人から
よく知りもしないのに
罵られるような感覚は
無駄な感情に揺らぐので避けたかったのです
だから
母が敷いたレールの上をひた走り
母の納得のいく進学をして
お金と時間をかけない自立を目指したのです
戸籍上父親の家には
私と母の3人…かと思いきや
もうひとり
女性が住んでいました
戸籍上父親と
学生時代に関係があった女性との間の子供で
元妻とは血縁がない女性
ある意味
私たち姉妹と同じ立場のその女性は
戸籍上
私たち姉妹の姉になります
でもその女性は
2階を主な居住空間としており
時間をずらして水回りを共有していたので
まったく顔を合わすことなく過ごしました
過ごしたと言っても
私は引っ越した後
専門学校での寮生活となり
週末と長期休みにしか
その家には帰らなかったので
なんとその女性が家を出て行くまでの4年ほど
本当に顔を合わすことはありませんでした
と言うよりも
そこは母も気を遣ってくれたし
お互いに顔を合わせないようにしていました
わざわざ会いたくないですしね
向こうからしてみれば
それまでのガタガタが落ち着いたと思ったら
知らない女子が
自分の住み慣れた家に一緒に住むことになり
落ち着く場所だったはずの家ではなくなってしまった
なんだかそう考えると
私の存在がなければ
母も悩むことが少なかったのではないかと思ったりします
姉もきっとそう思っていただろうし
子供はできれば
親を悩ませたくない
幸せでいて欲しいのです
でも母の幸せは
私たち娘との幸せではなく
戸籍上父親との幸せであって
それがあることで
私たちは普通の生活を送れたわけなのです




