怒りと諦め
母にとっては
法的に許されなくても
家族を犠牲にしてでも
愛するに値した男性なのかもしれません
しかし
私たちにとっては
普通の
むしろデリカシーのない
図体と声と態度の大きい
田舎の叔父さん
血のつながった父親でも
『同じお風呂は嫌!』とか
『洗濯物一緒に洗いたくない!』とか
『臭い!』とか…
年頃の娘は生意気に言うじゃないですか
私は
実の父親だったらどう感じたものか
もはや分かりませんが
赤の他人のおっさんのパンツと
自分の下着を一緒に洗濯されて
何も思わない中高生女子は居ないのでは?
じゃあもし
自分の娘が
どこのどいつか分からない50〜60代のおっさんと
ひとつ屋根の下に住んでいたら
父親として
母親として
違和感はないですか?
私は
中学卒業と共に
また姓が変わりました
そう
母は3回目の結婚をしました
『新しいお父さん』なんてことは
今回は言われませんでしたし
いきなりお父さんと呼ぶようには言われませんでしたが
思春期真っ只中の私たち姉妹には
分かってはいたけれど
受け入れ難いことでした
とは言え
私たち子供が認められなくても
大人が決めたことには
抗えないのです
姓が変わり
戸籍上父親となった赤の他人に
『生意気』だの『ばか』だの『ブス』だの言われ
セクハラまがいな発言は日常茶飯時
私も
きっと姉も姉なりに
色々と思い もがき 苦しみながら
母親から注がれるはずの愛情を
戸籍上父親となった赤の他人のために諦めて
精神的にひもじい思いをしながら
進み続けました
前を向くだけだと
涙がこぼれそうだったので
上を向いて
とにかく上を向いて
私は
行きたかった高校に合格し
高校生活も楽しむことができたし
部活動も頑張りました
勉強も必死で付いて行ったし
お金以外は自分の力でこなしました
高校はお昼を購買で買うかお弁当
お金がないので
基本お弁当を自分で作ります
大会でも行事でもお弁当は自分で作ります
剣道部なので
道着も防具も竹刀も荷物も
全部持ったら重さは15キロほど
駅までの距離は3キロほど
雪か雨なら歩いて
晴れていたら自転車でも行けます
今考えると
高校の3年間はあっという間だったけど
本当によくやっていました
高校2年の時からは
2つ上の姉も居なくなったので
本当にほぼ独り暮らしだったけど
喧嘩する相手もいないから
静かで心は穏やかで
独りで居ることも
不思議とさみしくなかった
欲もかかず
最大限の工夫をして
生きていたあの時の自分を
褒めてやりたいと思います
この時唯一できなかったこと
それはお菓子作り
お菓子作りの材料って
普段使わないものばかり
ベーキングパウダー
バニラエッセンス
バター
お菓子用の型とか
クッキングシートとか
ミキサーもないと
うまく出来上がらないものもあったり
お菓子を作る時間なんていっぱいあったのに
材料を買うお金がありませんでした
今でも私は
娘よりお菓子作りが下手だし
作ろうとも思いません




