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Sal3-54 助けを求める声に

 胸がすごく痛かった。


 息が落ちついてくれない。


 体が少しずつ重たくなっていく。


 それがいまの私の体に起きていること。


 目の前には、「まま上」だった人がいる。


 ……私が「まま上」と慕い、私を「シリウスちゃん」と呼んで愛してくれていた人がいる。


 でも、目の前にいる人は、もう「人」ではなくなっていた。


 私が知る「人」は、首と体が離ればなれになっても平然と動ける存在じゃない。


 首と体が離ればなれになったら、「人」はもう動かなくなってしまう。死んでしまうはずだった。


 だというのに、私の目の前にいる人は、首と体が切り離されているのに、平然と動いている。平然と体を動かして、私とプロキオンと戦っていた。


 目の前の光景ははっきりと言って、悪夢みたいなものだった。


 大好きだった「まま上」は、「人」ではなかった。


 目の前にいるのは「化け物」だった。


 その「化け物」こそが「まま上」の正体だった。


 胸が痛む。


 でも、その痛みは私の体に起きていることとは別の痛み。


 この痛みは心の痛み。


 どんなにごまかそうとしても、私はやっぱり「まま上」が好きだった。


 でも、その「まま上」に私は愛されてはいなかった。


「まま上」にとって私は、私とプロキオンのオリジナルであるシリウスの模造品でしかない。「まま上」の言動を省みれば、はっきりとわかってしまう。


 それでも「まま上」が「まま上」であることには変わらない。


 そう、「まま上」であるはずなのに、私は「まま上」を「化け物」と思ってしまった。


 大好きだった「まま上」を「化け物」と思ったことが私の胸を痛ませてしまっている。


 たとえ、どれほど私が大好きであっても、「まま上」にとって私は「模造品」であり、「失敗作」でしかなかったとしても、私が「まま上」を大好きなことには変わらない。


「シリウスちゃん! いい加減にしなさい!」


「まま上」はプロキオンを「シリウス」と呼んでいる。


「まま上」にとって、プロキオンこそが「理想のシリウス」なんだろうね。


 私は「まま上」の視界にも入っていない。「まま上」の視界に入れるのはプロキオンだけ。わかっていたことだけど、悲しくはあった。


 でも、「まま上」に見て貰えなくても、プロキオンは私を見てくれている。私を「妹」として扱ってくれている。


 それがすごく嬉しい。


 嬉しいけど、もうそれも終わりなんだって思えていた。


 胸の痛みが私に突き付けてくる。


 私はもう終わりなんだ、ってことを。


『プロキオン! 気をつけ──ごほごほごほっ!』


「っ、メイサ!?」


 プロキオンに「まま上」の剣が迫っていた。声を掛けても意味はないだろうけれど、気を付けてと叫ぼうとして、私の口から出たのは言葉ではなく、黒い血と咳だった。


 咳き込みながら、胸を押さえた。胸を押さえて私の体に起きていることがなんなのかがはっきりとわかってしまった。


 私が血を交じらせた咳をしたのを見て、プロキオンはなんの躊躇もなく、「まま上」のお腹を蹴って、「まま上」を大きく後退させていた。


 さすがの「まま上」もお腹を蹴られるのは堪えたみたいで、抱えている頭が咳き込んでいた。離ればなれになっているはずなのに、どうして咳き込むんだろうと思ったけれど、そう思ったときにはプロキオンは、私の目の前にいた。


「メイサ、大丈夫!?」


 プロキオンはとても慌てていた。いまにも泣いてしまいそうなほどに顔を歪めながら、私を気遣ってくれている。


『だいじょーぶだよ』


「大丈夫なわけがあるもんか! なにかあったんでしょう? 無理したらダメだよ」


『……プロキオンは本当に優しいんだね』


「妹を心配しないお姉ちゃんがいるわけがないでしょう!?」


『……そっか。そうだよね。プロキオンは私のお姉ちゃんだもんね』


「そうだよ。私はメイサのお姉ちゃんなんだ」


 プロキオンは涙目になりながら、私の頬を両手でそっと撫でてくれた。


 プロキオンよりもはるかに大きな体になってしまったけれど、プロキオンのぬくもりがじんわりと伝わってきた。


 ……すごく。


 すごく温かかった。

 

 泣きたくなるくらいに温かかった。


『……ごめんね、お姉ちゃん』


「え?」


『……私、もう生きていけないみたい』


「どういう、こと? 体のことなら大丈夫だよ。私のママなら、ううん、私たちのママに相談すればきっと、きっと大丈夫だよ!」


『わかっているでしょう? お姉ちゃん。私の体、もう保たないって』


「っ、そんなことあるわけがない!」


『……ううん、あるよ。だって、私の胸、壊れちゃったみたいだもん』


 胸を押さえてようやくわかった。


 いま私の体になにが起きているのか。


 さっき地面が揺れたことも含めて、私は私がどういう状態だったのかがわかってしまったんだ。


『……さっき、地面が揺れたよね。たぶん、あれで私の心臓が壊れたんだと思う』


「しん、ぞう」


『うん。私、ずっと心臓がなかったの。でも、胸の奥から心臓の鼓動はしていたんだ。でも、いまはそれが聞こえない。きっと地下にあったっていうのは私の心臓だったんだよ』


「……じ、じゃあ」


『うん……私、死んじゃうみたい』


 プロキオン、ううん、お姉ちゃんに笑いかけると、お姉ちゃんは両目からぼろぼろと涙を零していく。


 お姉ちゃんは戦いながら、地下に巨大な試験管に入っていた心臓みたいな臓器を、カティたちが壊しに行くことになっている、って話をしてくれていた。


 もともと、「もしかして」とは思っていた。


 でも、それを口にすることはできなかった。


 お姉ちゃんが言うには、クラウディウスおじいちゃんがあまりにも強くなっているってことだったから、きっとクラウディウスおじいちゃんは私の心臓を媒介にして強くなっていたんだと思う。


 クラウディウスおじいちゃんを倒すためには、私の心臓を壊すしかなかった。


 まぁ、話をされたときはまだ確定ではなかったんだけど、さっき地面が揺れてから私の体が異変を起こしたことを考えると、やっぱり媒介になっていたのは私の心臓だったみたい。


 その心臓が壊されたのであれば、こうなるのも無理はなかった。


「……やだ。やだ、やだ、やだやだやだやだやだ、やだぁ!」


 お姉ちゃんは泣きながら頭を振っていた。信じたくない。信じられるわけがない、とお姉ちゃんは言っているみたいだった。


 出会ったばかりなのに、お姉ちゃんがどんなに私を愛してくれているのかがよくわかる。


 うん、すごく嬉しいな。


『ごめんね、お姉ちゃん』


「謝らないで。謝らないでよぉ、メイサ」


 ぼろぼろと涙をこぼしていくお姉ちゃんに、私はなにも言えなくなってしまった。


 声を掛けることどころか、お姉ちゃんの涙を拭ってあげられない。私の手はあまりにも大きすぎて、お姉ちゃんの涙を拭えそうにない。


『じゃあ、ありがとう。私を愛してくれて、すごく、すごく嬉しい』


「やだよぉ。やっと「お姉ちゃん」って言って貰えたばかりなのに」


『……うん、ごめんね。もっと早く言ってあげればよかった』


「そうだよ。もっと早く「お姉ちゃん」って呼んで欲しかった! なのに、なんで」


『……そうだね。本当に、なんで早く言えなかったのかなぁ』


 もっと早く言えればよかった。


 言ってあげればよかったのに。


 どうして私は「お姉ちゃん」って言えなかったのかな。


 ……あぁ、困ったなぁ。


 頭の中がぐちゃぐちゃになってきた。


 うまく考えることができなくなっていく。


『おねえちゃん、ごめん。うまくことばがでなく、なっちゃっている』


「っ! メイサ、ダメ。気をしっかり保って! まだ、きっとどうにかなるから!」


『……ううん。もうダメだとおもう。ありがとう、わたしをあいしてくれて』


「やだ。やだ、やだよぉ」


『……ごめん、ね』


 あぁ、目を開けるのも難しいや。


 ……すごく眠たいなぁ。


『おねえちゃん、だいすき、だよ』


「メイ、サぁ」


 お姉ちゃんの顔がひどく歪んでいた。せっかくきれいなお顔をしているのに。


 私のせいでひどいことになっちゃっている。本当にごめんなさい。


『……おねえ、ちゃん』


 言いたいこと、あるはずなのに、なにも言えなかった。


 もっと言いたいこと、あるはずなんだけどなぁ。


 やっぱり、もう考えられなくなっちゃっている。


 ごめんね。


 声にならない言葉で、お姉ちゃんに謝った、そのとき。


「あははは、ようやく壊れてくれた。やっとシリウスちゃんとふたりっきりになれた」


「まま上」の笑う声が聞こえてきたんだ。


 お姉ちゃんは泣きながら、「まま上」を睨み付けた。


 でも、「まま上」はまるで気にしていない。


 陶酔したようにお姉ちゃんを見つめていた。


「でも、まだ完全に壊れないねぇ。じゃあ、さっさと壊してあげる。できそこないちゃん」


 ニタァと口元を歪めながら、「まま上」は近づいてくる。


 お姉ちゃんから魔力を溢れていく。それも真っ黒な毒々しい魔力が。


『だ、め。おねえ、ちゃん』


 お姉ちゃんに声を掛けても、もう私の声は聞こえていない。


 お姉ちゃんは「おまえ」と体を震わせていく。


 ダメ。


 怒りに呑まれちゃダメだよ。


 そう言いたいのに、私はなにも言えなかった。


 あぁ、本当になんでこんなことに。


 どうして私には力がないんだろう。


 涙が零れていく。


 涙を溢れさせても、私にはなにもできない。


 なにもできないまま、お姉ちゃんが変わっていく様を見ていることしかできなかった。


 誰でもいい。


 助けて。


 誰でもいいから、助けてよぉ。


『おねえちゃ、たすけ』


 お姉ちゃんを助けてください。


 誰でもいいから、助けてよぉ。


 私は心の底から助けを呼んだ。


 でも、その声を聞いてくれる人は誰もいなくて、私はただお姉ちゃんが壊れてしまうのを見ていることしか──。


『大丈夫だよ、メイサ』


『……え?』


 ──見ていることしかできなかった私の耳に、たしかに声が聞こえたんだ。


 一番聞きたかった声が、パパの声がたしかに聞こえてきたんだ。


 パパの声が聞こえてすぐ、風が吹いた。


 とても強く、でも、とても優しい風が吹き抜けていったんだ。


「待たせたわね」


 風が吹き抜けると、そこには大きな背中があった。


『……ぱ、ぱ?』


 小さいのに、とっても大きな背中が、パパの背中が目の前に見えていた。


「あとは任せなさい。……あなたの大好きなパパではなく、お姉様上にすべて任せておきなさいな」


 パパ、ううん、お姉様上と言った、その人はパパによく似た笑顔を浮かべていたんだ。

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